柏ボンベイの鈴木マスターが亡くなる前の年、無理を押して戸塚まで来て下さった時の事。


「石川くん、これと同じレシピは持ってるのかい?」と持参のレシピを手に、少し心配そうに聞く鈴木マスター。しかしうちの店のレシピと見比べてみて、どうやら安心してくれたようだった。

鈴木マスターが持ってきて下さったのは、ボンベイのレシピの元でもある、デリーの古い古い、まるで暗号のような一枚のレシピのコピーだった。うちのマスターはそのプリントを見ると、
「そうそう!デリーでこのレシピ使ってたわ。」と、実に懐かしそうに言った。

このデリーのレシピその他、マスターが持っていた諸々のレシピは、実はしばらく料理の世界から離れていた間にそっくり紛失してしまっていて、鈴木マスターに見せたのは、数日前にたまたま私が家から持ってきた昔の店のレシピメモだった。思わずマスターと顔を見合わせて、心の中で「セーフ!」と叫んでしまった。


横浜ボンベイが戸塚にオープンしたばかりの頃は、レシピというものはマスターの頭の中にだけあって、誰も…本人さえも目で見ることの出来ないものであった。

私が持っていたレシピは、マスターが柏のボンベイをやめた直後に開いた店の時のもので、その時そこで働いていた私が、
「将来もし自分で店を出そうと思った時のために、このカレーだけはしっかりと覚えておけよ。」とマスターに言われ、当時出していたカレーのレシピをメモしてずっと大事にしまい込んでいたものだった。

使われぬまま埋もれていたそのレシピは、○十年ぶりにマスターの記憶の曖昧な部分を埋め、再び日の目をみる事となったのだ。

若かりし頃、マスターの作ったカレーを食べた事のある私は、その当時作っていたカレーの味がなんだか違う気がして、仕込みの途中にあれこれ口を出してはマスターを怒らせていた。でもその度に記憶を遡って色々と修正がなされたらしく、マスターの作るカレーは益々美味しくなった。

さらに素人考えで、調理法やレシピの基本的な部分に対する疑問をぶつけてはマスターをブチ切れさせたりもした。しかし、しばらくすると必ずと言っていい程何かしら改善され、更に更に美味しいものになっていった。


鈴木マスターが逝去された後、柏ボンベイが復活してしばらくたった頃の事。

頂いたデリーレシピには、私のメモには無かったコルマカレーのレシピも記されていた。ある日レシピを眺めていたマスターが、突然コルマカレーを作り始めた。

レシピ通りに作りながら首を傾げているので、何だろうと思っていたら、出来上がったそれは自分がデリーにいた時に作っていたコルマとも、デリーの今現在のコルマとも違うもののようだった。

スパイスと塩分その他のバランスを自分なりに調整して、とりあえず出来上がったオールドレシピのコルマカレー。
それを、その時たまたま来店していた、鈴木マスター夫妻と近しい間柄の常連A氏に味見をしてもらった。


「コルマっぽいけど、コルマじゃない。」
「だけど、これはこれでありかも。」


なる程、上野デリーや新川デリーで食べたコルマとも、以前マスターが記憶を頼りに作ったコルマとも違う。だけど、とても鮮烈で刺激的で印象的な味。これ旨い!と思った。

居合わせた皆の感想が同じだったので、急遽メニュー入りが決定。続けて常連のお客様A氏のインスピレーションにより、名前とキャッチコピーも決定した。 
(旧名はとてもインパクトのあるものだった。しかしマスターの意思完全無視で決めてしまったため、後に訳あって改名。)


今現在の薬膳ボンベイは、最初の頃の味とは全然違う。

レシピやマニュアルが無いのは困る…と言う私に、「体で覚えろ」と言い放つマスターをどうにか説得して、私でも作れるようにと、あれこれ作っている最中に計量させてもらいながら、全てのレシピを数値化した。しかしマスターにとってレシピは有って無いようなもの。より良いと思うようにだんだん変えていく。

ある時期、薬膳ボンベイを召し上がるお客様達の反応が明らかに「あれ?」と思える日が続いた。自分自身、二日酔いが劇的に良くなる程の鮮烈な爽快感が薄れてしまったように感じていたので、喧嘩覚悟でマスターにレシピを変えてないか聞いてみた。…案の定、最大の魅力に関わる部分の分量が変えられていた。


「それじゃあ薬膳ボンベイの良さがない!」と言う私。

「そんなに気に入らないのならもう作らない!メニューから外す!!」とブチ切れるマスター。

「じゃあ、私が作って出す!!!」と宣言する私。


そして、レシピを直し(…直すといっても元に戻すだけなんだけど)初めて最初から最後まで一人で作った薬膳ボンベイは、みんなが輝くような笑顔で「美味しい!」って言ってくれていた時と同じ味だった。

それを機に、薬膳ボンベイについては全て私に任すと言われたので、お客様の反応や希望を反映させるべく(もちろんマスターの助言を受けながら)少しずつレシピを修正していった。それからしばらくは私が作っていたという事もあって、薬膳ボンベイは、とても可愛い、とても大切なカレーになっていった。


(中略…残念な出来事)


薬膳ボンベイを再びマスターも作るようになるとまた、何だか感じが違うなぁと思う事もありはしたけど、ちょっとレシピの見直しをお願いすると、怒らず密やかに軌道修正してくれるようになった。

食べて気持ちの良いカレーという事と、辛いのが苦手でも何とか食べられるくらいの辛さ、というところで数を稼いでいるようで、薬膳ボンベイは今のところカシミールカレーを抜いて売り上げトップの座についている。

ちなみにこの薬膳ボンベイ。薬膳と銘打ってはいるけれど、カレー全般を薬膳と捉えてのネーミングであって、薬膳効果を狙って特別な薬膳素材を使っている訳ではない。うちの店のカレーの中で、何やら一番薬膳っぽい感じがするカレー…という事でそう名付けただけだったりする。


マスターは相変わらず私の知らないうちに、あれやこれやと何かしら手を加えているらしく、どのカレーも前より一段と美味しくなった気がする。
薬膳ボンベイも前より旨みが増し、そこはかとなく変わっているような感じだけど、最近では大事なポイントさえ外さなければ、それはそれで良し…と思っている。
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カレーハウス横浜ボンベイ
横浜市戸塚区戸塚町120斉藤ビル2F
TEL 045-864-1133

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