「希望ってどこにあるの」

「夢も希望もないよぅ」


そんなことを思ったことはありませんか。

人は、希望を失うと

生きていくことができません。

しかし、そうは思っても希望をもてずに

絶望してしまうことも。

何が問題なのでしょうか。





絶望。

例えば、

「あの大学に入りたい」

「望んだ会社に就職したい」

あるいは

「結婚したい」

そんな願いを抱いても、

それが実現できないとき。

私たちは

「ああ、もう俺(私)の人生はおしまいだぁ」

「どうせ、願いなんてかなわないんだぁ」

と思ってしまうものです。

しかし、いつまでもそんなネガティブな感情を引きずっていると

苦しくてたまりません。

ですから、そのような願い自体を忘れようとすることは、当たり前のことでしょう。





けれども、そのようなネガティブな感情のなかにこそ、

希望が眠っている
としたらどうでしょうか。


「ああ、もうイヤだ」「どうせ・・・」という感情の背景にあるもの。

それは「ホントはこうしたいのに」

「もっと、あんなふうになれば」という願いが隠れています

ところが、そんなネガティブな感情を引き起こす原因。

それは、狭いものの見方に囚われているからなのでしょう。

例えば、「あの大学に・・・」という思いに対しては、

「大学で自分の人生が決まってしまうの?」と自問してみる。

「望んだ会社・・・」という願いに対しては

「それ以外の選択はないのかなぁ?」と自分に聞いてみる。

あるいは

「結婚したい」という願望に対しては

「結婚すれば幸せになるの?」と自分に問うてみる。

すると、必ずしもそれらに囚われる必要がない

ということに気づきます。

ですから、「ホントはこうしたいのに」

「もっと、あんなふうになれば」という延長線上にある

実現したいイメージこそが大切なのかもしれません。

それは、力を発揮している姿であったり、

人と信頼し合える関係であったり

することでしょう。





ということは、私たちが常日頃もつ感情そのものに、

いつも希望が隠れている
ということなのでしょう。


ただし、頭(顕在意識)で考えていることと、

感情(潜在意識)とのズレが生まれることによって、

ネガティブな感情が生まれてくる。


ですから、ネガティブな感情は、

希望を真剣に見つめるための、

スイッチなのでしょう。

ところが、私たちはネガティブな感情を

直視すると苦しくなってし合うので、

見ないように見ないようにしてしまうようですね。

感情を押し殺すことで解決しようとする。

しかし、感情を抑圧すればするほど、

抑えきれなくなっていつかは爆発してしまうもの。


ですから、せっかくヒントを与えてくれる感情に

感謝しても良いのかもしれませんね。



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