こんにちは、ヒスペディアです。前回から続くハンムラビ法典の特集でありますが、いかがでしょうか。ハンムラビ法典の認知はどれだけ少なく見積もっても1902年からです。『バビロニア誌』を書いたベロッソスですら、法典の存在を見落としていました。法典の何が重要なのでしょうか。


 この法典によれば、王は神の代理として統治し、刑法は「目には目を、歯には歯を」の復讐法の原則にたっていたが、刑罰は被害者の身分によってちがっていた。


ハンムラビ法典の意義はその古さではない。古さだけなら「ウル・ナンム法典」のほうが上だからだ。「ウル・ナンム法典」とはアムル人のウル第三王朝において記された法典である。「シュメール王名表」を記した王朝でもある。ちなみにウル・ナンムとはウル第三王朝の王の名前である。


では、ハンムラビ法典とウル・ナンム法典を比べてみよう。ハンムラビ法典は「目には目を、歯には歯を」、いわゆる同害復讐の原則、「やられたらやり返す」である。これは有名である。一方ウル・ナンム法典はどうだろうか。じつは、人と人との間で起こったトラブルは、賠償で決着をつけるべきと言っているのだ。現代の刑法にも当てはまるような実に合理的な法典である。ではなぜ、教科書にはハンムラビ法典が重視されるのだろうか。


一つは、後からハンムラビ王が設けた同害復習の原則が、後々の西アジア社会において慣習的に適用されていくことにあると考える、現代の目線からさかのぼって見るとハンムラビ法典が重要となるのだろう。もう一つは、ハンムラビ王に関する情報が多いことにある。出来事を文字に残していく活動が盛んになるのはウル第三王朝からだが、ハンムラビの情報は年刻みで分かっているのだ。


とはいえ、ハンムラビもウル・ナンムも統治の徹底を志したという点では同じである。一方的な復讐による秩序の崩壊を防ぐための方策なのだ。


ハンムラビについてはこれで以上です。