ビストロ kif-kif chef カズのブログ

「kif-kif」のことや料理にまつわる話など、ちょこちょこと更新していきます。

とりあえず週一が目標。


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 エクスでは日本人の友達も何人かできた。皆、個性豊かな(ひと癖ある?)面白い人達ばかりだ。日本からの留学生や、マルセイユの総領事館スタッフ、そして総領事付き料理人などなど。中には日本の剣道の協会から派遣されて、フランスで剣道を普及させるべく道場を開いていた人もいた。あとは日本の銀行や、企業から来ていた人達も。
留学生の多くは日本の大学から来ていた人達だったが、中には日本で勤めていた会社を辞めて留学しに来ていたひともいた。いま考えると、社会人になってから、1年、2年の間、留学生の身分で海外で過ごすなんて、本当にうらやましいと思う。いつか僕もそんなことをしてみたいものだ。
 総領事館のスタッフは、外務省のほか、農林水産省から出向してきていた人もいた。みんなマルセイユに一軒家を借りて、車も持っているので、庭でバーベキューをやったり、車でいろんな所へ連れて行ってもらった。
 彼らは月に一回、パリまで買い出しに行く費用を手当てしてもらっていたので、当時エクスあたりではなかなか口にすることのできない納豆など、日本食をたくさん常備していて、彼らの家に遊びに行くと、いつも懐かしいものがいろいろと食べられたものだ。総領事館の人達は一応お役人さんなので、なんとなくお堅いという勝手なイメージがあって、ちょっと付き合いにくい人達なんじゃないかと思い込んでいたのだが、彼らも仕事で来ているとはいえ、みんな南仏に来て、精神的になんとなくいろんなものから開放されたのか、とても楽しい人達で、本当にいろいろと良くしてもらった。
 しかし、さすがに総領事ともなると、20歳のかけ出し料理人なんぞ声もかけてもらえないだろうと思っていたが、当時の総領事はフランス料理に造詣が深い人で、僕がフランス料理店で修業しているということもあってか、意外とかわいがってもらった。ご夫妻でたまにル・クロに食事に見えたのだが、その度に「俺の息子はちゃんとやってるか?」とムッシューバンゾーに冗談半分で聞いていたとのこと。
 エクスの滞在も2ヶ月が過ぎ、借りていたステュディオも契約期限が過ぎて、新たに棲む処を探していたのだが、ひょんなことから留学生のひとり、ノリさんと一緒に住むことになった。いわゆるルームシェアである。結構広いリビングルームと、キッチン、それぞれお互いの部屋のほかにゲストルームもあって、2人で棲むには少々勿体ない物件ではあったが、物価の高いエクスにあっても意外と値段が安かったと記憶している。ただ街から南に下って20分程歩かねばならず、北の外れにあるル・クロまでは30分以上は歩かないとたどり着けない。しかしスー・シェフのデニが自転車を貸してくれたおかげで、15分程で通えるようになった。(行きはずっと上り坂なので15分くらいかかってしまうのだが、そのかわり帰り道はずっと下り坂なので10分もかからなかった。)たまに、心やさしいノリさんが「HANAKO」と名付けられたルノー5で送り迎えしてくれたりもした。
 アパートの暮らしはとても快適で、毎週末には知り合いの日本人を集めて食材を買い出しに行き、僕が食事を作って皆でワイワイ食べる、というのが恒例となっていた。キッチンもリヴィングルームもゆとりがあるので、多少人数が集まっても大丈夫だし、普段は6人くらいだが、10人くらい集まっても、ちょっとしたパーティーのような感じで楽しかった。スーパーや市場に買い物に行けば、牛、豚、鶏、仔羊、肉類はどれをとっても非常に安いし、また野菜もしかり。いつもフレッシュなハーブがいろいろ手に入るし、果物も種類が豊富でこれまた安い。当たり前のはなしではあるけれど、フランス料理を作るにはうってつけの環境だ。どうしてもフランス料理的な食事が多くなるが、皆が食べたいのはやっぱり日本食。美味しい、不味いにこだわらなければ学食でも街の食堂でもフランス的な料理はいくらでも食べられるが、当時エクスにまともな日本食が食べられるお店は皆無だった。「YôJI(ヨージ)」という韓国料理&日本料理のインチキレストランが一軒あったのみだ。2度ほど行ったが、隣のフランス人カップルが頼んだ「SUKIYAKI」が、いわゆる「すき焼き」とは似ても似つかぬ感じで出てきて衝撃を受けたことを良く覚えている。ちなみにそのフランス人の二人は店員の説明を受けながら、2本の棒(彼らの使い方を見ていると、もはや箸とは言い難い。)を駆使して、異国の料理をなんとか受け入れて見ようと、奮闘していた。結果ほとんど生のまま食べていたけど。しかし2度食べた「プルコギ」はなかなかのものだったことも、公平を期して付け加えておこう。

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「オリヴィエ」後編。オリヴィエには本当にお世話になった。いつも前向きなあいつは、今も元気で前に向かって頑張り続けているに違いない。

