あらたな命が、私たちのもとへやって来たのと入れ違いで、去っていった命があった。
一月を過ぎてすぐ、母方の祖父が八十五で亡くなった。
正月には香川に三日だけ帰った。
なぜ、そのとき祖父のいる病院まで会いに行かなかったのか。
おじいちゃん結婚式よかったよ、こどももできたよと、なぜ、報告に行けなかったのだろう。
また会える。
そう思った気持ちに、悔やんで悔やんで、涙が止まらなかった。


そのときつわりもひどく、朝から晩まで冬の荒れた日本海を航海しているような気持ち悪さだった。歩くとすぐ息があがり、吐く息も力が出ず、会話が苦しかった。身体が地面にめりこむように重く、世界は壊れてしまったようにぐるぐる回る。夜は夜で、胸がつかえて眠れなかった。


そんな中、なんとか香川まで帰省し、祖父の葬儀に参列した。
火葬場で、祖父は骨になって出てきた。
煙がくすぶり、台に寄ると、むっとした熱気の塊が留まっていた。
長い人生の最後にふりしぼった、いのちの熱量のようだった。
最後に会ったのは、夫と結婚の報告に行った一昨年の秋。
ベッドに横たわる祖父のすっかり痩せた姿を見て、目頭がツンとなった。



祖父は立派な農家だったそうだ。
地域の役もたくさんこなし、がははと笑う巨人だった。
不思議な縁で農家になった私は、結局祖父と農家らしい会話をすることなく、祖父はいなくなった。
私が大人になるにつれ、祖父と何を話したらいいのか分からなくなり疎遠になった。
今なら、一番祖父と気が合う家族になれたのかもしれない。
おじいちゃん、間に合わなくてごめん。


後ろから「かなちゃん」と弱々しい声の夫が呼んだ。
「かなちゃんのお腹からいのちが始まって、こうやって終わるんだね。ひとって生まれ変わるかな」。


いのちは、どこからやって来て、どこへゆくのか。
つわりが辛いが、そのぶん一生懸命、私の身体に根付こうとしている、小さないのちのがんばりは、祖父たちの確かなバトンだ。たくさんの人生と時代がこのお腹につまっていると思うと、私はひとりじゃないと思えた。