日本、韓国、中国の女帝 | キビコジのブログ

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ある歴史の勉強会に出たら日本と、韓国と、中国の女帝について比較をしていたのでこれらの国の「女帝」に関心をもちました。

調べてみると
中国の女帝は一人:則天武后です。中国では武則天と言われています。(690~705)
 14歳で太宗の後宮に入り、太宗亡き後その子の高宗の寵愛を受け、655年前皇后を追い落とし皇后に即位する。この時前皇后と淑妃を四肢切断の上酒壺に投げ込むという残虐行為を行う。
皇后時代は高宗に代わり垂簾政治政治を行う。
 660年新羅の請願を受け百済討伐軍を起こし、百済を滅ぼし、さらに倭国と旧百済の連合軍を白村江で打ち破り、さらには5年後に高句麗を滅ぼした。その後契丹の反乱などにみまわれる。
 690年、反対する宗族を打ち破った後、女帝出現を暗示する預言書(仏典中の大雲経に仮託して創作された疑経)を流布させ、自ら帝位につき国号を「周」とし、自らを聖神皇帝と称し天授と改元した。諸寺の造営寄進を多くし、自ら弥勒菩薩の生まれ変わりと称し、そのことを記したという「大雲経」を作り「大雲経寺」を全国に作らせた。(これがのちの日本の国分寺のもととなった)
晩年は病床に伏せがちになり、705年当時の宰相より退位を迫られ中宗が復位し国号も唐に復した。
武則天は改名好きで、皇帝と皇后を、天皇と天后に変えたり、元号も頻繁に変えている。また、漢字の改変も行い、今はほとんど残っていないが、國の字を圀に変えたりしている。水戸光圀公の圀の字である。

東アジア史に大動乱を大動乱を起こした新羅・唐による半島統一の背後にあったのが則天武后であったことに注目です。

さて、半島では三国時代~統一新羅~高麗~朝鮮~韓国を通して女帝は新羅時代の3人です。(現在の朴大統領は除いて)
第27代善徳王(632~647)前王の真平王に男子がなく他に適当な候補が無かったため長女である「善徳王」が選ばれた。この時代は新羅、百済とも日本と交流の盛んな時代で日本に朝貢や人質も差し出しておりかつてないほどの友好関係が築かれていた。日本では推古天皇(593~628)の時代があり、日本の例に倣って女帝が即位することになったとも考えられる。この当時新羅は三国の中でも脆弱で、常に百済や高句麗の侵害にさらされていた時代でもあった。この頃の武将が金ユ信であり、宰相が金春秋であった。唐と交渉して冊封を受けて百済や高句麗と対抗しようともした。

第28代真徳王(647~654)真平王の母の弟の子である。日本では皇極女帝の時代でもある。
百済、高句麗の侵攻に悩まされ唐との関係を強めていく。礼服を中国式に改め年号も中国のものを用いた。日本と友好的だった百済とは争いを減らし、強大化していた高句麗とは日本、百済とともに戦った。

3人目は新羅51代真正王(887~897)である。前王定康王に男子がなく明敏、鋭利で前王の遺言により即位した。残念ながら淫乱で臣下と情を通じ、国が乱れた。日本にも対馬などに新羅の盗賊が押し寄せた。遣唐使も中止され、5代後の敬順王の時代(934年)に「高麗」の太祖に滅ぼされた。

新羅時代の女帝に関しては以下のページを参考にさせてもらいました。
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/kaihou_jyotei.htm


日本の女帝は推古天皇(592~628)以下8人10代の女性天皇が即位しています。
 第33代  推古天皇  592年~628年  
 第35代  皇極天皇  642年~645年  
 第37代  斉明天皇  655年~661年  皇極天皇の重祚(再即位)
 第41代  持統天皇  686年~697年  
 第43代  元明天皇  707年~715年  
 第44代  元正天皇  715年~724年  
 第46代  孝謙天皇  749年~758年  
 第48代  称徳天皇  764年~770年  孝謙天皇の重祚(再即位)
 第109代  明正天皇  1629年~1643年  
 第117代  後桜町天皇  1762年~1770年

実質的に「女帝」の立場にあったとみられるのはその他に以下の4人が挙げられています。
  卑弥呼  
  台与  
  神功皇后  
  飯豊皇女 

今日の世界を見ると、英国のエリザベス女王やドイツのメルケル首相のように女性の国家元首や国家指導者が多く見受けられます。今隣国韓国も女性大統領です。

日本も歴史的には女性の天皇がいて、卑弥呼など古代にも女性がリーダーとなって国がまとまったということも伝えられています。日本の宗教団体には女性が教主という例が多くありますし、最近は女性社長も増えているようです。

ただ概して、中国、韓国では「女性が立つと国が乱れる。」という事が長く言われてきたことも確かです。
そして東アジアでは女性が権力を握っていた時代は大激動の時代でもあります。
混乱の時代を治める役割を担った女帝もあったでしょう。
それから、女帝の時代で問題となるのはその側近の存在です。情事に通じた登用が国を誤らした例も垣間見られます。

女帝が良いとも悪いとも決めつけられませんが、その長所、欠点をよく知ることは大切だと思います。みなさんも少し関心を持って女帝の歴史に関心をもって見られたらと思います。


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