印度浜木綿日記

印度浜木綿日記

いんどはまゆう にっき





✳︎


南インドに住んではや幾年月。
色々なことがあったのに何事も無かった様に今があります。
これからはここでの暮らしを綴って未来の「今」を作っていきたいです。

Amebaでブログを始めよう!
この街は標高900メートルと高く、

昔はゆったりした前庭を持つ素敵なイギリス風なデザインを持つ家が建っていました。

それぞれ敷地が広いのでだんだんとマンションに変わり、人口が増え、車が増え
樹は切り倒され、住民の心はざらつき出して余裕がなくなってきました。

コーヒー農場で有名なクールグは観光客誘致のためたくさんのホテルが建ち
樹が伐採され雨が降らなくなり
ダムの水は減少、隣の州へ放水することを嫌がり
争いになるまでの体たらく。

季節には紫のジャガランダが幻想的な風景を作り出していた昔の街は何処に。

昔に思いをはせることは嫌いだけど、
今があまりに醜いと思わず振り返ってしまう。。

今が明日を作るなら今に気持ちよく集中したいと、ささやかな願い。





女学校




















長らくご無沙汰していました。

ヒマラヤに修行に行ってきました!と言いたいところですが

ただダラダラしていました。

そんな毎日の中で当地は非常事態宣言が下されました。

お隣の州に水を上げる上げないのいざこざでこれが何十年にもわたって問題になっています。

隣の州の人がいっぱいここには住んでいますが

タミールナドウ州のナンバーの車、お店、、が焼き討ちに遭いました。
チェンナイ行きのバスが40台以上炎上しました。
便乗して暴れていると言う感もありますが。。。

こんなことをしているのは一つのカルナータカ極右グループで、マックやケンタが来た時も反対して店に襲撃をした輩です。

お隣へダムの放流が済む20日までは中央政府からの応援軍が来ているくらいで、
また暴れるかもしれませんが、
焼き討ちは消防車の水を使うのでなんだかなあと思います。
火をつけるのだけはやめてほしいです。

水を大切に。


北インドの主食はチャパティですが南インドではお米です。

その北インドも山の方へ行けば行くほど食料事情が悪くなり


チャパティにダールと言う豆カレーのみになります。

豆カレーも上に行けば行くほど豆が無くなりスープカレーになって来ます。

タポーパンへ登る前に最後にあった粗末な小屋で仕方なく食しましたが

味も何もない素朴すぎるものでしたが、それでも登る力をくれました。

帰国して、

そのあばら家の様なところでチャパティを焼いていたオヤジが

あるグループの立派なパンフレットにグルとして写真に載っていました。。。


真実を見分ける目をつけていかないととんでもない事になると感じた一事でした。







アシュラムや寺院で供される食事は大抵、床に坐って手で食べます。

お皿はバナナの葉や小さな葉っぱを細い枝でつなぎ合わせた物がお皿です。

手で食べるのも葉っぱのお皿も最初は戸惑いますが

食事を繰り返していきますと

これが一番清潔だと実感できます。

チャパティは発酵していない薄いパサパサした物ですが
これをいただくのはやはり手で食べるのが一番になります。

大変なのはご飯であったりスープの様なカレーは食べるのに難儀しますし

見た目も悪く嫌です。

普段の生活ではフォークや箸やともかく手で食べる事はないですが

アシュラムへ行くとなるべく手で食べる様にしています。

食事が口からではなくもう指から始まっているっていう感じがして
私は「食べている」事が実感できて
この食事が私を生かしてくれるんだと思いが湧き、
一粒たりとも無駄には出来ず指で丁寧にすくい取ります。
ヒマラヤの麓リシケシの町はヴェジタリアンの町です。
お隣のハリドワールもそうです。

町の真ん中を清涼なガンジス河が流れ
朝な夕なにその河を眺め、音を聞きながら過ごしたものです。

その頃はまだ人も少なく
その地でpcを開こうとする人もなく
ネットカフェも存在していなく

聖地の中の聖地でした。

今は人で溢れ当時の趣きも乏しく行っていませんが
時々、聖なる地に赴きたくなり
訪れるのはチルバンナマライという名の村にある聖山アルナチャラの麓にあるアシュラムへ行きます。

アシュラム内は静謐で(人がいても)
今なお、ラーマナマハリシの余韻が辺りに偏在しているのを感じます。
座っていると自ずと内なる自己へと導かれる様です。

ここに来ると聖地を求める必要はないと強く教えられます。
外へ向いた目を内に向けて
私は誰か、それに気がつけばいいだけのことだと教えられます。


それでも
気持ちの雑音に負けた時は無生に行きたくなります。


残念なのはアシュラムを出た外もアシュラムの様だった村が
今では、
多忙で商売に余念のない地になってしまった事です。