【身延線と御殿場線では最後・熱海駅の惜別表示】JR東海211系5000番台最後の乗車記録

JR東海の211系5000番台に今まで何回乗車したのか?と考えてみた。推計だが4,000回以上乗った。具体的な回数までは把握出来ないが(むしろそれが把握出来る人は極めて少ない)それくらいは乗ったはずだ。

211系5000番台は315系に置き換わるため2021年から段階的に引退が始まった。最初は神領車両区所属の車両で、これが完了すると静岡車両区の車両へと移行した。

驚いたのが運用離脱すると即座に廃車回送(=その日が廃車日)になってしまう事だ。他社ならば数か月(場合によっては数年)程度は車庫に寝かせておいて、その後に他社へ移籍か解体する事が多い。一方でJR東海は運用離脱(運行終了)すると車内広告等の備品を取り外した上で、概ね2~3日後には廃車回送として解体場である西浜松(東海道線浜松~高塚間)へ自走回送された。同社の基本的な姿勢を知っていればその理由も納得出来る(細かくは書かない)。その時の状況にもよるが、速やかに解体作業が始まり2~3ヶ月すれば完全に姿と形も消えてしまい、書類上からも車籍抹消となる。

今回は静岡車両区における211系の引退がどのように進んだのか?を簡単に振り替えて、現役最後となった2025年1月と2月の乗車記録を簡単にまとめてみた。長くなるため今回は1月分の乗車記録としたい。

【静岡車両区211系の引退までの流れ】

211系5000番台SS編成(3両×11本)

編成番号 クハ210 モハ210 クモハ211 廃車回送日 備考 書類上の廃車日
SS1 5022(1989年6月16日日立) 5055(1989年6月16日日立) 5607(1989年1月10日川重) 2024年7月24日 西浜松で解体 2024年9月26日
SS2 5025(1989年1月23日日車) 5056(1989年5月31日川重) 5608(1989年5月31日川重) 2024年3月20日 三岐鉄道転属 転属日と同日
SS3 5028(1989年1月28日日車) 5057(1989年5月31日川重) 5609(1989年5月31日川重) 2024年3月20日 三岐鉄道転属 転属日と同日
SS4 5031(1989年1月13日近車) 5058(1989年6月9日 川重) 5610(1989年6月9日 川重) 2024年12月7日 最終運用日2024年12月4日・西浜松で解体  
SS5 5034(1989年2月7日日車) 5059(1989年6月9日川重) 5611(1989年6月9日川重) 2024年12月7日 最終運用日2024年12月4日・西浜松で解体  
SS6 5037(1989年2月3日日立) 5060(1989年6月7日近車) 5612(1989年6月7日近車) 2024年12月7日 最終運用日2024年12月4日・西浜松で解体  
SS7 5040(1989年2月17日近車) 5061(1989年6月7日 近車) 5613(1989年6月7日 近車) 2024年3月22日 三岐鉄道転属 転属日と同日
SS8 5043(1989年2月23日日立) 5062(1989年6月7日 近車) 5614(1989年6月7日 近車) 2024年3月22日 三岐鉄道転属 転属日と同日
SS9 5046(1989年3月9日 川重) 5063(1989年6月15日東急) 5615(1989年6月15日東急) 2024年12月9日 最終運用日2024年12月4日・三岐鉄道転属 転属日と同日
SS10 5047(1989年3月9日 川重) 5064(1989年6月15日東急) 5616(1989年6月15日東急) 2024年12月9日 最終運用日2024年12月4日・三岐鉄道転属 転属日と同日
SS11 5048(1989年3月9日 川重) 5065(1989年6月15日東急) 5617(1989年6月15日東急) 2024年3月22日 三岐鉄道転属 転属日と同

211系5000番台LL編成(3両×20本)

   
 
編成番号 クハ210 モハ210 クモハ211
LL1 5011(1988年11月24日川重) 5011(1988年11月24日川重) 5011(1988年11月24日川重)
LL2 5012(1988年11月24日川重) 5012(1988年11月24日川重) 5012(1988年11月24日川重)
LL3 5013(1988年11月24日川重) 5013(1988年11月24日川重) 5013(1988年11月24日川重)
LL4 5014(1988年12月8日川重) 5014(1988年12月8日川重) 5014(1988年12月8日川重)
LL5 5015(1988年12月8日川重) 5015(1988年12月8日川重) 5015(1988年12月8日川重)
LL6 5017(1988年12月13日川重) 5017(1988年12月13日川重) 5017(1988年12月13日川重)
LL7 5024(1989年1月10日日立) 5024(1989年1月10日日立) 5024(1989年1月10日日立)
LL8 5026(1989年1月23日日車) 5026(1989年1月23日日車) 5026(1989年1月23日日車)
LL9 5027(1989年1月23日日車) 5027(1989年1月23日日車) 5027(1989年1月23日日車)
LL10 5029(1989年1月27日日車) 5029(1989年1月27日日車) 5029(1989年1月27日日車)
LL11 5030(1989年1月27日日車) 5030(1989年1月27日日車) 5030(1989年1月27日日車)
LL12 5033(1989年1月13日近車) 5033(1989年1月13日近車) 5033(1989年1月13日近車)
LL13 5035(1989年2月7日日車) 5035(1989年2月7日日車) 5035(1989年2月7日日車)
LL14 5036(1989年2月7日日車) 5036(1989年2月7日日車) 5036(1989年2月7日日車)
LL15 5038(1989年2月3日 日立) 5038(1989年2月3日 日立) 5038(1989年2月3日 日立)
LL16 5039(1989年2月3日 日立) 5039(1989年2月3日 日立) 5039(1989年2月3日 日立)
LL17 5041(1989年2月17日近車) 5041(1989年2月17日近車) 5041(1989年2月17日近車)
LL18 5042(1989年2月17日近車) 5042(1989年2月17日近車) 5042(1989年2月17日近車)
LL19 5044(1989年2月25日日立) 5044(1989年2月25日日立) 5044(1989年2月25日日立)
LL20 5045(1989年2月25日日立) 5045(1989年2月25日日立) 5045(1989年2月25日日立)
大垣時代編成番号 静岡転属 廃車回送日 廃車後の処遇 書類上の廃車日
C11 2006年10月19日 2024年6月25日 三岐鉄道転属 転属日と同日
C12 2006年10月13日 2022年3月15日 西浜松で解体 2022年3月16日
C13 2006年10月4日 2022年3月15日 西浜松で解体 2022年3月16日
C14 2006年10月17日 2024年6月11日 西浜松で解体 2024年8月26日
C15 2006年10月4日 2022年3月24日 西浜松で解体 2022年3月25日
C16 2006年10月1日 2024年6月11日 西浜松で解体 2024年8月26日
C17 2006年10月1日 2024年6月6日 西浜松で解体 2024年8月5日
C18 2006年10月1日 2024年6月12日 西浜松で解体 2024年7月16日
C19 2006年10月21日 2024年6月25日 三岐鉄道転属 転属日と同日
C20 2006年10月17日 2022年3月24日 西浜松で解体 2022年3月25日
C21 2006年10月1日 2024年6月25日 三岐鉄道転属 転属日と同日
C22 2006年10月1日 2024年6月6日 西浜松で解体 2024年8月5日
C23 2006年10月11日 2024年6月6日 西浜松で解体 2024年8月5日
C24 2006年10月5日 2024年6月26日 三岐鉄道転属 転属日と同日
C25 2006年10月21日 2023年12月1日 西浜松で解体 2023年12月22日
C26 2006年10月13日 2024年6月26日 三岐鉄道転属 転属日と同日
C27 2006年10月19日 2024年6月12日 西浜松で解体 2024年7月16日
C28 2006年10月11日 2024年7月25日 西浜松で解体 2024年9月10日
C29 2006年10月1日 2024年7月25日 西浜松で解体 2024年9月10日
C30 2006年10月5日 2024年7月24日 西浜松で解体 2024年9月26日
           

211系5050番台GG編成(2両×9本)

編成番号 クモハ211 クハ210 廃車回送日 備考  
GG1 6001(1989年2月26日東急) 5049(同左) 2024年12月10日 西浜松で解体  
GG2 6002(1989年2月26日東急) 5050(同左) 2024年12月10日 西浜松で解体  
GG3 6003(1990年2月26日日車) 5051(同左) 2024年12月25日 西浜松で解体  
GG4 6004(1991年2月21日川重) 5052(同左) 2024年12月25日 西浜松で解体  
GG5 6005(1991年3月5日日立) 5053(同左) 2025年2月28日 2025年7月5日に流鉄へ譲渡  
GG6 6006(1991年3月5日日立) 5054(同左) 2025年2月28日 2025年7月5日に流鉄へ譲渡  
GG7 6007(1991年3月5日日立) 5055(同左) 2024年11月4日 西浜松で解体  
GG8 6008(1991年3月7日日立) 5056(同左) 2025年2月28日 2025年7月5日に流鉄へ譲渡  
GG9 6009(1991年3月7日日立) 5057(同左) 2025年2月28日 2025年7月5日に流鉄へ譲渡  
↑となっている。車齢が35年程度あった。JR東海は一時期、車齢30年で新車に取り換えを行っていた事もあったが、近年はこれが5年程度延長になっている。その理由としては投資計画もあるのだろうが、技術の進化で部品などの消耗品の交換頻度の低下や長寿命化、日頃の整備が良くて良好に車両維持が出来ていた事などであろう。これは同業他社も同様で中には近鉄や南海のように50年~60年走る事を前提に日頃の整備や維持管理している所もある。国交省としては2035年を目途に直流モーターで動かす電車の全廃を掲げる。全てVVVF化する事を必須としているので、211系などのJR発足前後に出た車両はその頃までには全廃となろう。公式には発表していないが(この記事は2025年12月6日に執筆した。以下この日時点の情報)JR東日本は2026年以降に長野や高崎の211系の引退する方針で調整している。
 
静岡車両区における211系が廃車回送になるタイミングは、何らかの新しい車両が投入された時であった。それでもLL15編成のようにそれがなかった事もあったが全体で見れば少数事例であった。車庫に置く事が可能な両数(編成数)は決まっているので、新しい車両が出たらその分既存車両は出て行ってもらわないと置き場に困るのだ。
そのため2024年6月1日から運行開始した315系が新製投入があると数本の211系が運用離脱→廃車回送を繰り返した。
 
なおどのタイミングで211系が運用離脱するか?については特に事前公表される事はなかった。車両運用や動向を追いかけている鉄道マニア諸君諸氏の間では、ある程度動向が読めていた感もあったようで、廃車回送を狙ってそれが走るだろうと予想出来る日時に駅や沿線に出向いて撮影する事例はあった。それがX(SNS)で投稿→拡散でやっと世の中に明らかにされる繰り返しであった。

【少ないながらも他社へ移籍があった】

 
 
 
↑2025年7月5日に西浜松→川崎貨物まで甲種輸送列車が走った。211系2両のGG5・GG6・GG8・G9編成を4本連結していた。これら編成は同年2月11日に最終営業運転を行い、終了後に暫く静岡車両区に留置されていたが、2月28日に西浜松へ廃車回送となった。これでJR東海からは211系が全て引退となり「形式消滅」した。その後4か月にわたり西浜松構内の留置線に留め置かれた。いろいろ噂はあったが、噂通り千葉県の流鉄に移籍する事になり写真のように甲種輸送で運ばれたのだ。今後は流鉄の全車両を211系GG編成4本に置き換えるとの事だ。
 
特に写真は無いが、3両×10本が三重県の三岐鉄道三岐線に移籍となった。この際は静岡車両区から直接回送列車として関西線富田まで自走した。富田到着後にJR東海→三岐鉄道に引き渡しとなった。このような移籍は意外に珍しく、移籍に伴う回送区間が全区間元所属会社(つまりJR東海)内のみだから実現した方法だ。他社区間も回送するならばJR貨物に依頼して甲種輸送列車(貨物列車の一種)として輸送してもらう事になる。
これは余談だが、JR東日本ならば電気機関車(EF64やEF81)や電気式気動車(GV-E197など)を先頭に連結してけん引の形で輸送するだろう。そうなれば単なる回送列車ではなく、配給列車となる。むしろ自走による回送での移籍と言う実績は私が知る限りほとんどなく、あったとしてもそれは他社移籍ではなく自社内の別の車両センターへ移籍の時に限られる。
 

【2025年1月の211系乗車記録】

 
 
↑2025年1月の段階で残っていたのは2両×4本だけであった。それは前述の流鉄へ移籍した分だけであった。
3両に関しては2024年12月までに全て運用離脱し廃車回送(一部三岐鉄道移籍)となった。車両運用に関しては4両運用に入る事がわかっていたので、それを中心に追いかける事にした。
 
 
↑このホームページ(サイト)の内容を参考にした。2024年頃から「その日の充当編成番号」がわかるようになり、どの運用(列車)で211系となっているのか容易に判明した。この手のサイトでは精度不良も一定数含むが、協力者が多い事もあってか(20年近くやっている老舗サイトだったりする)細かい車両変更でも情報が集まりやすく、すぐに情報も反映されるため、動向がすぐにわかる。
以下は2025年1月18日(土)に乗った。私の予測からして1月末までには定期列車から引退が始まると。答えとしては概ねその通りになった。

【身延線で最後に乗った211系】

 
↑2025年1月時点では身延線で走る211系は朝1往復(3523М西富士宮行き~4222М熱海行き)、夜の西富士宮行き1本~折り返し朝の富士行き1本だけであった。毎日来るとは限らない。この日は富士6時35分発3523М西富士宮行きの運用に就いていた。GG6編成(クハ210-5054+クモハ211-6006)であった。
身延線で211系に乗った回数は数える程度しかなかった(皆無ではない)。その全てが富士~西富士宮間の静岡県内のみで、西富士宮以北の区間に至っては1度も乗る事が無かった。ましては西富士宮以北で211系に乗った事のある人の方が少ないはずで、1990年代には乗り入れがあったようだが、2000年代以降(313系3000番台投入以降)は事実上消滅した。
ご存知通り、身延線はトンネル断面が小さいためパンタグラフが低い高さに対応する事が必須だ。車両の大きさ的には少なくても373系(1995年)以降に製造したJR東海の車両は”身延線仕様”になっているので、特に改造を施さなくてもそのまま走ることが出来る。但し有効長は4両までなので313系5000番台のような6両で編成を組む車両は走れない。
211系に関しては国鉄が製造した車両をJR東海風に多少のアレンジを加えている程度なので、基本的な車両寸法は国鉄が起こした図面の通りのはずだ。そのままでは身延線は走れないため、パンタグラフの部分だけを低い高さに変更した。とは言っても全てではなく、静岡所属のSS編成・GG編成に限った対応で、甲府(東海道線東京)方のSS編成がクモハ211は5600番台、GG編成が同6000番台と称していた。わかりやすい所としては車体側面の車番には「◆」が付いており、これを目印にすればすぐにわかった。一方で当初は神領車両区所属だったC編成→LL編成はその対応が無かったため、西富士宮以北への入線は不可能だった。静岡車両区移籍後に西富士宮以北の入線実績も当然の事ながら無かった。
JR東海の211系では先頭部分の表示器は行き先を掲げる事が基本だ。国鉄時代の伝統を重んじるならばこの部分は正式には種別で「普通」「快速」の方がむしろ正しい。北海道のように「ワンマン」となった事例もあったが、行き先表示にしているのはJR東海とJR九州(415系など)くらいだった。この車両は「普通」と表示していた。JR東海では非常に珍しい。恐らく「西富士宮」のコマが収録されていないためだろう。
 
 
↑側面に関してはしっかりと「西富士宮」が収録されている。
 
 
↑2/3締切(ドアカット)もJR東海211系特有のものであった。2/3締切は他社でも一部見られるが、これを積極的に採用しているのはJR東海くらいで今でも313系、315系にも標準搭載だ。但し実際に使う・使わないは担当の車掌により異なる。
 
 
 
↑ドアカット中の車内。頭上ランプ点灯中(締切中)はこのドアは開かない。中央ドアを使うように表示がある。実はこうなっている姿はあまり見る事が無かった。211系の運用の主体は東海道線で同線でドアカットする事自体が少なかった。やったとしても冬季に5分以上停車する駅に限られた。
 
 
↑富士宮~西富士宮
中途半端に高架化した区間。この下には交通量が多い県道が通っており踏切遮断が長かったため渋滞の原因になっていた。この部分だけ(約700メートル)を高架化して無理矢理踏切を解消させたのだ。そのため同駅間では全区間が高架線とはならず、西富士宮駅付近では再び地上に戻る。
 
 
↑西富士宮駅では車両の留置もある。静岡車両区の211系は313系との共演が当たり前だった。2007年以降は東海道線を中心に併結運転が当たり前となり、4両以上で運転の列車は211系単独では無い事が多かった。そうなったのは言うまでもなく「トイレあり」にする事で、単独運転でもそうだが「トイレ無し」が各方面から問題視されていた。結果的に「トイレ無し」のまま車齢を全うしたが、これが静岡車両区211系の評判の悪さに直結した事でもあった。
 
 
 
↑「証拠写真」と言わんばかりに「にしふじのみや」の駅名標も入れておく。
2023年度までは211系3両+211系2両の5両運転であったが、2024年度(2024年3月16日ダイヤ改正から)4両運転に改められ、2両+2両(313系のみの日・211系のみの日・313系+211系になる日のパターンがあった)が11月までは原則だった。12月以降は315系も4両運用に就いたため日によってはそれで運転される事も出てきた。
 
身延線(または御殿場線)の211系の特徴と言えば、中間駅では313系では定番の押しボタン式半自動ドアではないため容赦なく全ドア開く。1月の朝なので当然寒く、駅に着くごとに寒風が吹きつける。「換気」と言う意味では良い事であったが、誰も乗り降りしないドアも強制的に開くため「車内の温かさ維持」と言う意味では良くなかった。115系だとドアエンジンを制御するコンプレッサーから空気が抜けてお客が手動でドアを開け閉めできたが、211系にはそのようなものがなかった。JR東日本車は後付けで押しボタン式ドアボタンを搭載したが、JR東海車ではそのような事は一切やらなかった。
 
4222Мは身延線から東海道線直通の熱海行きであったが、この列車は珍しかった。特急ふじかわを除けば普通列車はほぼ全て線内折り返し(富士までの運転)であった。この列車を設定した目的としては富士宮市民が沼津市や三島市方面への通勤通学が一定数あった事、車両運用の都合であろう。この日の4222Мも7時09分発の富士宮駅から通勤通学客が大量に乗り込み、7時31分着の富士駅でまとまって乗り替わりはあったものの、それなりに東海道線沼津方面へ乗り越した。
4222Мから先は「東部運用」(勝手にそう言っている)で、折り返し1423М沼津行きになって沼津運輸区に入ったのちに、昼前に御殿場線で沼津~御殿場も1往復。昼過ぎに回送で静岡へ送り込まれて車両区へ入場であった。
 

【「211系ありがとう」表示はJR東海はやらず、何故かJR東日本が代わりにやった?!】

 
↑4222Мで熱海まで乗車した。折り返しの1423Мには乗らず発車を見送った。それにしても顔の色落ちが激しい。これは2022年頃から見られた現象で、本来ならば塗り直しが必要なのだろうが「長く使うわけでもないので」と割り切られそのままとなっていた。中にはLL7編成のように完全に剝げ落ちたものさえあったのが痛々しくて見ていて悲しかった。これが人でも車両でも「末期」の姿なんだなとしみじみと思った事を覚えている。
 
 
↑ところで東海道線熱海駅はJR東日本の管理だ。発車案内装置などは同社仕様になっている。
 
 
 
