「自信がないんだよぅ」

「自分のことがわからないんだ」

そんなことを思ったことはありませんか。

例えば、試験、仕事、あるいは、人間関係で。

私たちは、自信を持てないと、

何に対しても前向きにやることはできないようですね。

しかし、そんなことをくよくよ考えずに、行動できる人もいるようです。

この問題をどのようにとらえればよいでしょうか。




自信を持てないということ。

心理学では、

自己肯定感とか、セルフイメージという問題として、

それが低いときには

何に対してもチャレンジできないので、

それをいかに高めるかが課題だと、よく言います。

確かに、自分を信頼できず、

「どうせやってもダメだろう」と思っていたら、

何に対しても前向きに取り組むことができないようですね。

ところが、幼い頃を振り返ってみると、

「自信がないから、立ち上がれない」

「どうせやってもダメだろうから、話せない」という幼児は、

たぶんいないでしょう。

ですから、自己肯定感が低いから、

セルフイメージが低いから、

ものごとに取り組めないということ自体が、

囚われであると言えるのかもしれません。




けれども、自信ということ。

信じようとする自分そのものは何か?と考えたとき。

それは、幼児の頃を思い出しても良いかもしれませんが・・・。

自分を意識する前の自分。

それは、

名前もなく、

出身地もわからず、

学歴や、仕事上の肩書きもなく、

「競争社会の何番目くらい」などという人と比較することもなく、

プライドもなく

・・・。

そんな本来の自分とはなんだろうかと考えるとき。

実は、”自分”というものは、

そんな経歴や肩書きを外したとき、

”何もない”ということに気づきます。


ところが、何もないにも関わらず、

「自分は今、ここにいる」という実感だけは間違いなくあります。

もし、100人集まっている集団の中で、

他の人を探すことは、大変なことだけれども、

自分を探すことができない人はいないでしょう。

ですから、自分とは、そもそも「何もない」にも関わらず、

「自分だけはここにいる」と気づく不思議な存在であるということでしょう。

そんな不思議な”自分”を信じるということは、

実は、経歴や肩書き、過去に囚われる必要もなく、

ただ、そのままある自分を受容することだけで十分なのかもしれません。





ということは、自信なんてもともと必要ない。

自信がないということを思うこと自体が、

経歴や肩書き、過去に囚われているということなのでしょう。

ですから、「自信がもてない」などと頭に浮かんだら、

幻想であると思ったほうが良いのかもしれません。

しかし、私たちは、ついつい

「自分はこんなもんだ」とか

「どうせできないだろう」と自分に暗示をかけてしまうことが多いようですね。

ですから、”何もない自分”に、「自信」を持ちましょう。


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