ソロモン流 三國清三 オテル・ドゥ・ミクニ ベルサイユ うま味 食育ミクニン 帝国ホテル 四谷 | 高卒流MBA的ブランド育成ブログ

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今週のソロモン流


三國清三氏 『オテル・ドゥ・ミクニ』オーナーシェフ

http://www.tv-tokyo.co.jp/solomon/back/index.html



【以下、番組メモ】

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フランスを代表するトップシェフ(60人)の中の一人 


貧しかった少年時代 →トップシェフまでの道のりは茨の道だった


日本の食材を使ったフランス料理


ベルサイユVSミクニフレンチ


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オテルドミクニは日本を代表するフレンチ

三國氏


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新宿 四谷→邸宅 オテルドミクニ →館の中へ バンケットルーム メインダイニング 個室特別ルームも →日本のフランス料理を世界水準にした第一人者→1985年 30歳でオテルドミクニをオープン


直営3店舗 プロデュース10店舗 定休日の月曜以外はほとんど店に立つ →まずはその日の食材をチェック ほとんど国内産 →メニューは食材を見てから決める 「毎日の食材に対応する。決め事はない」→生みの苦しみも→まず調理を始めたのは丸ナス ピューレしたものを置き、その上に揚げたものを置く。まるで和食のような調理法→新メニューの完成かと思いきや →自らダメだし→コンソメにビーツを入れることで鮮やかな赤に →基本的には生みの苦しみは26年間ダブらないようにしている→コース料理の前菜 アワビのステーキ 付け合せ グリーンアスパラ 皮も揚げて添えている→魚料理 皮をパリパリに焼く フレンチの技法 プチトマトを添える ピーマンの甘みがマッチ →メイン イベリコ豚 絶妙な焼き加減 


ランチの時間 慌しくなった厨房→温かい料理は温かく 冷たい料理は冷たく それぞれにあわせて スピードが命→「フレンチはサッカー 動きながら料理をイメージ」→時には叱る 料理を出すテーブルを間違った そこで料理が止まると冷める モタモタしてたら僕は料理は出さない 


「怒ってるわけではない 本気だから真剣だから」


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名誉ある賞の場 →服部先生「日本におけるフランス料理を日本にも発信してる」 道場氏「日本一の料理人 世界に向けて頑張って頂けるの誇り」


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ベルサイユ宮殿で晩餐会に招かれる→650名を3人のシェフが選ぶ ミクニ氏の担当は冷たい前菜 収益の一部を震災資金に充てられる→「ミクニが日本を背負って世界に」 →日本をアピールするためにも日本らしさを入れる


1954年 漁師の家に生まれる→家計が苦しく 高校進学は断念 米屋に住み込みで働く→出されたハンバーグを食べて感動。そこで料理人になろうと思った→ホテルに志願 なんでもするから置いてくれる志願 毎日徹夜で練習 二年で料理長クラスの仕事を任される→帝国ホテルへ 料理長に会えたが、鍋洗いから始める 2年 ただ鍋を洗うだけではない ソースを舐めて味を確認していた→料理長に呼ばれる 20歳でスイスの大使館のコックに抜擢→その後 オテルドミクニをオープン


「学歴もなければコネもなければ、前に進むしかない」


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ベルサイユ宮殿の晩餐会の前に 故郷に 北海道増毛町 真っ先に向かったのは漁港→ニシン 復活していた 増毛町の人達には特別の魚。ミクニ氏が生まれる前に取れなくなっていた →賢人の実家 今ではお母さんが一人で暮らしている→「あわびとってうにとってなまことってそれが遊びだった」→一年ぶりに里帰り 兄弟も集まっていた お母さんは88歳に→賢人「貧乏だったから、人に喜ばれるとうれしい」→お母さんが食べやすいように肉のステーキをカット 「おいしいでしょう。バターみたいでしょう」→「わんぱくだった。アワビをバケツに背負って帰ってきた」→ミクニ氏が好きだったのはカジカ汁 出汁が効いている