↑なんと!他社の車両であるにもかかわらず「211系ありがとう」の表示を出していた。しかもどの列車が211系で運転されるかわかっていたようで、それに合わせるかのような感じで表示していたのはお見事であった。これは熱海駅を管理する小田原・伊豆統括センター”謹製”である。発車案内装置にイラスト付きの表示は”職人芸”とも言われており(誰でも出来るわけではない)、どうやら同統括センター内に”職人”がいるようだ。
 
 
↑参考に同日のJR東海の沼津駅ではこのような表示を出していた。どうやら”劇押しアニメ”のキャラクターの誕生日?らしい。この事については特にコメントしない。
JR東海は伝統的に引退する車両に対しては「ありがとう」や「さよなら」などの惜別のメッセージを車両や駅頭に掲示する事は極一部の例外を除きやって来なかった。これは211系についても変わらぬ事であった。そんな事は今更言われなくても分かっていたので、どうのこうの文句を言うつもりもないが、丹那トンネルの東と西でこんなにも”差”を見せつけられるとは…。

【御殿場線で最後に乗った211系】

 
↑1423Мで沼津到着後に短めのヒルネとなったGG6編成。沼津11時16分発2616М御殿場行きとして御殿場線に入る。折り返し御殿場12時27分発の2631М沼津行きとして1往復する運用だ。身延線で乗った車両と同じであった。どの車両でもそうだが、引退直前の時期は同じ編成に偏りがちになってしまう。
 
 
↑御殿場方には313系2300番台W2編成を併結していた。2007年以降この組み合わせが当たり前であったが、もう貴重な姿となっていた。
 
 
↑クハ210-5054
 
 
↑クモハ211-6006
形式写真も何度も撮った。飽きることは無かった。それは乗車もであった。
 
 
↑側面サボには「御殿場」がしっかりと収録されていた。一方で正面サボは「普通」のままでここについては御殿場線の駅名も未収録だった。
同業者(撮り鉄)が3~4人撮影していたが、静岡地区の211系を目的に撮る人はそれでも随分増えた感じであった。昔はそんな人はかなり少なかった。「当たり前すぎた」事もあったのだが、「トイレ無し」「ロングシート」と言う事が嫌われており、興味を持つ同業者が少なかったこともあったのだろう。それが”駆け込み需要”で同業者が増えたものの、それでも数える程度に過ぎなかった。
 
 
↑クモハ211-6006の車内
 
 
↑クモハ211-6006運転台
 
昼間の御殿場線で4両と言う両数は何とも微妙だ。この日の2616Мはガラガラに等しく、私が乗ったクハ210-5054は数える程度しか乗っていない。他の車両はもう少し乗っていたが沼津を発車すればどんどん空いてゆく。これが2両だと立ち客が出るほど混雑する。ポイントなのが御殿場以東で観光客が時間帯関わらずまとまって乗ってくる。立ち客も多数出る。状況によっては積み残しが出るかもしれない。これが4両ならば座れる事が多く、立ち客が出てもそう多くは無い。3両でも…と言いたい所だが、運用上は御殿場線に入る事が少なくなっているので、他線区のダイヤとの絡みも考えれば難しいのかもしれない。
 
 
↑岩波で11時40分発5535М沼津行き(313系3000番台V10編成)と交換待ちのため3分ほど停車。この辺りは御殿場線の中でも登り勾配がキツいので211系もしんどい走りになる。流石にモーターも唸りながら走る。これも国鉄世代の電車まででJR世代(VVVF制御)の電車だとそう言う事もなくなった。313系なんて何もなかったかのようにスーッと登ってゆく。
 
 
 
 
↑御殿場駅の折り返し時間を使って211系が御殿場に来た記録を残す。御殿場線で211系に乗ったのもこれが最後であった。
 
 
↑2631Мとして沼津に到着すると(3番線)回769М回送として静岡に向かう。これは運用上の都合で沼津~富士~静岡の回送は1日に数本設定されている。反対側の4番線には13時05分発452М熱海行きとしてGG9編成とすれ違う。211系どうしの共演も最末期の頃であった。
 
…この日については211系三昧で話が長く続くので今回はこの辺りにしたい。
ふと思って211系の乗車回数を数えてみると4,000回以上はあった。具体的な回数まではわからない。計算上おおよその回数であった。4,000回以上乗っても飽きることは無く、「これが当たり前の電車」と思う所さえ思った。そう思えば先代の113系や115系の方が圧倒的に少なく、それでも1,500回以上は乗ったはずだ。
別に「乗車回数自慢」をしたいわけではないが、211系の歴史=私個人の歴史でもあるのだと思った。
 
 

【雨の中で伊豆急行線の有名撮影地に行くとこうなる】2025年4月鉄道友の会静岡支部主催撮影会

鉄道友の会静岡支部は2025年4月13日(日)に伊豆急行線で撮影会を行った。本来は静岡県伊東市にある大室山の山頂付近から俯瞰で撮影する…予定だった。だがこの日は雨になった。麓のバス停から山頂まではリフトで接続するが、肝心なリフトが雨のため運休となった。そうなる可能性があると最初から織り込み済みでもあったので、別の場所も用意してあった。場所は片瀬白田駅近くで雨宿りしながら撮影出来る場所であった。私の中で「片瀬白田」と聞けば伊豆急行線でも有名なあの撮影地で「せっかく来たんだから」と思って果敢にも行ってみた結果こうなった。

 

実施日=2025年4月13日(日)

 

【乗車列車・ゆき】

伊豆高原11時14分→片瀬白田11時28分の5637М伊豆急下田行き(アロハ電車3000系・Y2編成・後ろ4号車クハ3002乗車)

 

【乗車列車・かえり】

片瀬白田15時08分→伊豆高原15時22分の5656М熱海行き・2100系・7両・RS3編成キンメ電車・7号車クハ2155・1986年ブルーリボン賞

【雨で場所が変更になったので伊豆高原駅へ】

 

↑国道135号沿いにある道の駅伊東マリンタウンに着くと断続的に雨が降っていた。

一応支部員に対しては伊東駅まで電車で来て、そこから路線バス(東海バス運行で小田急グループ。JR東海バス並びにJR東海とは無関係)に乗り換えて大室山の麓まで行き、リフトに乗り換える事になっていた。麓まで車で直行するのもありで、その辺は各自の判断による。

私は車で直行する事にしていたのだが天気予報を見る限りは雨予報。リフトの運行有無は当日朝9時頃にならないとわからないため、別の支部員からの連絡が入るまでは待つことにした。朝8時の段階で雨が強かったので「片瀬白田でしょう」と思っていると連絡が入って案の定そうなった。車の走行経路も変わり道なりに国道135号線を下田方面へ南下する。「少しだけ電車に乗ろう」と思ったので伊豆高原駅の駐車場に止めておく。

 

 

↑伊豆高原駅に到着。東急㈱が管理するP2駐車場に止めておく。駅舎からは200メートル程度離れている。駐車場台数もそれなりに多い。

 

伊豆急行線駅隣接!時間貸し/日貸し駐車場のご案内|お知らせ|伊豆急-おすすめ電車旅<観光・海・リゾート・温泉>

 

↑ここに駐車料金が書いてあるが。2025年3月31日までは1日500円だったようだ。同年4月1日に改定され6時間までが700円に値上げした。6時間を超過するとさらに700円ずつ課金される仕組みだ(上限料金なし)。そのため6時間以内に出発出来るように時間調整する必要があった。

 

 

↑この建物が伊豆急行㈱の本社らしい。1社だけではなく関連会社(㈱伊豆急ホールディングス、㈱伊豆急コミュニティーなど)も同居するらしい。これが伊豆高原駅の駅舎の前にあって、建物の規模も大きいので一見するとこれが駅舎と勘違いする。

 

 

↑伊豆急行㈱の本社建物近くからは伊豆高原駅のホームと車庫が高い所から見ることが出来る。

 

 

↑伊豆急行㈱の本社から少し離れた場所にあるのが伊豆高原駅の駅舎だ。

 

 

↑基本的には列車別改札との事だが、交通系ICカードや乗り放題きっぷがあれば列車が来ない時間帯でも比較的自由に入場出来る。特急踊り子に「えきねっとチケットレス特急券」で乗車(または下車)する場合は、スマホ画面に表示させた内容を駅員に見せる事になっている。

 

 

↑時間があったので伊東方の構内の端にあるクモハ103を見る。公道(歩道)から直接見ることが出来て、自動車の交通量も少なくない。

 

 

↑E257系(9両・東大宮NA09編成・10時42分発3022М特急踊り子2号東京行き)

も記録(撮影)しておく。かなり座席は埋まっていた。前泊した観光客が横浜や東京に行く人が多いのだろう。

伊豆急行線の撮影(や乗車)は今も昔も特急踊り子が主役だ。車両が185系→E257系に変わってからもう4年も経過した。E257系も長くは活躍してもらえると思うが、伊豆特急は歴史的に見ても車両の変化が比較的多いので「当たり前」と思っている車両も気付いたら消えていた事は十分あり得る。そうなる前に普段から記録を残しておきたいものだ。

【アロハ電車3000系で片瀬白田駅へ行く】

 

 

↑アロハ電車3000系に乗る。元はJR東日本209系であった。2022年に登場した頃は4両×2本=8両で運用していたが、少ししてから4両で運用する事が基本になったらしい。ワンマン運転非対応のため全区間で車掌乗務となる。この車内で参加の支部員と合流する。

 

 

↑伊豆北川駅付近の車窓

 

 

 

↑片瀬白田駅で下車した。雨模様の天気で撮影には基本的に不向きだ。片瀬白田駅は無人駅で交通系ICカードは簡易委託機にタッチする。支部員の中には紙の乗車券で乗った人もいたが、その場合は回収箱に投入するだけとなる。伊豆高原駅からの運賃は503円であった。乗車時間は14分程度で距離にすれば10キロ程度に過ぎない。伊豆急行線は「運賃が高い」と言うイメージは昔からあるが、短距離の乗車でもそう感じてしまう。

すぐに撮影とはならず、片瀬白田駅近くの中華料理店に行く。この店は地元では有名(繁盛)店で名物の「肉チャーハン」(1,000円)は世間一般的なチャーハンとは異なる独特な味であった。ラーメンやギョーザもあって「チャーハンよりはラーメンの方が…」と迷ったが結局チャーハンとなった。今度来た時はラーメンにしたい。

【雨宿りをしながら伊豆急行線の列車撮影会】

 

 

↑片瀬白田駅から線路沿いに伊東方面に向かって歩くと公衆トイレ、日本庭園となっている。その一角に屋根付きの休憩所があり、この辺りで雨宿りでもしながら列車撮影を行う。野良猫が数匹いてそのお世話もしていた。

 

 

↑伊豆急行8000系(3両・TB5編成・下田方クハ8005・12時10分発5646М熱海行き)

完全に雨宿りしながら撮るとこうなる。カメラをズームすれば「近い所から撮りました」的な写真も出来る。桜は雨で散っておりまさに「花散らしの雨」となっていた。

 

 

↑E257系(9両・東大宮NA××編成・12時30分通過・3024М特急踊り子4号東京行き)

 

 

↑伊豆急行8000系(3両・TB7編成・下田方クハ8007・12時49分発5641М伊豆急下田行き)

 

 

↑伊豆急行3000系(4両・Y2編成・12時49分発5648М熱海行き・5637Мの折り返し)

 

雨宿り出来る小屋から離れて近くの川沿いから撮影する。カッパを着ていたとはいえ、カメラを濡らさないようにするためには、木の枝の下などから列車が来るのを待つ事になった。そのまま雨宿りしながら撮るか、川沿いから撮るかは支部員それぞれであった。

【「片瀬白田」と聞いて伊豆急行線で有名な撮影地に雨天決行で行くとこうなる】

 

↑「片瀬白田」と聞いたらこの撮影地である。伊豆急行線ではまず筆頭に出てくるほどの有名な撮影地だ。個人的にここに行くと概ね天気は悪い。日本晴れなんていう日は皆無で、良くて薄曇り。ガッツリ曇っていて普通の事が多い。

ここに行く旨を支部員に伝えると「雨なのに行くの?」と驚かれた。一応カッパは来ているので傘で行くよりは多少有利のはずだ。長時間雨に濡れるのも嫌だったので10分で3本通る時間帯があったのでそのタイミングを狙った。

 

 

↑その前に片瀬白田駅に寄る。窓口は閉鎖済み(昔は有人駅だった)。路線バスにあるような乗車駅証明整理券がある。ICカードが無い場合は整理券を取り、車掌から精算するか、下車駅で精算(無人駅の場合は回収箱に必要な金額を投入)と言う形になっている。ICカードのチャージ機も無いので残高不足にならないように伊豆急行線に乗った方が良いだろう。

 

 

↑改札口を通ると手前が2番線、奥が1番線となる。基本的に2番線が伊豆高原・伊東・熱海方面、1番線が河津・伊豆急下田方面となる。

 

 

↑とりあえず2番線に入る。相対式ホーム。伊東・熱海方を見るとどちらの番線にも出発信号機がある。つまり1番線から伊東・熱海方面行きとして発車する事も出来なくはない。

 

 

 

 

↑その逆(伊豆急下田方面)も然りで2番線をE257系(9両・東大宮NA04編成・13時00分通過・8027М特急踊り子7号伊豆急下田行き・2番線通過・車掌が通過監視する)が通った。特急踊り子は営業停車しないためどちらの番線を通っても旅客には特に問題ない。伊豆急行線には他にもこのような配線をした駅がある(伊豆大川など)。

 

 

 

 

↑1番線に入る。有効長は10両程度あるが、停車列車は最大でも7両だ。早朝や夜間は3両運転があるため伊豆急下田方のホームの端には停まらない旨の案内もある。伊豆急下田方面に対しても1番線・2番線から出発可能で、右側の2番線のそれは青(進行)現示になっている。

 

 

 

 

 

↑E261系(8両・東大宮RS2編成・13時09分通過・3001М特急サフィール踊り子1号伊豆急下田行き・2番線通過)

これも2番線通過であった。2020年に登場して以来ほぼ毎回撮影はしているが乗車は一度も無い。2021年にローレル賞を受賞した車両でもあるので遠くないうちに乗ってみたい次第だ。

 

 

↑有名撮影地に到着。片瀬白田駅から徒歩10分程度。急斜面の所で撮るので動きやすい靴や服装で来た方が良いだろう。小さな鳥居があるのでこの付近とする。雨が断続的に降る。防水カメラなのか正直わからないが、レンズが濡れてしまうと一緒に水滴も写ってしまうので、そうならないように頻繁にレンズを拭く。流石にこの天気だと当支部関係者以外の撮影者は誰もいなかった。

 

 

 

↑E257系(9両・東大宮NA06編成・13時30分通過・3026М特急踊り子6号東京行き)

 

 

↑伊豆急行8000系(3両・TA1編成・下田方クモハ8157・熱海駅100周年HM・13時40分発5650М熱海行き)

 

 

 

 

↑2100系(7両・RS3編成キンメ電車・13時40分発5643М伊豆急下田行き)

”短期集中”で10分で3本撮った。3本とも異なる形式の車両だった。キンメ電車については暗くなってしまったが、加工すればある程度はごまかせる(掲載の写真は未加工)。伊豆の青々とした海と空をバックに伊豆急行線を撮るならば晴れの日に限る。その事がわかった。あえて雨や曇りの日の記録(撮影)をブログなどに公表する人は少ないかと思う。「雨や曇りの日に片瀬白田の有名撮影地で撮るとこうなります」と他の人があまりやらない事をやっても面白いかと思った。ある意味貴重な?記録となった。

【ブルーリボン賞のマークがあれば撮りたくなる】

 

↑伊豆急行8000系TB7編成/下田方クハ8007/14時21分発5654М熱海行き

有名撮影地に行った後は再び雨宿り出来る小屋の辺りに戻る。15時少し前までだったのでこの間にも列車撮影する。それでも必ずしも全列車では無く、一部は撮っていない列車もある。そうなった理由も支部員の間で世間話をしていたので、列車の通過よりも話の方に夢中になったためである。そう言うものである。

 

 

↑片瀬白田駅から5656М熱海行きに乗るとブルーリボン賞のマークが付いていた。伊豆急行2100系がそれを受賞しているのは支部員は全員知っているはずだが、実車にそのマークが付いているのを見ると嬉しくなるものでもある。一般客には邪魔にならない形で1986年ブルーリボン賞のマークを撮る支部員が多かった。

【最後に】

雨の撮影会は大変なものとなった。数か月前から日時、場所などを決めているので、天気だけは当時にならないわからない。支部員(または支部に所属していない鉄道友の会の会員)に行事実施の旨を伝える時に「雨天決行」「少雨決行」「雨天中止」と言った断りはだいたい付く。屋外での行事はどうしても天気に左右されがちだ。これだけは仕方がない。2025年10月に別の場所で撮影会行事を実施する予定になっていたが、この日も雨で結果的には前日の段階で雨天中止が決まった。天気に恵まれない事もあってか?2025年度の屋外行事は12月上旬時点ではこれ以外に出来ずにいる。
 

【道南いさりび鉄道線函館~上磯・駅も車内もハロウィン装飾】北海道の普通列車の代表キハ40に乗る

道南いさりび鉄道線は函館本線の五稜郭駅から木古内駅までの全線単線電化の路線である。2016年3月25日まではJR北海道の江差線であったが、北海道新幹線新函館北斗開業に伴い並行在来線に指定された。江差線時代から旅客輸送(普通列車のみ)が少なく、一方で貨物列車の本数が非常に多く北海道~本州の物流の大動脈でもある。

現状(2024年10月時点)の旅客列車は函館~上磯間の運転が主体で、上磯~木古内間の運転は2時間に1本程度である。木古内駅における北海道新幹線との接続は必ずしも良いとは言えない。遠くから来た人にとっては「函館から上磯までの短い区間だけしか本数が多いんだ!」と思うかもしれない。地図や人口分布を見るとわかるが、この区間だけは人口がそれなりにあって鉄道の利用も多い。上磯~木古内はそうでもないし、途中駅からの乗り降りも少ない事がダイヤとして反映されている。

車両はJR北海道から継承されたキハ40が9両あって、1両ずつ塗装の色が異なる。これはJRであったら出来なかった”芸当”だろう。道南いさりび鉄道線の車庫はJR北海道函館運輸所(函館~五稜郭間の車窓からも見える)に併設の形となっており、道南いさりび鉄道線に入ると営業列車でないとキハ40を見る事は出来ない。

今やJR北海道の路線では無いので、「北海道フリーパス」は使えないが(道南いさりび鉄道線の運賃が別途必要)、「はこだて旅するパスポート」は使える(道南いさりび鉄道線+函館本線函館~森+函館市電+近郊の路線バスに1日または2日乗り放題)。元々道南いさりび鉄道線に乗る予定では無かったが函館駅で急に気分が変わって乗る事にした。車内や駅はハロウィン仕様になっていたが、車両や駅設備は必要最小限の投資でギリギリのレベルで維持しているようにも見えた。そうであっても「乗りたい」と思わせる鉄道だ。

 

乗車日:2024年10月31日(木)

列車番号:1154D(道南いさりび鉄道線・上磯行き)

時刻:函館7時42分→上磯8時05分

車両:キハ40-1812+キハ40-1793(ながまれ号)

備考:道南いさりび鉄道線内は北海道フリーパス使用不可(別途運賃が必要)

列車番号:1155D(道南いさりび鉄道線・上磯発函館行き)

時刻:上磯8時27分→函館8時49分

車両:キハ40-1793(ながまれ号)+キハ40-1812

備考:道南いさりび鉄道線内は北海道フリーパス使用不可(別途運賃が必要)

 

【函館駅ホームは長さが短い1番線・2番線から発車が基本。「気まぐれ汽車旅」により当初予定に入っていなかった道南いさりび鉄道線に急きょ乗る事に】

 

