日本が侵略国家で無い証拠 | 真田清秋のブログ

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 昭和25年(1950)1月、アメリカの当時の国務大臣アチソンがアチソンラインと呼ばれるアメリカの太平洋の防衛ラインから、朝鮮半島と台湾を外したことが原因で、ロシアと中共に唆された北朝鮮が、同年6月に不意打ちで朝鮮戦争を引き起こしました。


 不意をつかれた米国は、共産主義に対する砦としての日本を敵にして壊滅状態にさせてしまった間違いに気づくわけです。米国は攻防戦の果てに、連合国総司令官マッカーサーは、討てども討てども満州に100万人以上滞留する中京軍を撃破するには、もはや原爆を二発満州に投下し、東シナ海を海上封鎖することで、勝利のモデルを描いたが、この意見は、トルーマン大統領に却下され解任され、本国に召還されます。


 そして、1951年5月3日、米国最高の権威である、「米国上院軍事外交合同委員会」で、各種の証言をします。その中で、マッカーサーは、日本の戦争は侵略戦争ではなく、自衛戦争であると聖書に誓って明確に述べます。以下がその後半部分です:


『日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫(すず)が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如してゐる。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在してゐたのです。

 もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万人の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れてゐました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。』

(小堀桂一郎編「東京裁判 日本の弁明}講談社学術文庫564~565ページ)最後の部分は、英文で:

There {The Japanese People} purpose therfore , in going to war was largely dictated by security.


東京裁判での東條被告の主張の核心は、「日本は侵略戦争をやったのではない。自存自衛のためだった」ということである。マッカーサーのこの発言は当時日本の大新聞で報道された形跡はなく、今日に至るまでテレビでも報道さてたという話を聞いたことがない。東條被告の処刑後だったのは残念であるが、彼を裁かせ、死刑にさせたマッカーサー自身が、その後間もなく東條被告の弁護人になったようなものである。この事実をすべての日本人が知るべきであり、できるなら世界中の人に知らせたい』(「東條英機 歴史の証言」渡部昇一著)


 東京裁判を仕切った、当の法源と云えるマッカーサーが、朝鮮戦争を基点に改心して、東条英機と同じ、日本の戦争は自衛戦争であったと証言した事実は重大です。だから、A級戦犯なる批判をする中国や韓国の論調は明確に破綻しています。


 本当は、敗れたりとは云え、西欧列強が400年以上も植民地支配していた東亜から、実力で彼らを追い出したのが日本軍だったのです。その何よりの証拠がアジア各国が戦後独立を果たしたことで証明されています。


 大東亜戦争の第一の目的は、「東亜の解放」です。


 故に、大東亜戦争は解放戦争であり、「侵略敗戦史観」から、「解放戦勝史観」に変更しなければなりません。


 「戦勝国とは戦争目的を果たした国である」(カール・フォン・クラウゼヴィツ)


 それでは、皆様、ご機嫌よう★