私は福島県郡山市に住んでいます。
郡山市は福島原発から60kmほど離れた場所です。

郡山市は低線量地域、危険と言う人もいれば安全と言う人もいます。

ここ最近まで、子供達を外で遊ばせるのは3時間までというルールがあったり、
通学路で線量の高いところを子供達が通れなくなって通学路を変えたり、子ども会で除染をしたり
お友達で小さい子のいる人は県外に避難してたり、
引っ越してしまったり、それは本当に人それぞれですが、
いろいろなことがある
わたしが思うに選択はタイミングが大きい気がする。どのタイミングでどんな意見を聞くかとか。

どうせなら、楽しく暮らしたいし日々楽しいのだけど、テレビでネットでいろんな意見に一喜一憂するわたしもいるし。忙しいと忘れるけど。

先月、ちょうど、去年からお世話になっている。
「安全.安心.アクションin郡山」さん
の座談会に参加してきました。
放射能への不安もあったので普通に会員の皆さんといろいろお話して、私もじっくり考えてみよう
と思い行ってきました。

行ってみたら、ベラルーシで事故後26年放射能の対策をしながら暮らしてきた
ベーラさんとバーリャさんが来てくれて
講演を聞くことができました。
ベーラさんは小児科医でバーリャさんは教師をされています。
その時聞いたお話は私にはここで暮らしていける!という安心感 につながりました。やっぱり本当に暮らした人の言葉は真実味がありました。
なので同じ気持ちの、小さい子を持つお母さんや、妊婦さん、若い人に、、、伝えられたら!
と思います。

講演は最初にバーリャさんのこんな言葉からスタートしました。
「 大変な事故がありました、福島の皆さんは不安な気持ちで過ごされていると思います。
私たちも26年前に同じ災難に合いました。なので皆さんの気持ちが分かります。
こんな機会ではありますが、皆さんに出会えたことに感謝します。」

バーリャさんのお子さんは当時6歳と8歳だったそうです。
そして無事、健康に成長して大学も出て家庭を持っているそうです。
ちょうどうちも6歳と8歳なのでなんだか親近感ほっとしました。

一番大切なのは、大人は落ち着いて、怖がりすぎず子供達と一緒にどうしたら被曝を避けられるか処置をとる。

ただ安全というのではなく、放射能を理解して対策をしっかりすること。
○食べ物はちゃんと測定されたものを食べる。
○外から帰ったら手洗い
○家に入る前に衣服を払う(土ぼこりを払う)
○子供たちが悲観的になるような話し方をしないことなどなど

ベラルーシの現実
飯館村くらいの線量のところでも五年は除染したらなんとかなると言う話で避難しなかったそう。
ネットなどでは郡山市、福島市の線量は避難対象だったと書いてあるかが実際は、一部生活に余裕があったり動いても暮らしていける人が避難しただけだったそう。
一番最初の食品の基準は3700ベクレルとかなり高い値だったそう。その後何度か見直されている。

ベラルーシは国の経済状況がすごく悪く、貧困な家庭が多く、医療も行き渡ってなかったり、食べるものも線量を気にして選べる状況じゃなかったりしたそう

国の政策で汚染地の子供達を年に2回、保養にだす(汚染のない土地で暮らすと体内の放射性物質が排出されるそう。)授業を受けるために最少でクラス単位最大で学校単位で行っていたそうです。大変だったこととしては教師は女性が多くて家庭のある先生は家のことを投げ出して行かなくてはならなかったそう、ただ日本とベラルーシは経済状況が違い、ほとんどの家庭で栄養のある食事は食べているのでと日本の食事はビタミン、ミネラルを普段からとってるから保養は必要ないかもしれないそうです。

ほか聞いてよかった話
チェルノブイリハートという映画の宣伝に、事故後汚染地域では15%しか健康な赤ちゃんが産まれてないというのは基準が厳しすぎる。
お母さんが妊娠中入院した、喫煙者だったとかその程度で15%には入れなくなるのだそうです。
なので85%の子供たちに明らかな障がいが出た訳ではない。

というような内容でした。
こんな遠方まで私たちを元気づけにきてくれたベーラさんバーリゃさんに感謝です。ひとつ驚いたのはベラルーシでは言論の自由がないのか?テレビの取材は受けられないとおっしゃってました。それはとっても怖いことだと思います。

今日は子供たちの小学校の運動会!
校庭でありました。ただ子供たちは待ち時間は体育館で過ごす配慮がありました。
久しぶりにみた空太のかけっこ風景。
1年生の時は競争心ゼロだったけど力強い走りにビックリでした。
はなのノリノリな踊りも可愛かった!
なにがあろうとキラキラした子供たちの活躍には大きな元気をもらいます。