東京に戻る→10年前から食育を教えてきた→テレビ番組でミクニンというキャラクターで大人気→ポイントは日本人が慣れ親しんできた「旨み」 →「日本の我々は世界中で一番敏感にキャッチできる」


「うま味を教えることは日本の文化を教える」


パリ ベルサイユでうま味を教える 昆布 鰹節 →京都に向かう 老舗料亭 和風出汁の取り方を見に来た →出汁がまったりしていて素材を生かす →旧知の間柄 「料理人は10人いればそれぞれ出汁の取り方は違う。65度~70度で出汁を取るのが良い」→同じ昆布を分けてもらいベルサイユ宮殿に持ち込む


鰹節 静岡県産 半年かけて作る 本枯れ節 を使う


ベルサイユでの料理を試作→三國氏は、ブルターニュ産のオマール海老を使うように指定されている→時間を気にしながら取り出しているのは、爪の肉の部分 →ベルサイユ用の秘策 金箔で爪の肉を包む →利尻昆布 →料亭と同じ温度でじっくりと→鰹節はより香りが立つように 黄金に澄んだ出汁 どうやってフランチに使う?→金箔で包んだ爪の肉 ゼリーで冷やして固める 初めて作るので固まる時間が誰にもわからない→試行錯誤の末 ようやくほどよく固まった 海老の身を包んだ金箔がアクセントに オマールのソースとホワイトソース二種類のソースで 招待客を満足させられるか?


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フランスパリ 自身も二十代の時に過ごした→「フランス人シェフ達も心を痛めています」→サルコジ大統領の特別の計らいで招き入れられる→大晩餐会がいよいよスタート


ベルサイユ宮殿 →会場全長130メートル 戦闘の間 バロック建築の粋を集めた特別の宮殿→日本人シェフのために特別テレビ初公開→無形文化遺産に指定されている →60人のシェフたちによる料理の仕込が始まる→利尻産の昆布 軟水につける →鰹節を削る 他のシェフも興味津々 ミクニ流国際親善→「この料理をベルサイユにささげます」→賢人の独創的なフレンチにどんな反応を示す?


会場となる戦闘の間→あとは宴の幕を開けるのを待つだけ→シェフ達が歩いて入場 特別の計らいでミクニ氏を先頭に→ミクニ流フレンチ受け入れられるか?→日本の素材を生かしたフレンチ その評価は?「味わい深い」「すばらしい」→和の前菜で幕を開けたフルコース 鴨のロースなども大好評 大成功に終わる→惜しみない賞賛の拍手 ミクニフレンチが認められる


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東京 戻ってきたある日 →船越氏 がオテルドミクニに訪れる→特別に晩餐会で振舞った料理を再現して出してもらう→フランスの美食家を唸らせた究極の一品→「すごく繊細 ソースはザ・フレンチ そこにザ・和」 「我々は日本人 日本人がどれだけできるのか。帝国ホテルとかオークラさんとかの歴史も背負ってる」


「常に時代にあった想像力で進化していく」


三國さんにとってフレンチとは?「僕は中卒。すごくコンプレックスを持っている。ベルサイユに行って料理も出せる。僕はこれしかない。僕は料理しかできない。」「東北の子供達も諦めないで欲しい。諦めなければ絶対にチャンスが来る」


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フランスの子供達に食育活動 →食の未来を見据える→ベルサイユ宮殿での晩餐会の翌日 パリの高級レストランの厨房で味噌汁を作っていた→レストランで食育の授業をやっていた 旧知の仲の三國氏をゲストに招いていた 子供達に試食してもらう→「すごくしょっぱい」「海草と魚の味がした」→子供達の未来のために食育に取り組んできた →子供達に三國氏の思いは根付いている


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札幌 3月下旬 地震の被災者のためになにかできないかと北海道の人達が持ちかけてきた→料理を通した社会貢献を考えている それが自分を育ててくれた恩返し


賢人「料理って愛で作る。そういうもので食材とか人とか接すれば相手は必ず応えてくれる」