↑↑右側のキハ40-1806で函館本線4850D(大沼6時53分→函館7時32分)で函館駅へ戻る。5時49分発の5881D藤城線経由森行きで発車した際にはまだ真っ暗だったが、7時半ともなれば朝日に浴びる事になる。当初予定では再び函館本線を戻る形で8時18分発821D長万部行きで大沼公園へ行き散策後、大沼公園10時12分発4D特急北斗4号で函館へ再び戻り、その後は函館市電…のはずだった。

ここ3~4年は経験値が増えたのか?欲が増したのか?知らないが、当初予定通り進む事の方が珍しくなった。いや、それどころか前夜までにガッツリと乗車列車を細々と予定する事がなくなった。行先は「その日の気分次第」である。その日にならないとどこへ行くのか?さえ不明なのだ。それが旅の醍醐味である事を知った。乗り鉄的には「気まぐれ汽車旅」(種村直樹氏の著書でも有名)とも言うが、これ知ってしまったのだ。そうなれば”予定崩壊”(旅程崩壊)は当たり前で、その時の気分次第でフラッと途中下車したり、進む方面が違う列車に乗り換えて全く違う場所に向かう事も増えた。むしろそうでないと面白味を感じなくなった。1人ならばそう言う事は自由に出来るが、2人以上いるとそうは出来ないはずだ。

 

4850Dは2番線の到着だった。このホームは3両分しか有効長がない。函館地区の気動車普通列車ならば特に問題ない両数で、基本的には道南いさりび鉄道線が使うホームなのだが、到着列車に関しては函館本線も使っているようだ。

隣の1番線には「東南アジアか!」と思うような派手なキハ40-1812が止まっている。珍しく2両運転で後ろには観光列車「ながまれ号」で使うキハ40-1793も連結している。車両の組み合わせもあったが、「道南いさりび鉄道線に乗ってみるか」と急転換した。決まるまでには1分もかからなかったはずだ。紙の時刻表を開く暇がなかったので、スマホでYahoo!乗換案内アプリを開いて急いで調べると1番線の列車は7時42分発の上磯行きとわかった。

 

 

↑キハ40-1812

なんとも派手な色でキハ40の歴代塗装の中では最も目立つ

 

 

 

 

 

 

↑観光対応車になっているとは言うものの、基本的には他のキハ40と同じである。観光列車として運用するに限り必要な設備(テーブル・アンプなど)を簡単に搭載出来るように多少の改造を施しているのであろう。普段は一般定期列車として運用されている。

 

 

 

↑当然会社も異なるため、掲示物のデザインも異なる。道南いさりび鉄道線にも駅番号は設定されているが、全国で唯一アルファベットは小文字のみで木古内がsh01、上磯がsh07となる。五稜郭については道南いさりび鉄道線としては駅番号の設定が無く、JR北海道のH74をそのまま使う。

「北海道フリーパス」では道南いさりび鉄道線に乗車することが出来ない。五稜郭駅からの乗車分の定価運賃が必要だ。4850Dは「北海道フリーパス」で乗っていたので、ラッチを出ずにそのまま1154Dに乗り移っても良かったが、下車時に「五稜郭駅から”北海道フリーパス”で乗り越した」と言う旨を運転士に説明するのが面倒だったので、一旦ラッチを出た。自動改札機の横に道南いさりび鉄道線専用の券売機があるので函館→上磯の片道乗車券430円(金額はこの当時・2025年4月1日からは480円)を買う。この中にはJR線の函館~五稜郭の運賃も含まれているが細かい事は気にしない事にした。

 

【典型的な朝の輸送列車だった道南いさりび鉄道線1154D上磯行き。途中駅で交換のキハ40はどれもカラフルだった】

 
↑函館~五稜郭間は函館本線を通る。運賃計算上はJR線のものが適用となる。道南いさりび鉄道線のみの運賃は五稜郭~木古内の間となる。そのため函館~五稜郭の定価運賃+五稜郭~上磯(道南いさりび鉄道線で下車する駅まで)の定価運賃の単純合算となる。五稜郭駅から道南いさりび鉄道線に入る。
 
 
↑五稜郭~七重浜
 

 

↑七重浜駅(キハ40-1798・国鉄気動車急行色・7時52分発1153D函館行きと交換)

 

 

 

↑久根別駅(キハ40-1814・7時59分発123D函館行きと交換・有効長が長い)

 

次の清川口駅は北斗市役所前で「かなで~る」と称する文化会館の前にある。流石に”市役所前駅”は下車するお客が多く一気に車内は空いた。客層も通勤通学客が主体でこれが日常的な利用と言える。道南いさりび鉄道線は五稜郭~上磯間がボリュームゾーンなのでこの区間に列車が多く設定されるのは納得出来る。123Dは木古内発のロングランであったがその割には空いていた。途中でまとまった下車があったのかもしれないが、2020年に同時刻の列車に乗った時も木古内→上磯で混雑することは無かった。

【上磯駅は折り返し列車のみ非電化のホームに入る】

 

 

 

 

 

↑上磯駅は非電化の1番線に入る。運転士に函館からの乗車券を渡す。道南いさりび鉄道線では途中に有人駅が無いため下車時の乗車券回収と運賃精算は必ず車内で行う。途中駅では概ね券売機が設置されているので乗車券を購入する事は可能だ。Kitacaエリアにはなっていない。

木古内方に線路は続いておらず行き止まりであった。1番線だけが単式ホームで、2番線(木古内・青森方面)+3番線(五稜郭・函館方面)が島式ホームだ。上磯駅からの始発列車は1番線、木古内発の列車は3番線を使う。島式ホームの方は電化となっている。これは貨物列車が使うためのもので、1988年3月13日に青函トンネルが開業した時から現在に至るまで継続使用となっている。

 

「道南いさりび鉄道線は旅客列車が気動車なのだから、架線を撤去して非電化にした上で貨物列車もディーゼル機関車に置き換えてしまえば良いのに」

 

と思うかもしれないが、青函トンネルではそもそも内燃車(ディーゼル機関車・気動車・SL)自走による走行は禁止となっている。つまり電気車(電気機関車・電車・新幹線)のみが通れる。これは53キロと言う長大トンネルでは火災事故が発生したら人命にかかわる大事故に直結する。何らかの理由で内燃車のエンジンから火を噴くよう事故(JR北海道が2013年にキハ183系特急北斗でやらかした)がそんなことあれば火災事故のリスクは高まる。それを防止するため最初から内燃車の自走を禁止しているのだ。但し電気機関車などにけん引される分には問題なく、JR北海道向けの内燃車甲種輸送(最近だとH100形やキハ261系1000番台)も不定期だが運転した実績は多い。以前はキハ183系5200番台の「ノースレインボーエクスプレス」が札幌(または函館)~弘前間で運転した事があり、青函区間(函館~青森)はED79にけん引する形で営業運転した実績もある。

…話を上磯駅3番線に戻すと、このホームには現在貨物列車が入る事がないので(1985年までは日本セメント(現在の太平洋セメント)上磯工場向けの輸送があった)非電化でも特に問題ない。

 

 

 

↑駅舎を出て3番線に止まるキハ40-1793+キハ40-1812を記録する。

 

 

↑キハ40-1793サイドビュー

 

 

↑キハ40-1812サイドビュー

【上磯駅の待合室はハロウィン装飾だった】

 

↑上磯駅は北海道の地方部では珍しく橋上駅であった。”北海道仕様”として「南口」と書いた部分にも屋根に覆われた待合室があり、その先に改札口へ連絡する階段→こ線橋へ進む。自転車が何台も止まっていたので上磯駅から道南いさりび鉄道線に乗車している人が一定数居る事が分かる。

 

 

↑昭和50年代に作られただろう「←上磯駅」の表示。こ線橋通路と駅待合室の間には仕切りドアがある。これも”北海道仕様”で道内ではごくごく当たり前の作りだ。

 

 

↑改札口(らしきもの)の先で二手に分かれるが、前述のように単式ホームは1番線、島式ホームは2番線か3番線となるのでここで分岐する。発車案内装置は無いので、どのホームから発車するか?は駅備え付けの時刻表で都度確認する必要がある。

 

 

 

↑待合室には椅子、券売機(キャッシュレス支払い可能)、ハロウィンが居た。これも第三セクターになってからの変化と言えよう。いろんなオバケが居るのも見ていて楽しいものだ。その中にKitacaのエゾモモンガ氏も一緒に写りたかったようで道南いさりび鉄道のハロウィンと記念撮影する。繰り返しになるが道南いさりび鉄道線ではKitaca等の交通系ICカードは使えない。

 

【車内もハロウィン装飾】

 

 

 

 

↑帰りの1155Dはキハ40-1812に乗る。この車内はハロウィン装飾となっていた。他に七重浜駅で交換した1153Dで運用していたキハ40-1798もハロウィン装飾だったらしい。基本的な車内の作りは他のキハ40と変わらない。多少の装飾を施した程度で、最近では民鉄を中心に秋の風物詩となっている。ここでもKitacaのエゾモモンガ氏と記念撮影する。

 

 

 

↑清川口駅

かなり派手な目立つ感じの駅舎だ。単なる棒線駅ではあるものの印象に残った。

 

 

↑久根別駅

 

 

↑東久根別駅では道南では珍しく車掌車改造の駅舎が残っていた。

 

 

↑七重浜駅

【五稜郭駅は貨物列車の機関車の付け替えを行う。道南いさりび鉄道の車庫はJR北海道の函館運輸所に同居】

 

 

 

 

↑五稜郭駅

五稜郭機関区が近くにあるため、機関車の付け替えも頻繁に行われる。運行形態としてはスイッチバックで、函館方にEH800形式が連結の場合は青森(信)または東青森からの到着列車(→札幌(タ)行き)、青森方にそれが付いている場合は札幌(タ)などの道内各所からの到着列車(→本州方面行き)となる。ディーゼル機関車(DF200形式)の場合は関係が逆になる。「ごりょうかく」の駅名標の目の前に連結していたEH800-901は本州方面行き(列車番号と行き先不明)であった。

1155Dの乗車客は立ち客が多数出るほどではなく、どの駅でも平均10人前後が乗車する。必ずしも函館一辺倒ではなく、七重浜駅で10人以上下車した。少ない(細い)ながらも線内流動もある事が分かった。そして五稜郭からはまとまった下車が始まる。車内放送は函館本線に入ると律儀に「JR北海道をご利用…」と他社名で挨拶するのは好感だった。これが函館到着前では「今日は道南いさりび鉄道とJR北海道をご利用…」とまさかの”併用”でこれは全国的に見ても非常に珍しい放送文面であった。

 

 

↑五稜郭~函館

函館運輸所が見えて来た。ここにはJR北海道のキハ40、キハ150に交じって道南いさりび鉄道のキハ40も止まっている。1つの車庫で2社以上の車両が止まっている事例は新幹線を中心に多数あるが、基本的には相手方会社の所属なので実務的な所(車両の移動や仕業検査等)はそちらの方で行う。それに対してここは名目上はJR北海道の所属だが、道南いさりび鉄道の車両基地と言う役割もあるので自社車両は自社で実務的な事を行っているはずだ。

ここは普通列車専門の車庫で、大きな部署名こそは同じだが特急車両は別で管理しており、函館駅ホームから海沿いに向かってキハ261系などが大量に止まっている事が日常的な姿だ。特急北斗は日によって利用動向が異なるためか?基本は5両と言う体制にしておきながら、利用が多いと予想される日や列車は、ここから余っている車両を出して増結するのが日常的な姿であった。だが最近はそうでもなく、1日の中で運用途中に一旦ここへ移動させて車両の増結(または切り離し)を行う事は少ないようで、それを行うならば運用終了後(夜間や早朝)に行う対応のようにもなっていると運用調査していて感じた。

 

…道南いさりび鉄道は「木古内駅で新幹線を下車すれば1時間早く北海道旅行を開始出来る」と本州方面(特にJR東日本管内)で謳っていた。最近はそのようなキャッチコピーも見なくなった?ような気がするが、木古内駅付近は道の駅が整備されてキレイな街並みになっている。木古内駅付近の現地調査が不足しているため今度改めて行いたい。

ところが木古内駅まで行くことが出来る道南いさりび鉄道線の本数が少ない。それは輸送需要に応じた形になっているので、反面仕方ない所もあるが、停車する新幹線の本数も増えてもらえれば使いやすい鉄道なのは明らかだ。一応は青春18きっぷでもオプション券を買えば木古内駅以外での乗降は出来ないが青春18きっぷだけで乗る事が可能な鉄道という事も忘れてはならない。…と偉そうに言っておきながら私はその”乗り方”は一度もやったことが無い。これも早いうちにやっておきたい。

 

 

JR完乗(完全乗車=全路線全区間乗車の意味)を目指す向きにとっては函館本線の函館地区は乗るのに苦労する区間だ。前回(2025年12月11日公開)の記事で森→鹿部→大沼の「砂原線」に乗った事について述べたが、ここは特急が通らない事と本数が少ないので乗車難易度が高い。

新函館北斗駅(旧渡島大野駅)が出来て新幹線接続が必須となったため、七飯~大沼間は仁山駅経由が旅客列車では必須となった。下り(札幌方面行き)貨物列車ではショートカットする意味合い+仁山経由のキツい登り勾配を回避する目的で別に線路が敷かれており、下り列車専用となっている。これを「藤城線」と言う。

藤城線は約13キロあるが途中に駅は無い。七飯駅から藤城線に入ると進行方向に向かって左側に新函館北斗駅や北海道新幹線の車両基地をかすめるように通り過ぎる。そのため藤城線経由の列車は新函館北斗駅は経由しない。函館駅、五稜郭駅、七飯駅から乗車した時に「全ての列車が新函館北斗駅に停車する」と誤認しているお客が多く、乗車した列車が藤城線経由で新函館北斗駅は通らなかった…という事も少なからずある。それでも年々藤城線経由の旅客列車は減少しており、2024年3月16日ダイヤ改正で3本、2025年3月15日ダイヤ改正で2本までに減少している。「ほとんどの列車は新函館北斗駅を通る」と解釈しても概ね間違えないが、それでもその2本だけは新函館北斗駅は通らないのでここに大きな落とし穴がある。ちゃんと駅や車内では「新函館北斗駅は通りません」と案内しているが、それでも誤乗が後を絶たない。

今回は藤城線に乗る…と言うよりは北海道の普通列車の代表である「キハ40」に乗るためでこれがメインだった。偶然乗った列車が藤城線経由だったというわけだ。この列車は函館発鹿部経由森行きだが、函館地区では非常に珍しくキハ40による3両運転だ。単行が珍しくないのに3両とは”豪華な列車”だ。しかし、全区間3両ではない。途中の大沼駅で2両切り離しになる。切り離した車両は折り返し函館行きとなって朝輸送を支える。

 

(2024年10月31日乗車列車)

列車番号:5881D(函館本線藤城線・鹿部経由森行き)

時刻:函館5時49分→大沼6時26分

車両:キハ40-1778(乗車・森行き)+キハ40-1806(大沼で切り離し)+キハ40-1801(大沼で切り離し)

列車番号:4850D(函館本線仁山経由函館行き)

時刻:大沼6時53分→函館7時32分

車両:キハ40-1801+キハ40-1806

備考:5881Dの折り返し

列車番号:823D(函館本線藤城線・駒ヶ岳経由長万部行き)

時刻:函館12時35分→長万部14時56分

車両:キハ150-3(乗車・森行き)

 

※2025年3月15日ダイヤ改正では5881Dは新函館北斗・仁山経由に変更された(函館5時49分→新函館北斗6時14分~6時24分→大沼6時36分~6時40分→森7時44分)

※藤城線部分については同日昼間に乗った823Dで撮影した車窓写真も掲載する

 

【キハ40堂々の3両で函館→七飯→藤城線→大沼と乗る】

 
↑朝5時30分過ぎの函館駅。まだ暗い。この日の函館の日の出は6時08分であった。「朝が早い」と言うのは”乗り鉄あるある”でもうウン十年もやっているので慣れてしまった。むしろ朝早く出ないと気が済まなくなった。
普段テレビは全く観ないが北海道に来ると何故かSTVが観たくなる。ラジオの方は土曜日(日高晤郎ショー時代から現在の木村洋二~明石英一郎の名コンビが続けて土曜ワイド番組を担当する現在の流れに至るまで)は毎週聴く。ラジオの方は別に北海道に居なくても聴ける。北海道に来たので北海道の情報でも仕入れておこうか…となる。そのためか「どさんこワイド朝」(平日朝5時20分から)・「どさんこワイド」(平日15時50分から)・「1×8行こうよ」(日曜日16時55分から)は出来る限り観るようにしているが、列車は決まったダイヤで運行するので乗車・撮影時間中は当然観る事が出来ない。この日のマルヨ(宿泊)先の出発も5時頃だったので観る事は出来なかった。こう言うのも”乗り鉄あるある”だ。結局は列車のダイヤで1日の行動がすべて決まってしまうと言っても過言ではない。
朝5時台に函館駅を発車する列車は5881Dくらいしかなく、6時になって2D(特急北斗2号札幌行き・むしろこの乗車が多いだろう)、1321М(普通はこだてライナー新函館北斗行き)と続く。そのため駅前を出歩く人も数限られる。これが「函館朝市」付近であれば話は別だが。

【4面8線の函館駅。「藤城」と経由地を表記する藤城線の列車。新函館北斗駅には行かない案内も表示されるが誤乗が多い】

 
 
↑函館駅の改札口は5時30分に開く。一番列車が5時49分発なのでこうなるのも当然だ。
 
 
↑函館駅の発車案内装置。右側がJR北海道が使用し、左側が道南いさりび鉄道線が使用する。「津軽海峡線」と称している頃は左側は「本州方面」となっていたので壮大さを感じたものであった。北海道新幹線開業後(2016年3月26日以降)は函館駅からの一般旅客列車は青函トンネルに入る事はない。
右側の最上段は「改札中 普通 5:49 森(藤城・鹿部)3(番線)」と表示している。このカッコの部分にさりげなく「藤城」と書いてあるが、恐らくほとんどのお客は「藤城」が何を意味しているのか?わかっていないはずだ。一応補足として最下段に「新函館北斗駅は通りません」とスクロールされる。
 
 
↑函館駅の自動改札機は長年ICカード非対応であったが、2024年3月16日から函館~新函館北斗間に限りKitacaエリアになった。自動改札機もICカードが使えるようになっていた。私はこの時はICカードが使えない区間に行くため「北海道フリーパス」を自動改札機に入れる。
 
 
↑函館駅のホームは1番線~8番線(4面8線)ある。改札口に近い所から1番線と2番線が函館本線普通列車と道南いさりび鉄道線(ホームの長さが3両分)、3番線と4番線が予備ホームのような扱い(主に函館本線)、5番線と6番線がはこだてライナー、7番線と8番線が特急北斗と言うのが基本的な使い方だ。特急北斗については3~6番線を使う事もある。
ご存知の通り函館駅は函館本線の0キロポストがありその辺りが”どんつき”(突き当り)となる。”どんつき”を横切るように旅客通路が構成されているので、各ホームとの移動はスムーズに出来る。
 
 
↑本州方面~札幌方面の乗車券(新函館北斗駅で新幹線から特急北斗に乗り換える場合)では今や経路上は函館駅を経由しない事になっている。乗車経路分岐の特例も存在しないため、この手の乗車券の場合は別途追加運賃(片道440円はこの当時・2025年4月1日からは470円)が必要だ。
 
↑3番線と4番線の入口。発車案内装置はここにもある(表示内容は改札口のものと同じ)。紙の掲示物では「藤城」と表示になっている列車、七飯行きの列車(16時14分発1875D・土日祝日運休)、道南いさりび鉄道線の列車は新函館北斗駅には行かないと書いてある。函館本線の対象となる列車の時刻までご丁寧に書いてあるが、それでも誤乗が多いようだ。
 

