ウクライナの現実 ②
私がウクライナのキエフに留学していたのは2011年10月から2012年6月までの数か月。
其の時期のウクライナは今のごたごたなんか感じさせない、大変穏やかで暮らしやすい街でした。
私のロシア語の学校はキエフの中心部にあり、主に欧米の生徒が多かったですね。
私は常に唯一の日本人(アジア人)でした。
学校には常時20~30人の外国人生徒がいましたが、
そのうち半分は常にアメリカ人でした。
しかもただのアメリカ人ではなく、
若いアメリカ軍士官候補生です。
彼等はアメリカで基礎ロシア語を学んだあと、3か月の語学研修にローテーションできます。
優秀な彼らのロシア語習得力は大変早く、出来の悪い私はよく嫉妬したものでしたw
アメリカ士官候補生の学生が既にその時からウクライナでロシア語を勉強しているという事実は今のこの騒ぎと関係しているのではないかと思っています。
これは仕組まれていた、計画されていたものだということすら感じさせるものです。
ウクライナに沢山の友達をもち、ロシアでビジネスをしている日本人として、ウクライナのこれからも、ロシアの将来も、日露の関係もすごく気になるし、自分の生き方にとってもとても大きな出来事であるこの事件。
世界は新たな局面を迎えるのでしょうか。。。
其の時期のウクライナは今のごたごたなんか感じさせない、大変穏やかで暮らしやすい街でした。
私のロシア語の学校はキエフの中心部にあり、主に欧米の生徒が多かったですね。
私は常に唯一の日本人(アジア人)でした。
学校には常時20~30人の外国人生徒がいましたが、
そのうち半分は常にアメリカ人でした。
しかもただのアメリカ人ではなく、
若いアメリカ軍士官候補生です。
彼等はアメリカで基礎ロシア語を学んだあと、3か月の語学研修にローテーションできます。
優秀な彼らのロシア語習得力は大変早く、出来の悪い私はよく嫉妬したものでしたw
アメリカ士官候補生の学生が既にその時からウクライナでロシア語を勉強しているという事実は今のこの騒ぎと関係しているのではないかと思っています。
これは仕組まれていた、計画されていたものだということすら感じさせるものです。
ウクライナに沢山の友達をもち、ロシアでビジネスをしている日本人として、ウクライナのこれからも、ロシアの将来も、日露の関係もすごく気になるし、自分の生き方にとってもとても大きな出来事であるこの事件。
世界は新たな局面を迎えるのでしょうか。。。