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 オリヴィエはオートサヴォワのアヌシー(Annecy)出身だ。アヌシーはフランス一きれいな湖があることで有名な観光地である。彼はよく故郷のこと、それから見習いの頃からずっと世話になった「le belvedere(ル・ベルヴェデール)」というオーヴェルジュのこと、そしてそこのオーナーシェフで彼の師匠であるムッシュー・ジャン・ルイ・オーボノーのことをよく話してくれた。後に僕はオリヴィエの紹介で、ジャン・ルイ・オーボノー氏のもと、ル・ベルヴェデールで修業することになる。
 オリヴィエは、僕によく将来の夢を話してくれた。今の彼女と結婚して、故郷アヌシーに帰り、ビストロのような小さなレストランを開くんだ、と言っていた。お金のかかる調理器具は一度には買えないから、将来の為に少しずつ買っているらしい。アヌシーの実家にもういくつか置いてあるのだそうだ。夢をかなえるために頑張っていたオリヴィエ。
 僕がル・クロを辞めた後、2年ほどして久しぶりにお店に顔を出した。オリヴィエもすでにル・クロを辞めてしまっていたが、ムッシュー・バンゾーからそのオリヴィエのことでこんな話を聞いた。オリヴィエは地元アヌシーに帰ったが、病気で左腕が使えなくなり、料理人を諦めて、いまは全く畑違いの仕事をしているという。ムッシュー・バンゾーのオフィスからすぐにオリヴィエに電話した。
 「ムッシュー・バンゾーから聞いたよ。病気で料理人を辞めたって...」しかしそのあとどう声を掛けて良いか分からず、言葉に詰まってしまった。するとオリヴィエはこう言った。
 「La vie continue !」人生まだまだ続くってのに、悲しみに暮れているわけにはいかないじゃないか...。今だってちゃんとやっているよ!
 確かにそうだ。受け入れるしかない。そして前に進むしかないのだ。あの彼女と結婚して、子供も生まれたそうだ。彼は第二の人生を、いや、たったひとつの人生をずーと変わらず彼らしく生きているのだ。僕は今でもときどき、彼の言った「La vie continue !」という言葉を思い出す。そして僕は、僕の人生を変わらず歩み続けるのだ。


次回、エクスでの生活をもうちょっとご紹介します。
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ガルドマンジェからパティシエに配置換え。オリヴィエと出会うのです。
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 しばらくガルド・マンジェで働いた後、人手が足らないということでパティスリーに配属された。パティスリーにはオリヴィエという、僕より二つ年上のキュイジニエ(コックさんのこと)がパティシエをやっていた。普通はル・クロくらいの規模のレストランとなると、パティスリーには専門のパティシエがいて、デザートはもとより、パンやアペリティフ(本来アペリティフとは食前酒のことを指すが、一緒につまむ小さなパイ料理などのことも一般にアペリティフと呼ばれる)も担当している。パティシエには、レストランでデザートを担当するパティシエと、お菓子屋で働くパティシエと、2種類いる。どちらも同じパティシエの専門学校を出るのだが、就職する際にどちらかを選ぶのだ。僕の知る限り、レストランのパティシエを選んだ人が、お菓子屋に転向した例は聞いたことがない。彼らに聞くと、レストランのパティシエのほうが、絶対面白いのだそうだ。たぶんお菓子屋で働くパティシエに聞けば、その反対の答えが返ってくるに違いない。
 ル・クロにもやがて専門のパティシエが入ってくるのだが、わりと小規模のレストランにおいてはキュイジニエがパティシエを兼ねることが多い。学校でひと通り習っているので、それなりに知識もあるし、デザートをそれほど充実させる必要がなければ、デザートの仕込みと同時に、あるいはそのあとに料理の仕込みも、キュイジニエであれば両方出来るから効率が良いのだ。
 デザートのレシピはシェフのバンゾー氏が全部決めるので、そのレシピ通りに作ればいいし、盛りつけに多少のセンスが必要だが、まあこれも料理を盛り付けるセンスがあれば問題ない。デザートは日本で働いていた時も担当していたことがあるので、それほど難しいことはなかったが、パンは初めての経験だったので、ランチの分とディナーの分を毎日焼くのは大変だった。パン生地の仕込みをしないことにはデザートの仕込みもできないし、またオープン間際にパンを焼かなくてはいけないので、毎日時間ぎりぎりの戦いだった。
 当時のル・クロのデザートのスぺシャリテは、「fondant au chocolat(フォンダン・オ・ショコラ)」といって、日本でも一時流行ったデザートだが、熱々のチョコレートの焼き菓子をナイフで切ると中からトロトロのチョコレートが出てくるというものだ。もう20年以上前の話だから、当時はフランスでも珍しかったにちがいない。ル・クロのフォンダンは、周りのショコラ生地がサクサクで縦長の形状なので、ナイフを入れると中からチョコレートが出てきながらフォンダン自体がはかなく崩れていくような感じで、ちょっと変わったフォンダンだった。付け合わせにピスタッチオのアイスクリームを添えていたので、チョコレートもピスタッチオも両方大好きな僕にとっても一番のお気に入りのデザートだった。崩れやすく、盛りつけの時に失敗しやすいため、オーダーが通るたびにひとつ余分に焼くので、余ったフォンダンは本当によく食べた記憶がある。
 パティスリーを任されていたオリヴィエとはウマが合い、オリヴィエの彼女と、デニと4人でよくバーやブラッスリーに飲みに出かけた。オリヴィエは、僕が分からないフランス語があると、いつもとことん、半ばムキになって分かるまで教えてくれる、なかなかお節介(親切)で本当にいい奴だった。



次回、OLIVIER後編。
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