【キハ40の堂々の3両】

 
 
 
 
 
↑3番線には堂々とキハ40が3両でお客を迎えていた。運転上はワンマンであるが、JR北海道の場合3両以上では「補助」として運転士とは別に乗務員が乗る事がある。主にドア閉めの際にホームの安全を確認するためで、車内に出て無札客に対して乗車券発売は行わない。
この写真を見れば一応は「キハ40が3両連結している」事が分かるだろう。3両とも営業する(乗車することが出来る)。JR北海道も一部では、後ろの車両は回送のため乗車出来ないと言う運用もある(留萌本線が留萌や増毛まであった頃など)。
 
 
↑車内は前日に乗車したキハ40-1801と同じである。特に差異は無かった。
森行きは前1両(キハ40-1778)のみで、後ろ2両は大沼で切り離しと案内される。
定刻で函館を発車する。流石に早朝のためお客は少ない。新函館北斗も通らないのでなおさらだ。
五稜郭には5時54分。貨物列車が入替中であった。
桔梗には6時01分。Kitaca等の交通系ICカードで降りる場合は運転士にカードを見せて、駅の改札機にタッチするルールだ。これは御殿場線や身延線のワンマン列車と変わらない。
大中山には6時05分。函館の駅弁で有名な「みかど」の工場がある。昨日(10月30日)の森駅の「いかめし」と言い、函館駅の「みかどの駅弁」と言い、食べた事が(ほぼ)無いので”駅弁乗り鉄”もやりたいものだなぁと思った。
七飯には6時09分。2人乗ってきた。藤城線経由の場合はICカードエリアはこの駅まで。前方を見ると新函館北斗・仁山方面が本線で(進行方向右側に進む・電化されている)、藤城線経由の方が副本線の扱いで大きく左に曲がる形で何気にキツい登り坂から始まったりする。

【早朝と昼間の藤城線の車窓】

 
 
↑藤城線に入って遠くに新函館北斗駅が見える
 
 
↑大沼駅が近づくと「小沼」と駒ヶ岳が見えてくる絶景車窓になる。七飯~大沼間をショートカットした形で”時短効果”を感じる。だが5881Dの車窓では日の出直後とあってかハッキリとした車窓はわかりにくい。これは偶然だったが昼の藤城線にも乗ったので、その時の車窓写真も掲載する。
 
 
↑時間帯が変わって12時過ぎの函館駅。5時49分発の次の藤城線経由の列車は12時35分発の823Dまで無い。この間1本も列車が通らないか?と言うとそうではなく、下り貨物列車が何本も通過する。藤城線の実態は旅客線よりも貨物線なのだ。車両はキハ150-3であった。車両はキハ40ではなかった。
 
 
↑その事もあってか前面展望しやすい車両だった。写真は七飯駅で左側が藤城線、右側が新函館北斗・仁山方面となる。電車運転の「はこだてライナー」がある関係で右側(本線)は電化されている。一方で藤城線は気動車(またはディーゼル機関車)しか通らないので”架線レス”(非電化)のままだ。
 
 
 
↑藤城線はショートカットに加えて、勾配緩和路線のはずだが、七飯駅発車後はいきなり標高を上げて行く。本線の方が下で新函館北斗駅付近まではさほど標高を上げない。藤城線のこの付近は住宅が密集するが駅は無い。構造的に作れる・作れないは別としても、ここに駅があったら利便向上すると思うのだが。
 
 
 
↑藤城線は”山に向かって突進”するかのような線形だ。それに対して仁山経由はもっと登る(傾斜や勾配があからさまに急)なので「勾配緩和路線」と言われれば納得出来る。
 
 
↑いわゆる「ミツビシ」が見えて来た。正式には徐行予告標識である。「45」「貨」とあるので「貨物列車は45キロまで徐行せよ」と言う意味である。
 
 
↑線形は意外に直線的ではない。新函館北斗駅が出来る以前の特急北斗札幌行きは全て藤城線経由であった。キハ183系に何度か乗った事があるが、かなりぶっ飛ばしていた事を覚えている。その割には曲線が主体なのは新たな発見であった。
 
 
↑キハ150-3の運賃表はレシップ製の液晶表示装置に変わっていた。JRグループでは比較的導入事例が多いタイプである。
 
 
↑10月終わりの北海道は紅葉が進んでいる。藤城線から見えた車窓は緑よりは紅葉が目立つ感じであった。それは冬の訪れが早い意味で、もう少しすれば雪が降り始める。
 
 
↑藤城線には短い距離のトンネルが数本ある。七飯駅付近ではキツい登りから始まったが、それが過ぎると比較的平坦な線形になった。山の中を通るが意外と登らなかったり、長大トンネルで直線的に貫いているわけでもなかった。地形に忠実に線路を敷いたような感じだ。
 
 
↑第1閉塞信号機が見えて来た。
 
 
↑右側から仁山経由(本線)の線路と合流する。
 
 
↑左側には「小沼」が見える。この日は天気が良く見え方が非常に良かった。
 
 
↑大沼駅の構内に入る。線路の数が複数あるのだが砂原線との分岐はホームの先(大沼公園・鹿部方)にある。出発信号機は左側が「コ」、右側が「サ」であった。すなわち「コ」は(大沼公園)駒ヶ岳方面、「サ」は(鹿部)渡島砂原方面に対して進路開通の可否を示す。
JR北海道の場合、出発信号機はカタカナ一文字で示す事が多く、例えば札幌駅の10番線江別方を見ると「ハ」と「中」がある。これはやや特殊で「ハ」は函館本線江別方面(下り本線)に対してを示すが、「中」は中線(なかせん)の事で一般的には千歳線の列車が使う。これが旭川駅の1番線や2番線(富良野線ホーム)ともなれば「フ」(=富良野線)、「ソ」(=宗谷本線)と言った所で、営業列車では宗谷本線への出発は無いはずだが、配線上は旭川運転所への入出庫の関係から列車が宗谷本線方面への出発(または到着)は可能である。
JR東日本やJR東海では主本線を「下(上)本」、副本線を「下(上)副本」として表記している。これが最も正確である(国鉄時代からそうだったはずだ)。「下り(上り)本線」、「下り(上り)副本線」と言う言い方で(鉄道会社が違っても)業界的には十分通じる。JR西日本やJR九州では「1番線」「2番線」となっており(これを運転番線と言う)、旅客案内上「〇番線」とは言わず「〇番のりば」(これを営業番線と言う)と言っているのは、運転番線と営業番線を区別するためだ(阪急や近鉄なども同様)。JR全社で信号機の表記は統一されていないが、信号現示の意味そのものは私鉄であっても基本的には同じである(YG現示だと社や路線によって制限速度が異なる事もあるが意味合いは同じである)。
 
 
↑大沼駅ではかなりの確率で特急北斗と交換する事が多く個人的にはよく見る。この日の823Dも同様で8D特急北斗8号函館行きであった。運転上は拠点となっているようだが旅客営業上は無人駅である。2023年3月17日までは有人駅だったが、以降は無人駅となっている。運転上の拠点ともなる駅で、鹿部経由との分岐駅でもある。この駅で忘れてはならないのがJR北海道の会社自体を揺るがす事故にもなった2013年9月の貨物列車の脱線事故でもあるが
 
 
↑気になる方はこちらを参照されたい。
 
大沼公園駅と誤認するお客が多い。「大沼公園へお越しのお客様は次の駅でお降りください」とご丁寧に自動放送で案内されても、しっかりと聴いていないようで、下車しようとした人が数人居た。とは言っても大沼~大沼公園は営業キロにして1,0キロしかないので、誤って大沼で下車した所でも(健康な人であれば)歩ける距離だしリカバリーも出来るはずだ。823Dでは大沼公園でほぼ全員下車し、以後はほぼ貸切状態であった。
 

【大沼駅でキハ40を運転士だけで切り離し作業をする】


 
↑話を5881Dに戻す。大沼駅に到着すると切り離し作業が行われる。2023年3月17日までは有人駅であったが、今や無人駅である。本来ならば車両担当の社員が常駐するか函館から応援に来るのだろうが居ない。この場合は運転士だけで作業する事になる。その様子を見る。手際よく進む。ブレーキホース等の配線類も外す。まだ雪が降っていなかったのでスムーズに進んだが、これが降雪や凍結があると苦労するだろう。
 
 
↑切り離し作業中に反対側の2番線に1D札幌行き(キハ261系の7両)が通過する。
 
 
 
↑これで完全に別々の列車となった。1両だけのキハ40-1778が森行き、残り2両のキハ40-1806+1801が4850D函館行きとして折り返す。函館→大沼を回送させるのはもったいないので、営業列車に連結しておきそのまま営業。大沼で切り離して折り返しも営業と合理的な車両運用であった。

【「大沼だんご」が特急北斗の車内であったのは昔話に】

 
 
 
↑大沼6時30分発5880D函館行き(キハ40-1736+キハ40-1755)が先の発車となる。主要客は通学の高校生で、大人の通勤客はかなり少ない。これが地域輸送の実情で、札幌周辺を除けば北海道ではこれが当たり前だ。
 
 
↑駅舎へ向かうこ線橋には「ここは大沼駅です。大沼公園駅は隣の駅です」の表示がある。やはり誤乗が多いようだ。
 
 
↑外の様子が全く見えないこ線橋内部
 
 
↑駅舎前のホーム(1番線)から3番線に止まる5881D(右側)と4850D(左側)。ワンマンドア扱いになるため先頭車両の先頭ドアしか開いていないし、ここからでないと乗降出来ない。配線上は1番線が上り本線(函館行き)、間に中線が入り、島式ホーム1面2線で2番線が下り副本線(森・札幌方面)、3番線が下り本線となる。始発列車は3番線から函館行きとして発車する事も可能だ。
 
 
 
↑1番線ホームから森方面を見る。朝焼けの駒ヶ岳も少しだが見える。
 
 
↑大沼駅にもこれでもか!と言うくらい「おおぬま」の縦書きの駅名標が付く。恐らく冬季になると視界が悪く、どの駅なのか視認が難しいため、あえて多く設置しておくことで分かりやすくしているのだろう(あくまで個人の推測)。

 
↑駅舎の中は北海道ではよくあるタイプの作りであった。それでも近年は数を減らしている。暖房が標準的に装備されているのは言うまでもない(逆になければ凍死の危機であったりするが、ない駅も一定数ある)。
 
 
↑「大沼だんご」は大沼公園駅東で発売しているとの表示。正直忘れかけていたが「大沼だんご」は今まで食べた団子の中では一番美味かった。どこで買い求めたのか?と言ったら特急北斗の車内販売で、札幌行き列車では大沼公園駅停車時に出来たてが積み込まれる。長万部まで進むと名物の「かにめし」も積み込まれるので一緒に買い求めたものであった。他社でもそうだが車内販売は全国的に縮小傾向で、JR北海道は2019年2月28日をもって全廃となり、「大沼だんご」の発売も鉄道施設内(セブンイレブン等の駅売店を含む)では行われなくなったとのこと。函館から特急北斗に乗るごとに楽しみにしていた「大沼だんご」の車内販売であったが、駅売店が充実する一方でそこでは求める事が出来ない”名品”や”珍品”が列車内で味わえないのは、「時代の流れ」として理解すべきなのか、単に客数が少ない事、車内販売員の人件費削減や人手不足という事…と複合的なマイナス事例の成果なのかと思う。
 
 
↑駅舎は昔ながらの木造で北海道らしい作りだ。駅前は広い。これが冬になれば除雪済みの雪が積み上げれるか。親の車に送迎された高校生が次から次に駅舎の中へ進む。列車(北海道的に言えば汽車)に乗る回数が多いのは高校生の時くらいだろうか。そうだと思えば悲しい。案の定お客も高校生主体で典型的な通学列車でもあった。
駅前にはセブンイレブンとセイコーマートが店を構えて、大沼がそれなりの街と言う証でもあった。

【函館の朝の輸送を支える4850D】

 
 
↑5881Dから折り返し4850D函館行きに乗る。既に大沼発車の時点で50人程度は乗っていた。ほぼ高校生である。大人になれば車になってしまう。通学を朝の輸送の柱にしないといけないので、ここはなんとか通勤輸送も獲得したいものだが札幌ほどの大きな都市でもない限りはそれが無しえない。
 
 
↑仁山駅では乗降ゼロであった。4850Dは仁山/新函館北斗経由となる。仁山駅も存廃問題になっており、2025年時点では「廃止を提案」と言う形になっているが地元が賛成するわけもない。新幹線駅の隣の割には”秘境”で駅マニアにとっては訪れる価値が十分ある。私も遠くないうちに仁山駅を現地調査したいのだが。
新函館北斗で10人ほどが乗車。七飯で15人程度が乗り替わる。必ずしも函館一辺倒の輸送では無いのが良かった。大中山、桔梗でも10人程度乗るが何故か空席が目立つ。これは北海道や東北あるあるだが、空席があったからと言って関西みたいにグイグイと座り込む事をやろうとはしない。それは地域性と言う所だろう。五稜郭まで来てしまえば函館に着いたも同然でまとった下車が始まった。函館には7時32分定刻で、反対側のホームには道南いさりび鉄道のキハ40が止まっていた。
 

 

【函館本線森→鹿部経由→函館/森駅で撮りまくった結果が「いかめし」が買えず】北海道の普通列車の代表「キハ40」に乗る

 

北海道の普通列車の代表と言えば何と言っても「キハ40」である。国鉄時代の1978年から運転を始めて2025年現在も一部は現役である。定期列車の運用としては2025年3月15日ダイヤ改正で多くが離脱したが、観光列車(北海道のめぐみシリーズ・2025年度以降は不定期運転)、道南いさりび鉄道線(旧江差線)では今でも乗る事が出来る。

2020年からH100形DECMOに置き換わった結果、山線(函館本線長万部~小樽)から消え始めて、”牙城”とも思っていた根室本線(滝川~東鹿越・新得~釧路)でも2025年3月15日ダイヤ改正までに消えた。

北海道のキハ40は数え切れないほど楽しませてもらった車両だ。本州のJR各社にもキハ40系列の車両はあるが、北海道仕様(極寒冷地仕様)との決定的な違いは「デッキがある事」であろう。これだけで旅情があふれる。

2019年頃(石勝線夕張支線廃止後以降)に渡道するたびに「キハ40に乗れる(撮れる)のはこれが最後」と一応は腹をくくっていた。しかし、キハ40の記録(乗車と撮影)は1回では満足しない。本当に引退するまで可能な範囲で追いかける事になった結果、2024年度(2024年3月16日ダイヤ改正以降)にキハ40が定期列車として運転しているのは、「函館」、「滝川」、「日高線」しかなかった。結果的には「函館」と「滝川」は記録(乗車と撮影)が出来た。

今回は函館本線の森駅で昼間に長時間停車する事を知っていたのでこの姿を徹底的に記録した。森駅と言えば「いかめし阿部商店」で有名なのだが、キハ40の撮影に夢中になり過ぎた結果、時間が無くなってしまい名物の駅弁を食べ損ねる事になってしまった。森発鹿部経由函館行きに乗った。上り貨物列車が通る日本の大動脈なのであるが、キハ40に乗ったお客はたったの6人だけで、鹿部→大沼間については「貸切」(他に誰もお客が乗っていない)になってしまった。これが函館本線函館地区における旅客輸送の厳しさを体感する事にもなった。

 

(2024年10月30日乗車列車)

列車番号:4884D(鹿部・仁山経由函館行き)

時刻:森16時01分→函館17時43分

車両:キハ40-1801

 

【森駅で(北海道)駒ヶ岳をバックにキハ40を撮りまくる】

 

↑森駅14時44分着の2842D鹿部経由函館行きのキハ150-5から下車する。14時53分に発車するのだが森駅で”1本落とす”事にした。函館本線でも長万部→森間は車窓重視だったので車両は何でも良かった(もちろんキハ40の方が良いに決まっているが)。

 

【森駅でキハ40が昼寝(ヒルネ)している】

 

 

↑予想通りキハ40の2両が森駅の側線に止まっていた。運用上は函館11時06分→森12時28分(4833D・仁山~駒ヶ岳経由)として使用し16時頃まで昼寝(ヒルネ)となる。ここ数年変わっていなかったのでこの事は知っていた。2024年3月ダイヤ改正以降は(厳密には5月か6月頃かららしい)森~長万部間でキハ40は入線しなくなった。函館地区でキハ40に乗りたいならば函館~森間に限る。これになんとしても乗りたかった。

 

 

↑、貨物列車DF200-109+コキ20両(ホームが無い中線(1番線と2番線の間)を14時48分に通過・3051レ札幌(タ)行き)が通る。函館本線は貨物列車の本数が多いので昼間でもそれなりに見かける。機関車は道南いさりび鉄道線区間を除けばDF200形式のみだが、これは北海道か名古屋地区(稲沢~四日市~塩浜)でしか見ることが出来ない”ご当地形式”とも言える。

 

 

↑側線に止まっていたのは長万部方からキハ40-1801+キハ40-1705であった。

 

 

 

↑キハ40-1801

形式写真。時間があったので「これでもか!」と言うくらい枚数を増やしたが(同じ構図だけをむやみに増やす”コマ増し”ではない。構図を少しずつ変えながらいろんな記録をしたつもりだ)、全てを公開したら大変なので代表的なものだけとしたい。

 

 

↑既にキハ40-1705(後ろ・写真右側)とは切り離しとなっていた

 

 

↑キハ40-1705の形式写真

 

 

 

↑14時53分に2842Dが発車した。乗っているお客はほとんどいなかった。

 

 

 

↑貨物列車DF200-111+コキ20両(15時14分通過・99レ札幌(タ)行き)

 

 

 

↑キハ261系1000番台(5両・ST1112編成+キハ260-13××+ST1208・車掌は2号車から列車監視・15時20分発14D特急北斗14号函館行き)

14Dが発車するまでキハ40の2両は特に動きが無かった。

【駒ヶ岳をバックにキハ40が入替作業を行う】

 

 

 

 

 

 

↑キハ40-1705が入替を始めた。一旦函館方に進み、その後エンド交換してホームに入る。

 

 

↑キハ40-1801はそのまま側線に止まる。キハ40-1705がホームに入る切るまでは動くことが出来ない。

 

 

 

↑キハ40-1705はエンド交換して森駅2番線に入線する。

 

 

 

 

↑続いてキハ40-1801が入替を始める。手順としては先にやったキハ40-1705と同じである。

 

 

↑キハ40-1801もエンド交換して森駅3番線に入線する。

 

【誤乗防止のために「大沼(大沼公園経由)」の行き先表示を前面にする珍しさ】

 

 

 

↑2番線に入線したキハ40-1705は「大沼(大沼公園経由)」の行き先表示を付けていた。北海道のキハ40(やキハ54)では車体側面に行き先表示をしている事が定番であった。鉄道マニアの間では「サボ」(サイドボードの略)と言うが、2020年代に入ってから装着しない事例が増加した。それも地域性があって函館支社管内では「未表示」(真っ白)、旭川支社管内と釧路支社管内は路線名のみ(「宗谷線」・「花咲線」)のみとなっている。本来は1本運行終了毎に次の列車の行き先表示(例えば「函館」、「釧路」など)をするのが正しい取り扱いだが人手が生じる。公式には言っていないものの経費削減の一環で行き先表示を取り止めたという。

一方で森駅のこの状況では2番線、3番線ともキハ40が止まっている。しかもどちらもほぼ同じ時刻の発車で、途中の通過経路が異なる。何なら大沼行き(森16時11分→大沼16時44分の4836D)は駒ヶ岳駅、赤井川駅、大沼公園駅停車の普通列車では”最終2本前”で、これを乗り過ごす(または誤乗すると)次は20時13分発822D函館行きまで約4時間列車が無い。この間に特急北斗が4本通るがそのうち大沼公園駅停車は2本に留まる(それ以外の駅は通過)。誤乗防止の観点から行き先表示が必ず必要な列車(場面)なのだ。それにしても北海道のキハ40(やキハ54)で前面の運転席に行き先表示をするのは珍しい。前面に表示機もあるがこれは「種別幕」であって、「ワンマン」が定位置である。

