なかなか書いていいものか迷うが、これはクラブにとって、とても大きなターニングポイントになるかもしれないし、記録として残しておきたいのであまり個人が特定されない形で書いておこうと思います。
(このブログの存在意義として、過去の振り返りができるというものがあるので)

誰かを責めるとか、傷つける気はまったくありません!


たかぎスポーツクラブのマネジャーとなって、色々な協力者・仲間を得て来ました。
それはもちろん会員であり、指導者であり、同僚マネジャーであり、運営委員であり、自治体職員や地域の方々であり、同業者やスポーツ用品店や印刷会社などの方々のことです。
クラブ5年目の今日まで、クラブが右肩上がりで成長できていることは、これらの皆さんのお力のおかげだと思います。

クラブを会社などの事業者として見た場合、たかぎスポーツクラブはベンチャー企業だと思います。
ベンチャー企業は、たぶんですが、社員全員がプレイヤーで、全員が会社や社会の利益のために全力で働き、失敗したらすぐにでも倒産する危機意識を持っているんじゃないかなと思うのですが、たかぎスポーツクラブはまさにそれです。
だからこそ、従業員(現在たった3人ですが)はできるだけ自立して働き、それぞれの力を最大化してきました。
それが成長要因の一つだったと思います。
(上司みたいな人がいるわけじゃないし、いちいち管理したりしてられないという事情ももちろんありますが)

ただ、クラブの活動頻度が上がり、会員の熱が上がり、組織としてもルールが整備されていくと、色々な衝突が出てきました。
会員と指導者の衝突(ほとんどは誤解みたいなものが原因ですぐに解決しました)は、自分も含めて色々な種目で出てきたし、指導者が突然いなくなるなんてハプニングもありました。
間に入ったり、それぞれと話をしたり、ほとんどは何とかなるんですが、いきなり指導者がいなくなる時は、新しい指導者を何とか探して、どうにかなったものもあれば、残念ながら活動自体を廃止したものもありました。
今ならもっと何とかできたかなと思えるものもあります。

しかし残念ながら力不足を実感せざるを得ないクレーム対応もありました。
クレームを受け止めて対応をしたのですが、クレームが続いてしまう事態に。
同時に、指導者がやりたいことと私が考えるクラブの形が一致せず、同じ方向を見た次年度計画が立てられない事態にもなりました。
最終的には事業計画というのは会長が立てるものなので、運営委員会や理事会に委ねるわけですが、実質コントロールしていたのは私なので、これは悩みました。
しかも、マネジャー業の辛いというか何とも微妙なところとして、いくら計画や方針を立てても現場で無視をされたら手が出せないということにも気付かされました。

組織というのは、最低限同じところを目指していたり、最低のラインだけでもメンバーと尊敬し合っていることが絶対に必要ですから、これは危機だなと思っていました。

そして指導者との、結果的に最後となった面談を行いました。
クレームが止まらず、しかも実はマネジャーをすっ飛ばした会長宛に直訴する手紙までもらってしまっていて、私としてはマネジャーとしての能力の低さを突きつけられたようなもので、大変ショックだったのですが、それでも何とかするのは私しかいないよなと思いましたので、それまでとは違う形で面談を行なったんです。
それまでとは違う点としては、クレームという形でもたらされた情報や変えて欲しいと思っている点などを全て文書にし提示したことと、同僚マネジャーにも立ち会ってもらったことです。
ただこれが相手にはかなり威圧的に感じられたようで、もちろんある意味では圧を感じて欲しかったわけですが、感じさせ過ぎてしまったようで、一人の指導者が退職という結論をその場で出すに至ってしまいました。

このやり方にはその後会員の保護者から様々意見をいただきました。
クラブという場所は、マネジャー(事務局)にとってはホームでも、指導者にとってはアウェイだと思うことや、マネジャー2人いる時点でクビ宣告を想像させることなど。
いずれも、とてもショッキングなことでした。
私はいずれの指導者も仲間だと思っていましたし、まさかアウェイだと思われていたとは、私の認識が甘過ぎました。
さらに、そもそも指導者やマネジャーの任免は会長のみが行えることになっている時点で、誰かをクビにする権限なんてマネジャーにはないうえに、こちらからそうする気は全くなかった(事業の方向性の違いについては、どうしようか検討していましたが)から、その状況だけでそう判断されたことは、やはりこれも私の認識が甘かったと反省する他ありません。
従業員に対する組織ルールの浸透不足という反省もあるし、相手の特性やゴールに合わせた効果的な場づくりができなかったという反省もあります。
また、もっと普段から従業員が意見を言いやすい雰囲気を作る必要もあったのかもしれません。
これらの反省は、その時はほんのカケラも課題として持っていませんでした。
そもそも、この方とは上も下もない対等な感じでお互い接していたし、ずっと色々相談しながらやってきたと思っていたので、言いにくいことなんてないだろうという奢りもあったのだと思います。


反省はつきません。
でも、過去に戻って行動を変えることはできないし、残酷なことを言えば、自分で言ったことは自分で取り消さなきゃなかったことにはならない。
仕事をやめるという決断は、決して無責任にしてはならない。
これは絶対にそう思うから、後戻りする気はありません。

組織としても、私個人としても、反省を糧にして、さらに成長するしかない。
組織図の変更も、会議体を変えるのも、全部その反省から生まれた打ち手。
これからもっと色々な人が働くクラブにしていきたい。
そんな中でも、それぞれが尊重し合い、人の意見に耳を傾け、最低限のところで同じ方向を見て働ける組織にしたいし、そんな体制がクラブの活動をずっと支えていけるようにしたい。