「この子はどうなってしまうんだろうか」

 

「今が大切な時なのに」

 

そんなことを思ったことはありませんか。

 

子育てをしているときの親にとって、心配はつきもの。

 

しかし、心配すればするほど、空回りしてしまうことも。

 

そんなときにはどうすればよいのでしょうか。

 

 

 

 

 

昨日、高校1年の次女が、試験中であるにも関わらず、学校を休みました。

 

朝、「頭がふらふらする」と言って、学校に行けませんでした。

 

そんなときには、ついつい親は

 

「大丈夫だろうか」

 

「試験を受けないと、進級できないかも」

 

「将来に響いてしまう」と

 

不安に駆られて、慌ててしまうものです。

 

実際に、妻も「学校の先生に連絡したら、別の教室でもいいから、学校に来て、試験をうけた方がいい」と言われたとか。

 

「もし、次の試験でインフルエンザなどにかかったら、進級が難しくなる」と。

 

しかし、学校に行くのがつらいのに、行かせることは、

 

どうにも私には抵抗があって、休ませることに。

 

ですから、将来に関わる出来事は、

 

誰にとっても不安になってしまうものですよね。

 

 

 

 

 

けれども、昨日、「学校に行けないのなら、無理しなくてもいいよ」

 

「試験を一度休んだくらいで、人生が変わるわけがない」

 

「不安に駆られて、無理するくらいなら、やらないほうがいいよ」と

 

娘に対して言いました。

 

もちろん、私だって父親として、

 

「この子は大丈夫だろうか」とか

 

「進級できなかったらどうしよう」とか、

 

そんな不安を感じるのは当然です。

 

しかし、私自身の経験からしても、

 

不安や怖れに突き動かされてする行動は、

 

結局自分を苦しめ、辛いところに自分を追い込むだけだと、思うのです。

 

ですから、「大丈夫、大丈夫」と、

 

娘に対しても、

 

自分に対しても言い聞かせていました。

 

 

 

 

ということは、不安や怖れに囚われるようなことを乗り越えることこそが、

 

人生にとって大切なことだと言えるのかもしれません。

 

この競争社会に生きていると、

 

「みんなと同じことをやらないと、置いていかれる。」

 

「競争に負けたら生きていけない」

 

「高校ぐらい卒業しなければ」などという世間的な囚われが出てきます。

 

そこに身を置いている限り、私たちは自分の人生を、

 

自分の人生として生きることはできないようです。

 

大切なのは、そんな囚われから解放されて、

 

自分の夢中になること、

 

好きなことを見つける。

 

見つけたら、それにハマる。

 

そんな生き方の方が、遠いようで近道の人生なのかもしれません。

 

しかし、そんなことを思いつつも、

 

「やっぱり、この子がもし・・・」などと心配の種は出てきてしまうもの。

 

ですから、子供に対する親の気持ちは

 

親自身の生き方が問われるということなのかもしれませんね。