 

【森駅こ線橋から撮影すると天気が良いと駒ヶ岳が美しく見える】

 

 

 

↑ここは森駅を代表する撮影場所と言って良い。2番線・3番線ホームからこ線橋に登った所である。天気が良いと駒ヶ岳が良く見える。天気次第なので必ずしも毎日このような見え方がするわけではない。道南の函館本線を象徴する構図で、キハ40との絡みが記録(撮影)出来たのは良かった。

 

 

 

↑1番線ホームに降りて、キハ40-1705を形式写真で再び撮る。

【キハ40の撮影に夢中になり過ぎて森駅名物の「いかめし阿部商店」の駅弁が食べられず】

いかめし阿部商店

 

↑ところで森駅と言ったら「いかめし阿部商店」が有名である。

昔は駅構内(ホームでの立ち売りや待合室など)でも販売していたようだが、今は8月の2週間程度のみの実施で、森駅前に構えた店舗での販売だという。

北海道では有名な駅弁なのであるが、私は何故か一度も食べた事が無い。理由は特にない。むしろ食べたい。

列車の乗り継ぎならば本来は改札口を出場して、森駅前を現地調査して「いかめし」も買う事が妥当なのだが、今回はキハ40の撮影に夢中になり過ぎた結果、そんな時間は無かった。改札口を通る事さえなかった。これは乗り鉄・撮り鉄あるあるだ。個人的には北海道は頻繁に行くので次回は駅弁乗り歩きをしたいと思った(あくまでも今後実施予定)。

森駅の「いかめし」は「いかめし阿部商店」と名乗る直営店舗で販売しているかと思った。「鉄道ジャーナル」の過去の記事を読んでいると、概ね森駅で「いかめし」を買う事が定番行事だった。その際に紹介されていたのが「森駅前の柴田商店で買った」とあった。これは正しい表記で「”いかめし阿部商店”の森駅の販売店舗は”柴田商店”」と製造社名と異なる事が特徴だ。しかも「〇〇商店」と屋号が似ているので(苗字が異なるだけ)「いかめしは柴田商店が作っている」と勘違いしていた。

なお公式ホームページ(上記リンクページ)によれば、「いかめし」の常設販売場所としては森駅前の柴田商店、ローソン富士見店(森駅近くかと思われる)とのこと。デパートやスーパーの「駅弁フェア」ではよく登場するので、森駅に行かなくても入手する事は可能だ(但し不定期開催)。

 

【キハ40-1801の4884D鹿部経由函館行きに乗る】

 

↑3番線に入線したキハ40-1801の4884D鹿部経由函館行きに乗る。

 

【キハ40-1801の車内】

 

 

↑函館方の車内の見通し

 

 

↑長万部方の車内の見通し

 

車内全体を撮影する事を「見通し」と言うが、誰も居ない事が条件になるため、そのタイミングを伺う必要がある。都市部の車両では終点到着時、始発発車まで時間がある時に限られる。この車両もこの条件下であるが、そもそも私以外に誰もお客が現れない。悲しいけれどもこれが函館本線新函館北斗~長万部間の現実なのだ。

 

 

↑クールファン

空調の一種であるが冷たい風が出る。基本的には夏季限定使用らしい。見た限り扇風機は付いていない。元々は付いていた。北海道のキハ40は非冷房である。暑い時は窓を開けて暑さをしのぐしかない。

だが近年の地球温暖化等により道内でも真夏日、猛暑日が観測される中では、流石に非冷房の車内はしんどくなった。扇風機だけでは熱がこもりがちな事もあってか、クールファンを新設したと思われるが、一般的なエアコン(クーラー)と比べればパワー不足という事もあってか暑く感じてしまう所がある。基本的には窓も開けてもらうため、それなりに涼しいとは感じるが、それでも乗車客が多い時は暑くなりがちだ。この時の外の気温は+13度であったが、室温は+27度であった。停車中は暑く感じる。それでも窓を開けて発車後は恐ろしく冷たい風が入ってくる。

 

 

↑個人的に好きなのが長万部方にある2人掛けの座席。5A(進行方向右側)~5D(同左側)席である。ここを”指定席”と定めているので今回もここに座らせていただく。これは北海道のキハ40のみしかないものと思っていたが、その半月前に岡山県の姫新線で乗ったキハ40にもこれがあったのでベース車(登場初期の車両)では当たり前のようにあるようだ。

 

 

↑キハ40-1801の車番表示、非常停止ボタン。この裏側にはトイレがある(和式)。

 

 

↑運転席(長万部方)。客室とは異なる空間でドア付近はデッキとなっている。デッキと客室の間には仕切りドアがあるのが北海道のキハ40の特徴である。これは寒い風や雪が車内に入り込むのを防止するためである。近年のJR北海道の車両は軒並みデッキは廃止となっており、ドア付近にエアカーテンを設置するなどしてそれを防止することが出来るようになったため。

 

【「砂原線」を進むキハ40に乗ったのはたったの6人だけ。鹿部→大沼間については「貸切」となった】

 

 

↑エゾモモンガ氏もキハ40-1801の座席に座る。とりあえず森駅に居る証拠として「もり」の駅名標と一緒に記念撮影。

 

4884Dのノリホ(乗車人員報告)をすると森→鹿部→大沼の間は散々なものであった。私以外のお客は帰宅の高校生が5人のみであった。少なくても乗り鉄、観光客、地元客は居ない。とても寂しい車内だ。

 

 

↑東森駅

こう書くと「ひがしもり」と一言で言ってしまいそうだが、本来は「森町の東にある駅=東にある森駅」と言う意味のはずだ。

 

 

↑尾白内~掛澗(駒ヶ岳が良く見える区間)

 

 

↑掛澗(かかりま)で16時14分発2841D長万部行き・キハ150-6と交換する。函館に移籍してきたからと言って配色の変更は行っていない。富良野線時代と同じである。細かい差異としてはヘッドライトがLED(白色)になった程度である。こちらも数える程度の人数しか乗っていなかった。

 

 

↑渡島砂原駅

16時20分~16時22分まで止まる。特に交換列車は無い。通称「砂原線」とか「渡島砂原経由」とも言うが、この駅を通過するためにそのように称する。私はこの区間で代表的な街である鹿部を通るため「鹿部経由」と言ってしまうが。

有効長が長い理由は貨物列車が通るためで、上り(函館方面行き)だけが通る。特急北斗は駒ヶ岳駅・大沼公園駅経由だが、上り方向に対して急勾配のため、勾配緩和線として砂原線が作られた経緯がある。今も貨物列車の上りは必ず砂原線経由となる。

2015年まであった寝台特急北斗星、寝台特急カシオペア、寝台特急トワイライトエクスプレス、急行はまなすの上り列車も同様であった。通過時刻は夜間のためこれら寝台列車から砂原線の車窓は楽しめなかった。これで「函館本線の砂原線は乗った事にする」と言うのは嫌だったので、別の時に明るい時間帯に改めて乗り直した。これは「JR完乗」するためのあるあるの事で、車窓が眺められない時間に乗ってもそれは乗車記録としては含めないとしたのであった。そうした路線は個人的には意外と少ない。

 

 

↑渡島沼尻駅の旅客ホームは1両に満たない長さだった。有効長そのものは長く、保守用車両が側線に置かれていた。

 

 

 

↑鹿部駅には16時40分に到着した。森駅から乗車した高校生は全員下車した。鹿部町の中心部から離れているため(5~6キロある)町営バスに接続していた。以前は駅舎に縦書きで「しかべ」の駅名標が12~13枚あって「これでもか!」と言う感が好きだった。最近は半分程度に減らされているがそれでもまだ多い。

 

 

↑鹿部駅発車後の車内の様子。私とエゾモモンガ氏以外に誰も乗っていない。私たちが乗っていなければ0人運行のようだ。公共交通機関なのでダイヤを公表している以上は客ゼロでも時刻通りに運転しないといけない。乗り鉄なら「やったー貸切だ!」と喜んでしまうのだが、裏返せば「日常的な利用者が居ない」と言う事。それを知ってしまうと素直に喜ぶ事は出来ない。

 

辺りは完全に真っ暗となっていた。日没は16時34分である。次の駅は大沼であるが以前は銚子口、流山温泉、池田園の各駅があった。いずれも利用者が極端に少ない(ゼロに等しい)と言う理由で2022年3月12日に廃止となった。銚子口だけは信号場として残ったが、あくまでも運転上必要な設備に過ぎない。それを気にするのは運転士か一部の鉄道マニアに過ぎない。

こう見えても「日本の大動脈」なのであるが、それは貨物輸送に限った話で、旅客輸送では典型的なローカル線である。砂原線は現状特急北斗は通らない。

 

【大沼→函館は一転して乗車が多くなる】

 

 

↑大沼には17時03分に到着。森駅で見た4836Dが止まっていた。この後は回送で函館に向かうようだ。これからの乗り換え客なのか?17~18人程度が乗車して来た。わずか1駅でまるっきり性格の違う列車になった。17時07分までの発車の間に17D特急北斗17号札幌行きとの交換待ちであった。

この後は仁山駅経由になるが登り勾配がキツいのは相変わらずでキハ40にとってはしんどい。仁山駅の乗車は皆無であったが、山の頂上にあるためか見晴らしは良くて、新函館北斗駅前にある東横インのネオンが見えていた。登り勾配から転じて下り坂になると平坦になって新函館北斗駅に到着する。言うまでもないが今や北海道新幹線発着駅で、駅前も整備されたため新幹線利用客や観光客はもちろん地元客も乗る駅だ。さらに15人ほど乗車して発車。七飯、大中山、桔梗でも乗車客を増やしていく。気付いたら空席の方が少なかった。函館都市圏輸送は函館~七飯・新函館北斗までの短い区間(約18キロ程度)だけであった。

 

 

JR北海道特急、2026年度から全車指定席化

 

【自由席消滅・イールドマネジメントとダイナミックプライシングの一環か】JR北海道の特急は2026年度から全車指定席に

JR北海道特急「すずらん」列車
 
JR北海道 特急列車 全車指定席化
 

JR北海道は2026年度(実際には2026年3月のダイヤ改正日から)特急列車は全車指定席とする。つまりJR北海道の特急列車からは自由席が消滅する。この事は2022年頃から予告されていたが具体的な開始時期は示していなかった。

前段階として2024年3月16日ダイヤ改正から道南(特急北斗・特急すずらん)、道東(特急とかち・特急おおぞら)は全車指定席にした。こちらは元々から自由席利用の実績が少なかったこともあり、いきなり全社的に全車指定席化するよりも”外堀を固める”として開始したと見て良い。

また同改正では道央・道北(特急ライラック・特急カムイ・特急オホーツク・特急宗谷・特急サロベツ)についても多少の修正が加わった。それは自由席両数の削減である。特急ライラックは元々札幌方の4~6号車、特急カムイに至っては4号車uシート以外全て(1~3号車と5号車)が自由席であったが、これを特急ライラックと特急カムイとも1~2号車のみが自由席になった。すなわち指定席の拡大である。それでも単に指定席にしただけでは特急料金が値上げになるため、「えきねっと」を活用した割引きっぷ(主に「トクだ値」シリーズ)を拡充した。一方で駅売りの従前の割引きっぷ(例えば特定の都市間を往復するだけの商品等)は多くが終売となった。

その結果、室蘭ではJR離れが進みお客が高速バスに相当数流れた。中には室蘭市役所のように出張旅費の算出基準をJR運賃→高速

バス運賃に変更し、実際の出張も出来る限り高速バスにするように促しているという。

 

【発車直前では満席で座れない矛盾】なぜ自由席が消えた?JR全車指定席特急の弊害について | プロの鉄道マニアがやってみた旅行

 

↑こちらも参照されたい。

 

これはJR北海道に限った話ではないが、全国的に自由席は縮小傾向で、2025年3月15日ダイヤ改正では東海道新幹線・山陽新幹線の「のぞみ」は3両→2両に縮小した。理由としてJR東海は「指定席のニーズが高まっているため」と説明しているが、実際に私が駅できっぷの発売状況を見ている限り(決して長い時間ではない)自由席のオーダーは昔と比べて激減した。今や指定席のオーダーが圧倒的に多い。その理由としては「確実に座りたい」、「座れるかわからない自由席乗車位置に長時間待ちたくない」、「ネット販売(スマートEXなど・指定席の設定の事が多い)の方が自由席を定価で買うよりも安い」などである。この流れは加速するだろう。

ところで、JR東海は2025年末~2026年始の輸送について特急しなの、特急ひだ、特急南紀については全車指定席にする。これは年末年始の多客期輸送限定の対応で、それ以外の日は引き続き自由席が残る。全車指定席の期間中は”駅売りの立ち席特急券”も発売するが、それには条件があって、指定席が満席である事、枚数限定とされる。これについては旅客営業規則に書いてある通りの内容で、それをそのまま適用する形だ。この流れも加速するだろう。将来的にはこちらについても通年全車指定席化するのだろうが、特急ふじかわ、特急伊那路のように今でも自由席主体の列車編成で(3両中2両が自由席)、指定席よりも自由席の方が利用としては多く、特急停車駅でも無人駅が多く、指定席券売機を設置する予定も無いので、乗車駅で指定席特急券を発売出来ない体制ならば、全車指定席化は難しい(出来なくはないが好ましくはない)。

 

【JR北海道の特急列車の全車指定席化に伴うメリット・デメリットは?】

20251119_KO_asahikawa-express.pdf

(旭川方面の特急列車の全車指定席化並びに”お得なきっぷ”のリニューアルについて・2025年11月19日JR北海道HPより)

 

↑詳しくはこちらを参照されたい。

 

【メリット】

  • 指定席の座席数が増加するので、着席出来るチャンスが拡大する
  • 乗車前から長時間ホームで待つ必要がなくなる
  • 始発駅から近い所から座席が埋まる不公平感の解消(例えば旭川発札幌行き特急ライラックの場合は、旭川や滝川からの乗車では自由席に座れる事も多いが、岩見沢からの乗車だと先客で座席が埋まっている事が多く着席出来ない事もある)
  • 指定席は車内改札が無いため目的地までゆっくり過ごせる
  • チケットレス特急券の割引を導入(2025年11月現在は紙の特急券と同額。2026年度以降は紙の特急券よりも必ず安くなる。但し値段は一定では無く乗車日や乗車列車によって変動がある)
  • 「えきねっとトクだ値1」を新設。基本的には現状の「トクだ値」と同じだが、値段は乗車日や乗車列車によって変動がある。設定乗車区間も一部で増やす(例えば札幌市内~士別、旭川~稚内など)。札幌~旭川間は2,440円~4,340円となる(定価では5,440円)。

【デメリット】

  • 「何が何でも自由席しか乗らない」と決めている人にとっては、自ずと特急料金部分が自由席料金→指定席料金に変わるため+530円程度の値上げになる
  • 100キロ以下の乗車の場合は自由席利用が多く、その観点(立場)から見れば大きな値上げになる。指定席特急料金は25キロまでは850円(自由席は320円)、50キロまでは1,160円(同630円)、100キロまでは1,680円(同1,150円)となる。プラス乗車券が必要だ。ただでさえJR北海道の路線は普通列車が少ないので(札幌圏を除けば)、代替として特急乗車もあるのが実情だが、短距離利用を完全に否定している格好だ。逆に短距離でも積極的に特急に乗ってもらうようにするために自由席特急料金を特例と言う形で値下げしているJR東海とは大違いと言える。この辺は私が知っている道内の鉄道関係者からの批判も根強い
  • 乗車予定の列車の指定席が満席の場合は「座席未指定券」を駅で購入する事になるが、値段は定価の特急券と変わらない。制度上は「空席があれば座れる」とされるが、指定券を持ったお客が来たら譲らないといけない。そのため基本的には特急にデッキ等で立って乗る事になる。逆に言えば「自由席ならば始発駅に早く行って、発車数時間(数十分)前から並べば座れる」と言うテクニックは使えなくなる
  • 駅売りの割引きっぷ(例えば「Sきっぷ」、「Rきっぷ」、「ふらの・びえいフリーきっぷ」、「旭山動物園きっぷ」など)は全て終売する。割引きっぷの発売方法が「えきねっと」に一本化されるため、非会員であったり(会員登録と年間費は無料)、スマホやパソコンが無い人(少数派かと思うが)にとっては、そもそもJR北海道管内で使う事が出来る割引きっぷが利用できない
  • 「えきねっとトクだ値」は前日までに購入しないと割引を受けることが出来ない。当日購入では(チケットレス特急券を除き)定価購入となる。但しこれは飛行機や高速バスも同じである。
  • 「えきねっとトクだ値」は必ずしも乗車全区間に設定があるとは限らない。例えば札幌(新札幌)~新夕張、東室蘭~長万部などは存在しない(この区間は定価購入しか選択肢がない)。

↑他にもあると思うが、メリットとデメリットは上記の通りである。

「えきねっと」が使える状況ならば、JR北海道管内の割引きっぷは買える事を示す。Kitacaエリアならば乗車券部分も含めてチケットレスが実現するが、そのエリア外(札幌~函館の”通し”利用、帯広・釧路・北見・稚内周辺)では必ず紙のきっぷが必要である。そもそも「えきねっとトクだ値」は紙のきっぷを発券する事を条件としており、実際の乗車前までに駅の「話せる券売機」等で引き換えておく必要がある。そのため「えきねっとトクだ値はチケットレスにはなっていない」事を覚えておくと良い。

 

【イールドマネジメントとダイナミックプライシングの一環】

イールドマネジメントとは、ホテルや航空会社で単位あたりの収益を最大化する販売戦略。欧米でいちはやく導入され、日本には90年代後半に浸透した。ホテルのOCC(客室稼働率)や航空会社のロードファクターを上げるためだけに客室や運賃の割引率を大きくすれば、イールド(収益)は必然的に低下する。一方で、乏しい需要に対し割引を少なくすると売れ残ることがある。

そこで、イールドを最大限確保するために、過去の販売データや需要動向を細かく見ながら販売単価や提供客室・座席数を管理するようになってきた。航空会社の国内運賃がその典型で、過去の販売データなどを参考に各種運賃や運賃ごとの座席数が設定されている。

 

イールドマネジメントとは・観光用語集 - JTB総合研究所

ダイナミックプライシングとは、さまざまな条件によって商品やサービスの価格が変動する価格戦略です。この価格設定方式は、需要と供給のバランスに応じて価格を柔軟に調整することで、企業の収益を最適化することを目的としています。(中略)

Jリーグやプロ野球、ホテルや鉄道など、さまざまな業界で採用されている具体的なダイナミックプライシングの事例も紹介します。これらの実例を通じて、ダイナミックプライシングがどのように実践されているかを理解することができるでしょう。

近年、AIやビッグデータの活用により、ダイナミックプライシングはより精緻化され、効果的に運用されるようになってきています。このような技術革新により、企業は市場の変化にリアルタイムで対応し、より効率的な価格設定を行うことが可能となっています。

 

ダイナミックプライシングとは?基本的な仕組みと事例を解説 | マーケトランク

 

↑私が説明するべき事でもないので、詳細は上記リンクページに譲る。

JR北海道は以前からこの事を重視している。この辺は同社の経営資料(同社HP内にある)を読んでもらえればわかるが、グループ会社の経営についてもこれらを意識している。JRグループ全体で見ても、実際にやっている所もあるのだろうが、表立って表明している所はほとんどない。

