今回の参議院選挙での惨敗は、日本の歴史に対する大きな罪だ。
昨年2月に橋下・松井両氏と「道州制を核とする勢力を国会内で結集して国政政党への足がかりとしよう」と誓い、道州制統治機構研究会を設立することになった。
多くの自民、民主、みんなの仲間が集い、そして去り、7人が残った。我々は、日本の歴史を転換する仕事に身を捧げようと誓った。道州制統治研のコンセプトは、「内政においては、道州制によりl明治以来の中央集権を終わらせ、外交においては、憲法改正により戦後を終わらせ、新たな日本の未来を切り開く」というものだった。
総選挙では、民主党に迫る議席を獲得し、与野党ともに道州制を支持する勢力が衆議院で大半を占めた意味は大きかった。
しかし、当時から僕は「衆議院選挙以上に参議院選挙が勝負だ」と主張してきた。だから、衆議院選挙後は、すべての力を党のために捧げ、このブログを更新することすらしなかった。
実際、国会議員団の仕組みはある程度、機能した。民主党の意思決定のバラバラぶりを再現しないように、僕は国会対策委員会と、幹事長室と、政調会とが三位一体で動く仕組みを提案し、この仕組みは取り入れられた。特に政調会は、他党のように省庁別に分けず、道州制を前提とした役割分担をシステム化した。
しかし、肝心の党の姿は、当初目指した姿とは大きくかけ離れてしまった。
結党前に中田宏さんと意見交換をしたときに、僕は「保守という言葉を使わずに、既存の保守にはできないことをやりましょう」と提案し、意気投合した。
だが現在の執行部は、とりわけ国会議員団は、維新を躍進させた「ふわっとした民意」を見失っていた。
組織もなしに民意を掴むためには、先鋭的な改革姿勢と、自民党より右でなく、民主党よりまとまった、「先鋭的リベラル保守」とでもいうべき、新たなスタンスが必要だった。
それを僕らは目指していたはずだった。
それを捨て身で実現しようとするから「維新」を名乗ったのではなかったか。
民意は正直だ。
みんなの党、共産党と同じ8議席という大惨敗。本来ならば、先の総選挙と同じく、比例で民主党を上回り、2人区でも大勝できたはず。改選数で第2勢力になれなかった罪は重い。僕ら国会議員団が最初に目指した「目の覚めるような政党」を実現していれば、橋下発言もカバーできたはずだ。
日本国に対して、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
僕らが次に何を成すべきか。
志したものは遠のいたが、自らの身を刷新し、原点に返り、次の統一地方選挙での躍進を目指すほかはない。
第3幕で同じ過ちを犯すなら、日本維新の会は終わりだ。