以前よりお話ししておりましたお寺のはんこの復刻を仕上げました。


少し難しいお仕事でして、お札(ふだ)に押された印影から復刻をというご注文です。


印影はかすれ、その上に達筆な筆文字がしたためられ、見えない部分が多くありました。


印稿を起こし直し、OKをもらったので、昨日から彫刻をはじめて本日無事に納めることができました。


どういうはんこか言いますと、45ミリ(現物はおそらく47ミリ)の菱角(ひしかく)菱形で、くも雲海の上に宝珠があり、その中にお地蔵さん地蔵菩薩の梵字haカが蓮台の上に位置しております。そして、その宝珠から線で表現された炎火炎が放射線状に伸びているというものです。


この火炎が難しい、単調な線で表現すると雨が降っているみたいで火炎にはならない。少しの歪みをつけながら線の痩肥をつけながら一本づつ違う線にすると火炎が表現されます。


また、雲も難しくこれも単調な線にできないし、デフォルメしすぎると漫画になります。


この最終仕上げをしていると、ラジオ。ラジオから興味深い話が聞こえてきました。耳


それは、三代目市川猿之助さんの言葉でした。


「型を学ぶことにより、型破りなことができる。型を学ばないものは、形無しである。」


私も型(基本)を学んできました。今でも学んでおりますが、その基本があるから、このような難しいお仕事を頂けるのだと思います。


基本なきオリジナルはあり得ないということです


最近オリジナル書体を研究されるのは良いと思いますが、基本なきオリジナルが多いと感じます。このことは、いずれ大きく展開しお話ししていきたいと思います。


さて、本日納めたはんこは、少し密刻的要素は強いものの、実用という点で違うのは、耐久性です。お寺のはんこは印影さえできていたらよいというものではありません。現住職お坊さんの代から何代にもわたってご使用されるお寺お寺の宝です。


ですから、深く彫らねばなりませんが、細かい所はあまり深すぎると朱肉が詰まります。密なところをあまりつくらずに絵的なことを表現しなければなりません。


それが型(基本)であり、それなくして実用のもの、すなわち自分の自己表現でなく相手さんがご使用になる物は出来ないでしょう。


昨日お話しした、業界ネタはまた次回にでもお話いたします。