2026年度以降に特急列車は全車指定席化する。定価運賃は当然の残すが(そもそも鉄道は国の認可事業であり、国が認めた運賃と料金のため、定価運賃と料金そのものを削除する事は認められていない)、割引運賃と料金については自由に設定出来るので(割引きっぷを新発売する毎にいちいち国に認可申請する必要も無い。定期券も割引きっぷの一種のため国の認可を受けていない)、その商品的価値(値段はもちろん、効力、発売方法など)は各社各様で、それこそ各社のセンスや考え方が色濃く反映される。

JR北海道も(一応は)株式会社なので利潤を追求している。割引きっぷを多く売って座席数を埋めて収入を増やしたいのは言うまでもない。定価だけの商品構成では乗ってもらえないので(それならば車の方が安いしジャストインタイムであったりする)、乗ってもらうための魅力づくりとして割引きっぷを発売している。その際に「年間通して同じ値段」ではなく、繁忙期(いわゆる3大ピーク期、3連休、北海道ならば冬季・そもそもコストもかかるため)は値段を高くして収入そのものを増やすが、閑散期(6月や9月のド平日)は少しでも乗ってもらう(=座席を埋める)ために割安とする。つまり”乗ってもらう仕掛け”として利用動向に応じて日付・時間帯・季節によって値段を変更する事で、会社収入を増やす(最適化と言うが)事が出来る。そのためにはイールドマネジメント、ダイナミックプライシングは重要で、お客にとっても納得出来る所はある。例えば繫忙期は値段が高いので仕方ないと思ってしまうが、逆にド平日は安いのでその時にしようか…となる。鉄道業界では「オフピークシフト」と言う言葉も話題になっているが、それを促す目的もある。

これを積極的に取り入れているのが今のJR北海道で、他の鉄道会社でも追随する動きがあってもおかしくないし、期待したい所だ。

 

JR北海道特急、2026年度から全車指定席化

 

 

鉄道友の会年会費値上げ

【さらなる会員数減少必至か】鉄道友の会の年会費を2026年度から3割値上げ(年額8,000円に)

 

鉄道友の会の会員になりたい場合、毎年「会費」(年間費)を納めないといけない。適用除外になる人は居ない。

一応は「家族会員」と言う制度もあるが、これは同居する人が正会員(定価の会費を納めている)で、家族内で他にも会員がいる場合はその他の人の会費が半額になるものだ。数字に直せば家族会員は全国で100人に満たない。

鉄道友の会の内部での立場が支部長、本部理事等の幹部(鉄道友の会内部で何らかの肩書きが付く)であっても会費を納めないといけない。

会費の納入は毎年12月号の「RAIL FAN」(RF・鉄道友の会本部発行の会報(機関誌とも称する))に郵便局ATMから送金する振込用紙が同封されているので、それを使って翌年2月末日までに支払う。他にも複数支払い方はあるが、いずれも振込先の銀行口座が違うだけで、クレジットカード、Suicaの残高から、QRコード決済では対応していない。

【2026年度から会費が6,400円→8,000円(年額)に3割以上値上げ】

会費については変遷があるものの、2005年度以降は現行(2025年度まで)の正会員は年間6,400円で据え置きとなっていた。値上げ・値上げの世の中で「鉄道友の会も遂にか」とも思ったが、その旨を知ったのは2025年6月の鉄道友の会本部総会での会議にて。これは選ばれた人(各支部の代表や一般会員5人以上の推薦で決めた代議員)が最初に知る事になる。一般会員への会費値上げの告知は基本的に2025年8月発行(本部総会の議事録・値上げの旨を誇張して書いてあるわけではない)・2025年12月発行のRF誌面による。選ばれた人が他の一般会員(特に支部や研究会所属の会員)に共有したとしても知った人数は数限られていたはずだ。つまりほとんどは2025年12月のRF誌面で初めて知った事だろう。

今までは6,400円(年額)であったが、2026年度からは8,000円(年額)に3割以上値上げする。

 

【鉄道友の会で活動するために必要な各種費用一覧】

 

プラス各支部(研究会)の会費は別途必要で、各支部(研究会)の例会会場までの交通費や飲食費、不定期で開催の沿線や車庫での撮影会(または乗車会)の参加費等も別途負担となる。下記は各支部(研究会)の年間の会費である。支部(研究会)により金額は異なる。下記の表の通りである。

 

 

【2026年度本部関連費用(年額)】※必ず必要

項目

費用

備考

正会員の会費

8,000円/1人

前年比1,600円値上げ

家族会員の会費

4,000円/1人

前年比800円値上げ

賛助会員の会費

30,000円/1口

前年比10,000円値上げ

 

【2025年12月1日現在の支部・研究会関連費用(年額)】※無所属の場合は不要

支部名(研究会名)

費用(断りがないものは年額)

備考

車両記録撮影会

1,000円

執行委員・登録会員とも同額・例会は別途実費が必要

客車気動車研究会(年会員)

6,000円

例会は1回500円

客車気動車研究会(月会員)

500円

例会に単発参加希望者

客車研究会(年会員)

2,000円

随時参加可能・4月支払い

客車研究会(月会員)

350円(月額)

例会に単発参加希望者

客車研究会(郵送会員)

2,700円

振込で入金・主に資料代

客車研究会(Eメール会員)

1,200円

同上

小田急研究会

1,500円

運営会員・登録会員とも同額

東急電車研究会

3,000円

同上・例会は1回500円別途必要

西鉄研究会(普通会員)

2,400円

その他費用無し

西鉄研究会(郵送会員)

3,400円

ネット環境が無い人向け

無線サークル

2,000円

例会は別途実費が必要

北海道支部

1,000円

例会は1回100円別途必要

青森支部

2,000円

例会は別途実費が必要(金額はその時により異なる)

秋田支部

無し

費用負担無し

山形支部(大人)

3,000円

例会は別途実費が必要(金額はその時により異なる)

山形支部(高校生以下)

1,000円

同上

東北支部

2025年度は無料

例会は別途実費が必要

北関東支部

2,000円

例会は1回500円別途必要

東京支部(支部費A)

1,700円

例会は1回500円別途必要

東京支部(支部費H)

3,000円

同上。ハガキで支部通信送付を希望の場合

 

 

 

 

支部名(研究会名)

費用(断りがないものは年額)

備考

新潟支部

2,000円

その他費用無し

長野支部

3.300円

その他費用無し

北陸支部

1,000円

例会は別途実費が必要(金額はその時により異なる)

福井支部

1,600円

見学会は別途実費が必要(金額はその時により異なる)

静岡支部(支部報PDF配布)

2,000円

例会は支部員1回200円、非支部員1回500円が別途必要

静岡支部(支部報を紙媒体配布)

4,000円

支部報を紙媒体配布で希望する場合は支部費+分担金2,000円が別途必要。分担金は後日支部から振込票が郵送されるのでそれを使って払う

名古屋支部(W会員)

1,500円

支部報をPDFで配布・例会参加費無し

名古屋支部(A会員)

3,000円

支部費を紙媒体で配布・例会参加費無し

京都支部

3,000円

例会は1回200円別途必要

阪神支部

2,000円

例会は別途実費が必要(金額はその時により異なる)

東中国支部

2,000円

例会は別途実費が必要(金額はその時により異なる)

中国支部

1,600円

例会は別途実費が必要(金額はその時により異なる)

四国支部

2,000円

例会は別途実費が必要(金額はその時により異なる)

九州支部(A会員)

700円

A行事(支部総会、見学会、例会、撮影会)に参加可能・例会は別途実費が必要

九州支部(B会員)

2,200円

支部A会員以外の者で支部費を納入したもの/A行事に加えて、例会、そ の他特別行事に参加可能。ただし、A行事以外の開催案内は行わない。(例 会または「RAIILFAN」で案内する)。郵送で支部報購読。

九州支部(PDF会員)

500円

A行事に参加可能。メールアドレス登録でPDFで支部報購読。

 

↑となっている。支部(研究会)に入る・入らないは各自の自由のため、入らないのであれば支部費(研究会費)はゼロとなる。鉄道友の会の規則上は、在住地に関係なく支部費(研究会費)さえ支払えばどこの支部(研究会)に所属出来る事となっており、私の場合だと静岡県在住だが北海道支部にも入っていたりする。あくまでも上記の表は「年会費」であって、毎月の例会や単発的に開催の事が多い撮影会等の支部(研究会)行事が行われる場合は実費(交通費、飲食費等)が必要になる。

 

【鉄道友の会の本部会費を8,000円に値上げする理由】

 

鉄道友の会 会費値上げシミュレーション表

 

↑2025年の鉄道友の会本部総会で示された資料を公開する。あくまでもシミュレーションとの事だが、縦軸が7種類別の年会費、横軸が年度(2025年度~2033年度)である。

細かい数字が羅列されているが、鉄道友の会の会員数自体が減少している。今後毎年50人ずつ減少すると想定した場合、年会費が6,400円だと既に2024年度の時点で赤字運営(実際には繰越金で赤字を穴埋めしたので名目上は黒字運営としている)で以後は赤字が脱却出来なくなる想定のため。

「会員数が増えない」と言う前提で考えているため(実際にそうなのだが)、年会費を上げた所でそれは”延命処置”に過ぎず、2030年度以降は年会費8,000円であっても赤字運営になるとされる。逆に言えば「会員が増えれば」良いのだが…。

誤解しないように述べておくが、鉄道友の会は営利団体ではないので収支利益は追求していない(収支トントンで問題ない)。但し運営上は黒字収支の方が良くて、赤字収支が続くようでは”財政難”を理由に鉄道友の会の存続自体が危うくなる。

 

【東京のド真ん中に本部を置かなくても良いのでは?】

この議論は昔から根強くある。本部の住所が東京都千代田区九段南の賃貸ビルにあるとの事だが(JR中央線各駅停車の水道橋駅付近らしいが)、一応はこの付近では賃料は安いとしながらも、本部経費だけで年間850万円近くを計上している。これが収支に対してのコストとして高くなりすぎている要因である。

今の時代、シェアオフィスとかバーチャルオフィスもあるんだからもっと安くすることが出来るはずだ。必ずしも”リアルオフィス”が無いと何が何でもダメという風潮でもないと思う。もっと言うならば東京のド真ん中に置く必要は無くて、鉄道が通っていない(実際に鉄道が廃線になってしまった)ド田舎(例えば北海道夕張市若菜=石勝線夕張支線の鹿ノ谷駅付近とか島根県邑智郡邑南町宇津井=三江線の宇津井駅付近とか)に置いてもネット環境さえあれば基本的には差し支えないはずだ。私自身、鉄道友の会の本部に行った事も無いし、そもそも行くような用事もない。

本部役員が2ヶ月に1回本部に集まって会議があるようで、リモート併用との事だが、同じ場所に集まる必要がある会議ならば”貸会議室”をその都度借りれば良いし、リアルに集まらなくても「会議はリモートのみ」にしてしまえば、もっと経費は落とすことが出来るはずだ。その点は会員の間で指摘する声は昔から多数あったが、本部側の回答が非常に保守的で(参政党と良い勝負かもしれない)「本部の場所を郊外に置いたら極限がなくなる」(遠回しな表現だが、つまり”ド田舎に置くのが嫌”という事)であった。都市部に置く事にこだわりが強いと感じた。

 

【年会費3割以上値上げで鉄道友の会を辞める会員が増えるのではないか?】

そうなるのは確実だ。会員数については年度末(2026年3月31日)時点で集計するだろうから、それとの年度末比を見れば「数字」として表れてくるだろう。特に働いていない人または収入が無い(少ない)人にとっては負担が大きい。鉄道友の会の年齢分布を見ればわかるが、50代や60代以上が多く、リタイア世代だと貯蓄以外に”財テク”や年金収入もあるのだろうが、「もしトシだし体も動かんから年会費値上げのタイミングで辞めさせてもらう」人がかなり多いだろう(実際にそうなっている)。一方で若年層(特に10代)にとっても「年会費8,000円」はかなりの負担で、それだけのお金あるならば近所で乗り鉄した方が安い。「若年層には割引があっても良いのでは?」の意見もあったが、そのような事はせず一律に同額(8,000円)となる。

なお逆に会費が高くなる分には本部的には問題なく、9,000円や10,000円(またはそれ以上)でも本部側の認識としては「それでも良い」との事。但し「(会員の)皆さんがそれだけ払えるならね」と言う注釈が付くので、現状多くの既存会員が払えそうな金額として2026年度は会費8,000円と設定したという。果たして8,000円へ値上げする事により退会者がどれだけ発生する事やら…。

 

【年会費8,000円で基本サービスが変わらんとは…ねぇ】

↑こう言うため息(と言うか愚痴)が会員の多くからは漏れている。年会費が3割以上値上げになっても基本サービスは変わりない。プラスの付加価値も付かなければ、付帯サービスが削減されるわけでもない。別途希望するならば支部(研究会)の費用が必要である。”延命措置”をするための値上げであるので、付加価値を付ける余裕がどこにもない。

一応、鉄道友の会の会員証を「リニア・鉄道館」(名古屋市)受付で提示すれば入館料が半額になる。一方で大宮と京都の鉄道博物館では割引適用は無い。この辺は大人の事情もあろうが(リニア・鉄道館が半額と言うのは前会長の出身母体であること、そこの設立に関わった事情も大きいだろうが)、実際に鉄道友の会の会員による利用状況の実績を問われると「非常に少ない」と本部総会で報告された。そうすると先方からの評価も悪く「将来的には割引適用を廃止したい」と言われかねない。そのため会員の皆さんには積極的に使ってもらいたいとアナウンスされる始末であった。実際にリニア・鉄道館で割引適用を受けられると知っている会員自体が意外に少ない事もあるのだが。

 

【支部の活動を活発にさせると言っても…】

 

本部側が言う言い分は概ねこれである。「細かい活動は支部に任せた!」と言わんばかりだ。個人的にはそれはそれで良いのだが、支部が何かええ事をやっているからと言って、本部側で取り上げる(高く評価する)事はない。「支部の取り組み」みたいな事をRFに書けば良いのだと思うが、そういう事もしない。

とは言っても新規支部員獲得は苦労している。一応は新入会員(概ね毎年全国で200人前後いる)に対して、個人情報提供の同意を得た場合に限り、在住地付近の支部から「支部に入るのはいかがでしょうか」と言う連絡(主に各支部が作成した紙媒体支部報やチラシを郵送)を2~3年前からようやく始めたが、反応が薄いのも課題で、例えば2025年度に東京支部が95人の新入会員に対して連絡した所、実際に支部員になったのは5人に留まる。

むしろ鉄道友の会の会員と言っておきながらも、支部(研究会)に入っている人の方が少なく、本部提供の基本サービス(ブルーリボン賞の投票権、リニア・鉄道館入館割引程度の少数)しか受けていない。そのため鉄道友の会の他の会員との交流(知り合いになる)は少ない。

鉄道マニアであっても鉄道友の会の会員・非会員でも特に変わることは無く、毎年カネだけ取られるので、特にキックバック(金銭的な事では無く、鉄道友の会の会員のみの撮影会や見学会が毎月にように開催されて希望者は誰でも参加出来る(実際には応募者多数の場合は抽選になり、抽選から漏れれば参加したくても参加出来ない)、他会員との交流、”中の人”と仲良くなるなど)が自分に入る事も無く「意味ねぇ??」と思って翌年度は年会費未納入=鉄道友の会を辞める…が多いのだと思う。実際にそれは「数字」で表れており、新規入会者のうち最初の3年で7割は辞めてしまう。こんなのブラック企業同然である。

これは本部が腰を上げて、新入会員者(もちろん既存会員も)対してキックバックを与えないと、鉄道友の会の存続そのものも危ういと感じる。

本部の対応と支部(研究会)の温度差が激しく、本部は旧態依然のぬるま湯に浸かっていて、この体制が壊れるのはもはや時間の問題だとさえ思っている。

私が偉い立場ならば(一応本当にそうだったりするが)、10代、20代の人を幹部として積極的に登用する。鉄道マニアの中で最も脂がのっているし、行動力も抜群で、知識や興味もズバ抜けている人が多い。10代、20代に運営を担ってもらい(社会勉強とも称して)、彼らの気に入る好きなように(もちろん常識的かつ適法な範囲内で)鉄道友の会のブランド(いわゆる冠行事)でやってもらってSNSやYouTubeで世の中に知ってもらった方が、鉄道友の会の社会的貢献度、社会的知名度の向上につながる。それが出来ないと2040年には鉄道友の会は消えているだろう。

 

鉄道友の会年会費値上げ

 

JR東日本は2026年度末を持って同社の交通系ICカードのキャラクター「Suicaのペンギン」が卒業すると公表した。ネット上を中心にSuicaのペンギンが消えるとは衝撃的な事で、なんならSuicaと言うカード(やサービス)に限定せずJR東日本全体のキャラクターとしても定着していた。

キャラクターや関連グッズとしては有名であるが、”Suicaのペンギン社長”の実態(正しい名前、性格、特徴など)は実はあまり知られていない。わかる範囲で書いてみる。

【そもそも「Suicaのペンギン」とは?】

Suicaのペンギンはこうして生まれた (前編)

 

Suicaのペンギン (すいかのぺんぎん)とは【ピクシブ百科事典】

 

JRを利用する人にとっては、Suicaは必需品でしょう。

(中略)

ところで、このICカードが登場して以来、ずっと人気 を誇っているのが、そのシンボルキャラであるペンギンです。しかし、このペンギンに愛称はありません。なぜなの でしょうか。 

設定としては、モデルはアデリーペンギンで、南極から 東京にやってきたことになっています。好物は魚肉ソーセ ージ。広大な南極海で「スイスイ」泳ぎ回るペンギンの所 作と、Suicaで「スイスイ」便利になるというイメージとを掛け合わせたことから生まれました。 

また、Suicaが「誰も知らない」「既存のものとは違うサービス」であ ることから、果実のスイカを知らないペンギンが選ばれたのだそうです。 

そして、愛称がない理由としては、「それぞれの生活者が所有すICカ ードの分身」というコンセプトから固有の名前はあえて設定しませんでし た。 しっかりと考えて創作されたことが分かります。 

ただ、もともとは、さかざきちはるさんの絵本「ペンギンゴコロ」など の絵本に登場していたペンギンでした。たしかに当初は名前もなかったの ですが、この絵本シリーズの「ペンギンのおかいもの」では、「スイッピ」と名付けられています。

www2.choukai.com/ichou_higashi2/お散歩日和/酒肴編/?action=common_download_main&upload_id=291

 

↑詳しくは上記を参照されたい。

 

【「Suicaのペンギン」と言う名前は”あくまでも仮の名前”?】

 

ネット(特にX)にはいろんな呼び方が存在する。公式には「Suicaのペンギン」と名乗っているが、下記に列挙する呼び方があり統一されていなかった(JR東日本もあえてそうさせなかった)。元々は「あえて名前を付けない」と言うキャラクター設定で、自然と「Suica+ペンギン→Suicaのペンギン」になったと思われる。そのため「Suicaのペンギン」以外の呼び方も定着しており、公式の名前は”あくまでも仮の名前”に過ぎない所もあった。但し公式には「Suicaのペンギン(仮)」と言うように(仮)とは名乗っていない。カモノハシのイコちゃんの場合は、「カモノハシ」、「イコちゃん」や「イコ」で概ね統一されている。

 

  • スイペン(Suicaのペンギンの略)
  • ペン(Suicaのペンギンをさらに略したもの)
  • 東日本旅客鉄道株式会社代表取締役社長(単に「社長」と言う場合もある。正式社名と肩書きを使っているのが特徴で「JR東日本社長」とは言わない事が多かった。派生したものとしては「会長」、「部長」、「課長」などと言ったようなものもあった。これはカモノハシのイコちゃんやKitacaのエゾモモンガも同様)
  • 主任車掌・主任運転士(主に車両センター等で一般公開時にSuicaのペンギンが登場し名札にそう書いてあった実績あり)
  • スイッピ(同上)
  • 谷川岳の輝ける光明星にして公共交通統合の象徴、東日本の偉大なる領導者、敬愛するSuicaペンギン同志(参考サイトは右記→「なんだこの構文」谷川岳の輝ける光明星にして公共交通統合の象徴、我らが東日本の偉大な領導者であらせられるSuicaペンギン同志が失脚で俄にトレンド入り (2ページ目) - Togetter
  • 子ペンギン(ねずみ色の毛をした小さなペンギン。Suicaのペンギン=親、子ペンギン=子供か?不明。Suicaのペンギングッズ(ペンコレ)ではよく出てくる。略して「コペン」、「コペ」、「子ペンギンちゃん」と言う)
  • ペンコレ(Suicaのペンギンコレクションの略。グッズ販売の際に使われるブランド名)

↑探せば他にも出てくると思うが、主な呼び方としてはこういったものである。どの呼び方をしても基本的には問題ない。個人的には「社長!」、「スイッピー」、「ペンギン君」等と呼んでいた。

【Suicaのペンギンの性格や特徴は?】

Suicaのペンギン (すいかのぺんぎん)とは【ピクシブ百科事典】

 

アニメ「新幹線変形ロボ_シンカリオン_THE_ANIMATION」でも53話より初登場(作品の都合上、JR東日本を筆頭にしたJRグループが全面協力しているため「パロディの類」で登場している訳ではない)し、新幹線超進化研究所総合指令部総指令長東スバルの話し相手兼癒しとして総指令長室ロッカー内で秘書のハルナにも内緒で飼われている…が、63話でフタバ達との相互映像会話の最中に知った様である。

無表情と思われがちだが、嫌々な時は口元が”へ”の時に曲がり、嬉しい時は口角が微妙に上がる。60話ではホクトと出水を伴い桜島の地底世界へ赴く為の直訴をしに総指令本部へ来たハヤトを除くアキタ達の前に現れ(当然全員が真っ白けに)、首から変声機内蔵スピーカーを下げて彼の身代わりを務める。東京駅中央迎撃システムの起動許可を求められた際はシンカリオン運転士達に姿を見られるかもしれない危険性から再び身代わりに立てられた。

キリンとの最終決戦で、名古屋から東京にルクスヴェテを用いた光のレール精製をアズサからの動画配信によって協力を求められ、総合指令部もこの作戦に参加。スバルも率先して、ペンギンを人目もはばからず連れてきて粒子の増産に務めた(手を繋ぐだけだが…)。

続編』でも健在だが、何故かスバルは不在で、出水がひとり室内でメーテルソウヤと通話していたが、後に「総指令長の職は東スバルから出水シンペイへと移譲されていた」事が、第29話にて判明した。

 

↑こう言う性格とは知らなかった。実はSuicaのペンギン氏のプライベートな事は公表される事がほとんどない。

元々は南極出身のアデリーペンギンで、好物は”魚肉ソーセージ”だと言う。2025年のSuicaのペンギンカレンダーを見ると分かるが、”魚肉ソーセージ”以外の食べ物を作る事は否定しておらず、たい焼き、寿司、パフェ、パン等が出ていたし、一部は子ペンギンにも配膳していたので”魚肉ソーセージ”以外も食べる事は出来るらしい。

基本的には大人しい性格?のように見えるが…。私の前では威張っているので対照的なのだが。

【「カモノハシのイコちゃん」等の他社キャラクターとの関係は?】

 

↑JR西日本のICOCAは「カモノハシのイコちゃん」がキャラクターである。ICOCAが首都圏Suicaエリアでも使えるようになったのは2004年で、この頃のポスターを見るとSuicaのペンギンとカモノハシのイコちゃんが仲良く手をつないで喜んでいる。カモノハシのイコちゃんも基本的な性格や好物はあまり公表が無いため詳細不明なのだが、大阪出身らしいので言葉が西日本訛りという事だけは判明している。気さくな性格なようにも見える。

 

 

↑JR北海道のKitacaは「エゾモモンガ」と言う。略して「エゾ」や「モモンガ」である。Kitacaのエゾモモンガ、Suicaのペンギンは形こそ違うものの、頭や背中は黒、お腹は白のため色が似ている。エゾモモンガはお腹に「Kitaca」と書いてあるので簡単に判別は出来る。基本的にはKitacaのエゾモモンガ、Suicaのペンギンとも仲良しでお友達らしい。Kitacaエリア(札幌・旭川・函館周辺)のジュース自販機、コインロッカーを見るとわかるが、エゾモモンガは空を飛んでいる。交通系ICカードのキャラクターでは恐らく唯一空を飛ぶことが出来る。

 

JR東海のTOICAは「ヒヨコ」、JR九州のSUGOCAは「カエル」がキャラクターとして設定しているが特に名前は無い。名鉄や名市交(名古屋市営地下鉄など)のmanacaでは単に「manacaのキャラクター」と名乗っている。私が知る限りではSuicaのペンギンと日頃の交流は少ない。また、Suicaのペンギン、エゾモモンガ、カモノハシのイコちゃんはグッズ販売が行われているが(駅売店など)、他のキャラクターでは行われていない。

 

 

↑民鉄各社のみで使えるICカードにもキャラクターが設定されている事があり、とくに有名なのが香川県の高松琴平電気鉄道(ことでん)の「ことちゃん」(イルカがモチーフ)で、Suicaのペンギンが卒業と聞いてXで「まさかの卒業、おつかれさまでした」とねぎらった。そして続く内容では、「ぼくはイルカですが、ペンギン寄りなので代役可能です」と申し出た。どうやら次期Suicaのキャラクターを狙っている?!ようで、翌日同社幹部が集まる会議で話題になったらしい。

【鉄道模型運転会を見学に行くSuicaのペンギン氏】

 

↑エゾモモンガ氏と鉄道模型運転会に行くSuicaのペンギン氏。「わ~い線路だ☺」と言って線路を見ると無性に線路に入ってしまうのは非常に困る(この時は運転時間外)。

 

 

↑エゾモモンガ氏も同様。反対側の線路では列車が運行している。

 

 

↑線路際で遊んでいたエゾモモンガ氏。通過中の列車と触車した。車両も脱線してしまった。エゾモモンガ氏に大きなケガはなかったが、車両のダメージは大きく復旧作業が難航した(大規模な輸送障害が発生)。後で偉い人から怒られたのは言うまでもない。以後、線路内進入が発生しないように厳しく取り締まる事になった(社長がこうなので社員もそうなるわけで函館本線で同様の事案が複数発生し国が今年(2025年)から2年かけて集中的に厳しく監査が行われている→本当の話)

 

 

↑脱線事故を見ていたSuicaのペンギン氏は(偉い人から怒られたくないので)大人しく模型運転する列車を安全な場所から見ている。自社の車両も多くご満悦だ。

一方でカモノハシのイコちゃんはこの模型運転会にはあまり来ない。理由は自社の車両が全く走っていないためでイコちゃんいわく「ペンギンの所の車両ばかりで不満や」とのこと。

 

 

↑必ずしも今の車両が走っているわけではない。「近鉄運輸」であったり、昔デザインの「カンガルー便」、「NITTU」(日通)、写真には無いがワム車、ホキ車(石炭輸送)もある。当然平成生まれなので知るわけがない(一応Suicaのペンギン氏は「日本の鉄道は何でも知っている」と豪語しているが)

 

【夏の思い出】

 

 

↑天竜浜名湖鉄道の洗車機を視察するSuicaのペンギン氏・エゾモモンガ氏

 

 

↑他社の車庫を見るのも重要な仕事

 

 

↑天竜浜名湖鉄道TH2100系と記念撮影出来て上機嫌なSuicaのペンギン氏・エゾモモンガ氏

 

 

↑天竜浜名湖鉄道の営業列車で前面展望に挑戦(二俣本町駅通過中)

 

 

↑浜名湖沿いで前面展望をするが…

 

 

↑暑さでダウンするSuicaのペンギン氏。北国育ちなので暑さには弱いのだ。

 

 

↑いろんなお友達とも出会いがある

 

 

↑夏の思い出となったSuicaのペンギン氏・エゾモモンガ氏

【Suicaのペンギンを何故変えるのか?】

 

私は口が悪いので「Suicaのペンギンは喜勢社長から嫌われてクビになった」と思っている。「クビ」と言われると聞こえが悪いので「卒業」として聞こえを良くしたのは間違えないようだ。その中間をとれば「引退」でこれは車両が老朽化で運転終了する時と同じである。一方で25年(四半世紀)に及びSuicaのみならずJR東日本のキャラクター全体としても活躍して来たので、”後進に道を譲る”と言う理由で定年退職すなわち「勇退」と言っても良いのかもしれない。

 

一応表向きではSuicaのサービスを刷新する事でイメージチェンジを兼ねてキャラクター変更もその一環とされる。しかし、SuicaのペンギンはJR東日本、電通、作者の三者が著作権等の権利を持っており、カモノハシのイコちゃんやエゾモモンガとは異なり作者から権利をJR各社が買い取ったのとは経緯が異なる。イコちゃんやエゾモモンガについては自社のキャラクターとして比較的自由に使えるようだが、Suicaのペンギンは使うにあたってもいろいろと制約があったようだ。ならばJR東日本が作者からSuicaのペンギンに関わる権利を全て買い取ってしまえば良いのだが、Suicaのペンギンが登場した経緯を考えると(無理矢理やろうと思えばできるのだろうが)それは妥当では無く、今でも©表記はJR東日本、電通、作者となっている。作者の意図としては「Suicaのためにキャラクターを提供したわけでは無い」所もあるため、JR東日本が買い取ってしまうと逆に今後は作者側が自由に使えなくなる。それを避ける狙いもあるようだ。

【Suicaのペンギンの行方】

最も気になるのがこれである。JR東日本は公式には「未定」としている。一部報道では「Suicaのペンギンは2027年3月(2026年度末)で卒業するので、以後は(少なくてもJR東日本グループとしては)グッズ販売は実施しない」と表明しているという。但し作者が作るグッズ(主にオレンジページで販売)では引き続き販売継続するのではないかと思っている。しかし、あまり広くは話題になっていない。駆け込み需要もあってか、2025年11月11日にSuicaのペンギン卒業が公表されると、関連グッズが大量に売れ始めて欠品・品切れが続出とのこと。ある意味”パニック買い”ともなっている。

私の予想だが、JR東日本のSuicaの(若しくは会社全体の)キャラクターとしては2027年度以降は使わなくなる。これは決定事項である。一方で「スイッピ」そのものは引き続き作者のキャラクターとして残るのは概ね間違えないだろうから、姿形(すがた・かたち)としては今後も残るだろうし「元Suicaのキャラクター」と言う肩書きは付くだろう。そのため2027年度以降もSuicaのペンギンキャラクターは販売元が変わるだけの話でスイッピ自体が消えるわけでは無い。引き続き我々を楽しませてくれる…と期待している。

 

 

 

 

【素晴らしい車窓】キハ150になった函館本線長万部→森の普通列車に乗る

函館本線の函館~長万部~小樽間は2038年と言われている北海道新幹線開業前後に並行在来線としてJR北海道の路線では無くなる予定だ。一応は長万部~小樽間(山線)については「廃止」する方針で概ね決まったが、余市~小樽間は輸送密度が2,000人を超える事や昨今の運転士不足でバスによる代替輸送が出来ないと受託予定のバス会社からも意見が出ている。同社の島田会長は「新幹線開業前に長万部~小樽間の鉄道廃止は可能だ」とも言及している。

山線については概ねの方針が固まっているが、函館~長万部間については話が紛糾している。この区間は貨物列車が多数走っており、本州で言うならば東海道に匹敵する輸送量や本数がある。青函トンネルは新幹線も通るが貨物列車の速度向上が出来ないため(これは技術的でかつ安全上の理由による)新幹線が足かせとなっている。これもあってか「そもそも北海道には貨物列車は要らないのではないか」と言う議論にもなっている。物流全体で見れば貨物列車が占める割合は低いものの、冬季は航路や空路の安定運行が難しいため、その面では貨物列車は有利となる。

函館~長万部間については現状の函館本線を維持するのか?と言う概ねの方針さえ決まっていない。一応方向性としては「鉄道は維持するが旅客輸送は廃止。貨物輸送に特化する」との方針が示されている。並行在来線ではこれは前例が無い。

特急北斗は北海道新幹線に移行するので、旅客輸送の中心になるのは普通列車だ。しかし、本数が少ない。それもそのはずでその本数に見合った分だけの利用者しかいない。車両はキハ40の単行だったが、老朽化によりキハ40の運行は終了した。旭川(主に富良野線)から移籍のキハ150に置き換わった。車両運用上は森~長万部間について2024年3月16日ダイヤ改正以降、原則キハ150となった。この区間は海側(函館行きの場合は進行方向左側)の車窓が非常に良い。個人的には全国トップクラスの車窓と思っている。これも旅客輸送終了で見る事は出来なくなる。特急北斗でも見られるが、この地区の利用状況を見る事とノンビリ車窓を見るためにあえて普通列車に乗った。

 

乗車日=2024年10月30日(水)

列車番号=2842D(渡島砂原経由函館行き)

時刻=長万部13時38分→森14時44分

車両=キハ150-5

【函館本線函館~長万部間と一体的に運行される室蘭本線で特急北斗10号に乗る】

 

↑東室蘭12時24分発の10D特急北斗10号函館行きに乗る。特急北斗は基本的にキハ261系1000番台5両運転で、編成は函館方2両がST1100番台編成+中間車にキハ260-1300(または1400)形+札幌方2両がST1200番台編成である。6両以上になる場合は中間車を1両ずつ増やす形だ。北海道新幹線新函館北斗開業時(2016年)には10両運転もあったが、近年は最繁忙期(3大ピーク期)でもそうなる事が珍しく7両もあれば長い部類になっている。

この日の10Dは函館方からST1107編成+キハ260-1329+キハ260-1315+キハ260-1314+ST1211編成の7両であった。グリーン車は函館方先頭のST1107編成の1号車(キロ261-1107)のみで、2号車以降は全て普通車である。

 

 

 

↑座席指定はしなかったので(北海道フリーパスを使う)空席に座る。あえて2号車のキハ260-1107にしたが、その理由はデッキに充電コーナーがあるため。キハ261系1000番台普通車では2号車のデッキに3ポートだけスマホ(携帯電話)用の充電コンセントがある。東室蘭~長万部間の約1時間デッキに立っているつもりはなかったので、2号車の比較的デッキに近い空席に座る。この時は充電している人は居なかったが3ポートしかないのは心もとない。全席コンセントを付けてもらいたい所だがJR北海道の財政状況が許さないのだろうか。

 

 

 

↑長万部には13時20分の到着(3分遅れ)であった。この日の10Dのノリホを付けると1号車が9割、2号車が5割、3号車が7割、4号車が3割、5号車が6割、6号車が4割、7号車が5割の座席が埋まっていた。多くはインバウンド(外国人客)で日本人の方が少なかった。これが近年の特急北斗のよくある利用状況である。こうやって見ると号車により乗車状況に偏りがある。グリーン車が意外によく乗っていた印象もあった。乗車区間は”通し”がほとんどで札幌・南千歳~新函館北斗・函館が主体となる。苫小牧や東室蘭などでの乗降も一定数あるが、これが長万部や八雲や大沼公園となると意外に少ない。この日の10Dからは長万部で約15人の下車があった。遅れていたため乗降終了次第すぐに発車した。

長万部駅構内は室蘭本線と函館本線函館方面が直通した線形となっており、山線が山側(特急北斗乗車場面だと函館行きの場合は進行方向右側から)合流する形だ。函館~長万部間は函館本線であるが、実際の線形や利用状況、運行体系を見ると室蘭本線と一体的に運行されており、あたかも山線の方が支線のように見える。山線は今ではローカル線と化しているが、国鉄時代は多数の優等列車が通っていた。1986年11月1日の国鉄最後のダイヤ改正で一晩にして一気に優等列車が全廃した衝撃的な歴史を持つが、これは特急などの優等列車が今まで「函館中心」だったのが「札幌中心」に完全移行した事による。この辺は石勝線と根室本線の関係も絡んでくるので気になる方は各自勉強してもらいたいが、このダイヤ改正が現在のJR北海道の輸送体系の礎になっている。

【函館~長万部間の普通列車はキハ150に変わっていた】

 

 
 
↑長万部駅の使い分けは1番線が特急北斗函館行き、2番線が特急北斗札幌行き、3番線と4番線が普通列車となる。主に3番線は到着列車と函館方面、4番線が小樽・東室蘭方面となる(例外もある)。長万部駅の山側では大型重機が出ていた。2024年7月20日から北海道新幹線の長万部駅の建設工事が始まった。元々は海側に作る予定だったが土地が無かったらしく、土地があった山側にしたとの事。今後長万部駅の姿は大きく変わるだろう。北海道新幹線では320km/h運転が予定されているので、特急北斗の倍以上の速度でぶっ飛ばす姿が想像出来ない。
 
 
 
 
↑2842Dはキハ150-5であった。旭川運転所(旭アサ)からの移籍車で帯色からして元々は富良野線で走っていた車両という事がわかる。JR北海道函館支社では2020年代に入って経費削減を理由に気動車におけるサボ(行き先幕)の挿入を止めた。そのため車両に行き先表示が無く「行き先不明」となっている。長万部駅の場合は有人駅なので、駅員によるマイク放送で行き先連呼は行われるし、車内に入れば発車前の段階では何度も繰り返し行き先連呼が行われる。本数も本数なので定刻通りの運転ならばサボが無くてもどこ行きの列車なのか一応は想像がつく。
 
 
↑山線は1904年に開業した。2024年は開業120年であった。かなり歴史のある路線だ。だが前述の通り並行在来線のため廃止が決まっており、実際に路線が消えるのも時間の問題になっているのが悲しい。
 
 
↑長万部駅名物の「カニの時刻表」。右側の普通列車を見るとたったこれだけしかない。ニセコ・小樽方面が4本、洞爺・東室蘭方面も4本、森・函館方面で6本となる。特急北斗はこの倍の本数はある。普通列車は全て単行(1両)で、私の乗車経験上は立たされる事は(ほぼ)無い。一応函館~長万部間の普通列車のみの輸送密度は685人とされる(特急も含めれば4,000人程度)。大半は函館~七飯・新函館北斗で稼いだ数字で、これが長万部界隈に限定すれば200人も居ないのかと思う。
 
 
↑4番線から13時29分発2943D倶知安行き(H100-13)が発車する。1本前の山線は6時03分発の2929D小樽行きだったのでナント7時間ぶりの列車である。2016年3月26日ダイヤ改正前までは9時台にも列車があったが利用低迷で廃止となっている。
 
 
↑3番線では2842Dがお客を待っている。しかし、長万部発車時点で乗ったのはたったの3人であった。これが森~長万部間の普通列車の実態である。翌日昼間の823D長万部行き(函館12時35分→長万部14時56分・藤城線経由)に乗ったが八雲→長万部間は”まさかの貸切”(私以外に乗った客が誰も居ない)であった。これが長万部界隈では当たり前なのだ。
 
 
 
↑車内はボックス席で4人掛け(函館行きの場合は進行方向左側)と2人掛け(同右側)となる。
 
 
↑長万部(札幌)方にはトイレがある。この辺りはロングシートとなる。
 
 
 
↑運転席はご覧の通り。意外と古さを感じない車内と運転席だ。半室運転席なので車掌側は他社の場合立ち入りできる場合が多いが(例えばJR東日本のキハ110系、JR西日本のキハ120系、天竜浜名湖鉄道のTH2100形など)JR北海道は安全対策のため立入禁止となっている。簡易な仕切り棒の付近は台となっているのでこの辺りに立って後面(または前面)展望をする。

【函館本線長万部→森の素晴らしい車窓】

 
↑長万部~国縫(この付近には2024年3月16日まで中ノ沢駅があった)
 
 
 
↑国縫駅(国鉄時代は瀬棚線との分岐駅であった。もう廃止から40年近く経過するのでその面影は残っていない)
 
 
↑国縫~黒岩(この間に北豊津信号場あり。元々は北豊津は駅であったが利用低迷により駅廃止。信号場となった。国縫~北豊津は複線、北豊津~黒岩は単線)
 
 
 
↑黒岩駅(駅名標が一部修正されている。駅廃止が多いため北海道ではこのような駅名標が増えている)
 
 
 
↑黒岩~山崎(複線・左側に見える絶景区間が森まで断続的に続く)
 
 
 
 
↑山崎駅(Y字分岐器あり→キハ261系は90キロ制限・この先も単線)
 
 
 
 
↑山崎~鷲ノ巣信号場(~八雲・山崎~鷲ノ巣は単線・絶景区間)
 
 
↑鷲ノ巣信号場(山崎~八雲・ここも元々は駅であった・この先は複線)
 
 
 
↑(山崎~)鷲ノ巣信号場~八雲(複線・北海道らしくサイロが見える)
 
 

↑八雲駅(14時10分・2人乗る・有人駅8時10分~16時10分・夏季は日勤だが冬季は夜勤となる・サツドラ・ツルハなど付近にあり)

 
 
 
↑八雲~山越(線路側に向けたホーロー看板)
 
 
 
↑山越駅(国道5号沿い・この付近を八雲町「浜松」と言う)
 
 
↑野田生駅
 
 
 
 
 
 
↑野田生~落部(噴火湾沿いを進む・絶景区間・有名な撮影場所)
 
 
 
↑落部駅(1人下車・「おとしべ」の駅名標が7~8枚あり。もはや北海道名物)
 
 
 
↑落部~石倉
 
 
 
↑石倉駅
 
 
 
 
↑石倉~森(駒ヶ岳が見える・国道5号と並走・本石倉・石谷・桂川の3駅があったがいずれも廃止・途中の石谷は信号場になっている)
 
 
↑森にて(3番線・14時53分発車・5人程度しか乗車していない)
2842Dは渡島砂原・鹿部経由で函館へ向かう。そのまま乗り通してしまうとキハ40に乗る事が出来ない。森駅の側線には案の定キハ40が止まっていた。森→函館間はキハ40に乗る事は決まっていた。
それにしても、長万部→森間で2842Dに乗ったお客は途中で乗降した人を含めても10人に満たなかった。これが函館本線の同区間の現実である。とても鉄道輸送では無理がある数字だ。路線バスでも厳しい数字だ。途中駅は廃止が相次いでいて、交換設備がある所は何とか信号場で残ることが出来たが、それが無い駅は廃止後は跡形もない。
北海道新幹線が出来るまでに(旅客輸送を続けている間は)この区間の乗車回数は増やしたい。この素晴らしい車窓を車内から見るために。
 

 

【四季島に道外禁止・無人駅となった室蘭駅とフェリーターミナル】鉄道が栄えたマチ室蘭を見る

北海道室蘭市は道央と道南の中間地点では要所と言える。道路はE5道央自動車道が通っているが、札幌方面は片側2車線に対して函館方面は1車線(対面通行)に変わる。国道は札幌~室蘭間の36号、それに接続する形で室蘭~長万部間の37号となる(長万部で5号と接続する)。鉄道は室蘭本線が市内を通るが歴史は長く1892年に北海道炭礦鉄道によって開業したのが始まり。空知や夕張と言った炭山(炭鉱)で採掘した石炭を貨車に積み、室蘭港まで長編成の貨物列車が1970年代まで運行していた。室蘭本線は基本的に複線だが、そうなったのも石炭輸送があったおかげだ。現在もほぼ全区間にわたり貨物列車の運行があり、本州と北海道を結ぶ大動脈だから運行本数も多い。今や40両や50両の貨車を連ねることは無く最長でも20両(東海道よりも短い)である。室蘭市内には東室蘭駅と室蘭駅の2つの大きな駅がある。それぞれに特徴や役割が異なる。対外的な入口となるのは東室蘭駅で、そこから海沿いに入っていったのが室蘭駅である。このような作りは夕張に似ている。そんな鉄道が栄えたマチ室蘭を見てみた。

 

日時=2024年10月30日(水)

 

(乗車列車)

列車番号=432Мワンマン室蘭行き(東室蘭10時27分→室蘭10時38分)

車両=737系C6編成・クハ737-6

 

【室蘭市の対外的な入口は東室蘭駅】

 

↑室蘭市の対外的な入口駅となるのが東室蘭駅だ。室蘭本線で苫小牧~長万部間を通る(通り抜ける)列車は室蘭駅には向かわない。東室蘭~室蘭間は「室蘭支線」と称する支線扱いとなっている。それでも立場上は本線と同列で、沼ノ端(札幌方面)からの電化も支線に向かって延びている。一方で本線の電化は東室蘭までで以西(長万部方面)は非電化となる。そのため電車は必然的に支線の方しか入れない。

 

 

↑3番線から室蘭・長万部方を見る。前者は左方向、後者は右方向に進む。東室蘭駅付近は鉄道関連施設以外「何もない」と言う印象であったが、この時来てみたらルートイン(ビジネスホテル)が出来ていた。

この部分は旅客・貨物共用の部分である。鷲別(苫小牧)方にも無数の線路がある。こちらも「東室蘭駅」と称するがこちらでは旅客扱いは無く、貨物列車が停車する。貨物コンテナ等の荷物の積込も出来る設備となっている。2014年までは鷲別駅構内に鷲別機関区と言うJR貨物の現業機関があり機関車の配置もあったが廃止となった。以後は五稜郭機関区に統合される形となったが、今でも貨物列車の運行上は重要な場所となっている。

 

 

 

↑5番線を貨物列車DF200-8+コキ20両(9時26分・51レ札幌(タ)行き)が通過する。この先の(貨物列車としての)東室蘭駅に停車するため速度が落ちている。この時間帯は本州方面からの貨物列車(下り列車)が多数到着する時間帯で本数も多い。逆に札幌方面からの出発(上り列車)は午後になるまで少ない。

道内の貨物列車はコキ100系に載せたコンテナ搭載が基本で、石油等の車扱い列車は10年ほど前(2014年頃までに)消滅した。機関車はDF200形式のみで五稜郭を起点に同内各地へ(根室本線新富士、石北本線北見、宗谷本線北旭川まで)運行する。

道南~道央だけに限ってみれば、特急北斗が走行する経路と同じだ。函館山線(長万部~倶知安~小樽~札幌)経由はJR発足後は一部時期を除き運行されていない。北海道新幹線札幌開業に伴い、函館本線の小樽~函館間を第三セクター等に経営分離する方針だが(並行在来線)、JR貨物は山線経由で貨物列車を運行するつもりは毛頭なく、現行経路に拘っている。それもそのはずで、貨物関連施設は海沿い(苫小牧や東室蘭)に偏っており、山沿い(山線沿い)には全く無いためだ。

【東室蘭駅にE001系四季島が来た】

 

↑東室蘭駅の改札口は自動改札機導入となっている。室蘭本線では苫小牧~室蘭・長万部はKitaca等の交通系ICカードは使えない。紙のきっぷを投入するだけの機能になっている。

改札口横にはJR東日本の豪華列車「四季島」が東室蘭駅に来る案内が出ている。それを見るとちょうど訪問した日時に来るとの事だった。2024年の場合は4月、5月、10月、11月の水曜日(一部を除く)の9時42分~10時01分まで4番線に入るとの事。

 

 

↑一旦改札口を出場する。一応はみどりの窓口もあるが、「話せる券売機」に誘導させるべく操作方法を示した大きなパネルがあった。形式的には列車別改札を敷いているが、自動改札機導入駅なので有効な乗車券類があれば、いつでも自由には入れる。

後術するが2024年10月1日以降は室蘭市の旅客駅では唯一の有人駅となった。裏返せば残りは全て無人駅である。

 

 

↑主に特急北斗が運行される線区では特急専用の発車案内装置がある。列車により両数が異なるため、ホーム上における乗車位置表示が示されている。この表示器を見ると近鉄特急のそれに似ていて個人的には親近感を持つ。

 

 

↑東室蘭駅は東西自由通路「わたれーる」となっている。ここには待合室、セブンイレブン(JR北海道の子会社北海道キオスクが運営)がある。室蘭・長万部方はトレインビューで高い所から東室蘭駅に発着する列車を見る事も出来る。

 

 

↑E001系四季島が入る4番線に行く。

 

 

↑発車案内装置も「TRAIN SUITE四季島10:01出発」となっている。この手の専用列車は表示しないのが通例だが、東室蘭駅では律儀に表示している。

 

 

 

↑737系(2両・C6編成・4番線・9時24分着→9時26分発の429Мワンマン登別行き)

 

 

↑「編成」で記録(撮影)したかったので3番線で四季島の入線を待つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

↑E001系四季島を10号車から1号車に向かって全て記録(撮影)した結果。編成が長い割には人が少ない印象であったが、それもそのはずで1両に数名しか乗れないためだ。カタログスペック上は10両で30名弱の乗車定員であった。それはお客の事でサービススタッフ(客室乗務員)は別に含まれるようだが、それを入れても50名も居ない感じである。

客扱いは登別からだったようだが、車両整備の関係で札幌運転所へ一旦持って行くようで登別~札幌(正確には手稲)は往復回送と言う扱いであった。これは豪華列車あるあるの話である。

 

 

↑駅名標とセットで入れておけば東室蘭駅に来た証拠がわかる。

 

 

↑E001系にはパンタグラフがあった。札幌(手稲)~東室蘭までは電車として運転。

 

 

↑東室蘭駅停車中にパンタグラフが降ろされる。同時にディーゼルエンジンが起動開始。この先は非電化のため気動車となる。1つの車両で電車と気動車の両方を持つのは過去の歴史から見ても非常に珍しい。青函トンネルの前後(函館~青森)は電車としての運転になるが、新幹線仕様の保安装置が必要のためそれも搭載している。結果としてかなり重装備な車両にせざるを得ない。一般的な特急車両ではこれだけの設備投資は慎重になるが、豪華列車ならば乗車料金(旅行代金)に多く含めても然程問題ないし(と言うかお客はそんな事は気にしていない)、多く取っておかないと車両の維持費や初期費が回収出来ない。お客から多くお金を取れるならば重装備になってもヨシと考えたのであろう。

【道外禁止】

 

 

 

 

 

 

 

↑H100形(84・道外禁止セキ3000・観光仕様車・普段は定期列車で使用・10時24分発474D豊浦行き)

 

「道外禁止」と言う車両は室蘭本線の歴史を物語る。セキ3000は石炭を積み込む貨車の事で、最高速度が65km/hに制限だった等の理由で道内のみでしか走行が許されていなかった。今のJR貨物のコキ100系もそうだが、貨車は昔から全国各地で走行する運用となっていたので、道内のみでしか使えない貨車については「道外禁止」と表示して分かりやすくする必要があった。

 

道外禁止プロジェクト - 「道外禁止」の表記をパワーワードとして「つながる追分」や「タイと北海道のキハ183」を始めとした他地域との交流や、今後の新たな観光資源並びにコンテンツづくりを目指すことを目的としたWEBサイトです。道外禁止プロジェクト

 

道外禁止! って何だ? | 大井川鐵道社長 鳥塚亮の地域を元気にするブログ

 

いろいろある貨車の標記の意味【3】 貨物輸送の進化と輸送係の注意喚起 - 旅メモ ~旅について思うがままに考える~

 

JR北海道 貸切列車の旅① 道外禁止 ラッピング (苫小牧駅→富浦駅→室蘭駅→) | RIKOのおひとりさま~札幌シティガイド・北海道観光マスターの北海道旅行情報・温泉ソムリエマスターの温泉情報~登山、旅行、食べ歩き

 

国鉄セキ3000形貨車 - Wikipedia

 

↑詳細は上記ホームページを参照されたい。

 

【737系電車で室蘭支線に乗る】

 

↑東室蘭駅から10時27分発の432Мワンマン室蘭行きに乗る。737系C6編成の後ろ方(札幌方)クハ737-6とした。列車は登別駅発だ。”室蘭市内線”と言っても良いような運転(東室蘭~室蘭のみ)も少なくないが、必ずしも電車とは限らずH100形になる事もある。この辺は列車番号を見ればわかる。

電車運転は737系以外に785系や789系の特急すずらんもある。2024年3月16日ダイヤ改正までは東室蘭~室蘭は種別変更を行い普通列車扱いとしていたが、同改正で特急のまま運転している。特急すずらんは今も昔も室蘭支線では各駅停車になるが、この区間の相互間乗車であれば特急券は不要だ(乗車券のみで乗れる)。ある意味”乗り得列車”で室蘭支線だけ特急すずらんは何度も経験がある。

東室蘭駅を発車して大きく左にカーブする。支線なので長万部行きの本線から離れる形だ。支線と本線の間はデルタ地帯(三角州)になっている。ここには無数の線路がある。この付近には2024年9月に大きく話題になったJR貨物の「輪西車両所」である。

 

輪西車両所は、北海道室蘭市仲町に位置するJR貨物の車両工場です。1912年(大正元年)に岩見沢工場室蘭派出として設立され、1923年(大正12年)に現在の場所に移転しました。

🏭 概要

輪西車両所は、JR貨物北海道支社が運営しており、貨物列車の車両の整備などを行っています。過去には、車両の公開イベントなども開催され、DF200形式機関車の体験乗車や貨車の展示などが行われたことがあります。2019年(令和元年)には「輪西車両所」という名称になりました。

🚨 データ改ざん問題

2024年9月11日、輪西車両所を含むJR貨物の3つの車両所で、貨物列車の車輪と車軸を繋ぐ作業において検査データ改ざんが行われていたことが発覚しました。基準値を超える圧力で組み立てたにもかかわらず、圧力が基準値内だったとするデータに差し替えていたとされています。

  • 経緯: この不正は、2024年7月に新山口駅で発生した貨物列車の脱線事故をきっかけに明らかになりました。
  • 不正車両数: 全国で564両の貨物列車と4両の機関車に不正が確認され、そのうち輪西車両所では309両が関与していました。
  • 影響: JR貨物は、不正のあった車両の検査が完了するまで運行を停止するため、輸送能力が約1割低下する見込みです。国土交通省は輪西車両所などへ特別保安監査に入り、立ち入り検査を行いました。

↑Yahoo!検索のAI(人工知能)に聞いてみた所こう言う事であった。東海道線富士駅で貨物列車の貨車を見ていたら検査場所の表記は「輪西」になっていた。貨車(コキ100系シリーズ)は全国運用しているため、旅客車や機関車とは異なり所属の車庫を持っていない。当然重要部検査や全般検査があるため一定期間ごとに検査を受ける必要があるが、検査日が近い段階で検査が出来る最寄り車両所で行うとされており、輪西、大宮、広島となっている。

だが室蘭支線の車窓からはハッキリと輪西車両所構内と思われる場所が良く見えないし、検査前後の車両が留置線に置いてあるはずの姿も見えない。東室蘭駅付近のJR貨物の施設は複雑で、貨物駅としての東室蘭駅、輪西車両所、旧鷲別機関区、陣屋町駅と点在する。陣屋町駅はJR北海道で不要になった車両を一時的に残置するような場所にもなっており、キハ183系等が海外輸出した際には室蘭港から船積みされた。陣屋町駅は2014年まで石油貨物列車の基地でもあったが、荷主のENEOSの意向で鉄道輸送は廃止(タンクローリー等に変更)になった。そのため道内では2014年以降は石油貨物列車は存在しない。

 

 

↑御崎駅

室蘭支線は全区間複線電化だ。有効長も長い。東室蘭駅以外はワンマンドア扱いのため先頭車両しかドアが開かない。後ろ方の車両からは駅に停車するごとにお客が前の車両へ動く。

【2024年10月1日から無人駅になった室蘭駅】

 

 

 

↑室蘭駅は1面2線島式の行き止まりホームだ。昔はもっと広かったようだが、その時代の事は正直よく知らない。線路際までパチンコ店、コープさっぽろ(スーパーマーケット)などの店舗が広がっており、恐らく元々は線路があったのだろう。

室蘭駅もワンマンドア扱いで先頭車両(クモハ)の運転席付近のドアから下車する。「北海道フリーパス」なので運転士に見せるだけで終わりだ。そのまま折り返し列車になるのだが、これもワンマンドア扱いのため先頭車両(クハ)の運転席付近のドアに乗車希望者が10人程度待っていた。実は室蘭駅ではこのような光景は初めて見た。以前は全ドアから乗り降りが出来た。

 

 

↑室蘭駅名物の長い通路を歩く。前述の通り東室蘭~室蘭間のみの利用であれば特急すずらんは乗車券のみで乗れる。

 

 

 

↑無人駅になっていた。元々あった駅事務所には大きな貼り紙で「ご利用いただいております室蘭駅は、令和6年10月1日(火)より無人駅となります」とあった(令和6年=2024年)。

この事は事前に知っていたが、いざ無人駅となった室蘭駅に来てみると”もぬけの殻”となっており寂しかった。無人駅にした理由としては利用低迷を上げており、JR北海道の社内では無人駅になるための明確な基準は無いものの「今後も利用が増える見込みが無いため無人駅にすると決めた」とコメントしている。

 

 

↑無人駅と同時にみどりの窓口も消えたため、代替として話せる券売機を新設した。これで特急すずらんのきっぷは買える体制にした。さらに発車案内装置(フルカラー式)も新設し、直近時間帯の発車時刻を表示している。運行情報も表示されるもので、運休が生じた場合は発車時刻の上に×印が付く。それでもジュース自販機、待合室、トイレは維持された。そのため室蘭市にあったJR北海道の有人駅は東室蘭駅のみになった。

 

 

 

↑室蘭駅前はロータリーがあり、列車の発着に合わせて送迎の車が頻繁に来る。10月終わりであったがもう樹木は紅く色づいていた。北海道ではこの時期に色づく事が多く本州(関東以西)より1か月程度は季節が進んでいる。駅前は国道36号、スーパー、北洋銀行などがあり、室蘭市中心部の様相だ。

【旧室蘭駅舎と室蘭港フェリーターミナルを見る】

 

 

↑今の室蘭駅から約600メートル歩くと昔の室蘭駅舎(旧室蘭駅舎)がある。この間は今や道路になっているが元々はこの辺りは無数の線路が広がり、船積みするための設備もあったと言う。旧室蘭駅舎の入口にはSL(蒸気機関車)のD51-560が静態保存されている。D級機関車となれば車体がデカい。

 

 

 

 

 

↑旧室蘭駅舎の中は「暖房中」で、バス待合室としても機能している。ここには観光協会に加えて、昔の室蘭駅を解説する資料が多数展示されていた。室蘭と鉄道の歴史がよくわかる。昔懐かしいボックス席に座り少し休憩する。

 

 

↑続いて室蘭港フェリーターミナル(フェリーふ頭)に進む。

 

 

↑イチョウが見事に色づいている。

 

 

↑青森に行くことが出来る津軽海峡フェリーがあるらしい(この存在は知らなかった。青森~函館のみだと思っていた)。

 

 

 

↑11時前後に発着するフェリーはなかったが、タンカーや輸送船が何隻か見る事が出来た。室蘭市西側の山並みがよく見える。「白鳥大橋」は写真左側であるが、意外にもここには行った事が無い。室蘭市の観察場所となれば東室蘭駅、母恋駅、室蘭駅から徒歩圏内のみで、個人的には魅力感じるマチである。今度は駅から離れた室蘭市内を見てみたい。