2023年5月22日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の伴走で伴奏」第79回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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万引の事実を報道で終わり? 求められる背景と原因の分析

 

 新聞の社会面にはさまざまな記事が載り、テレビも日々の事件や事故などを報じている。例えば最近ならば、ジャニーズ事務所に所属した元タレントの男性2人が国会での会合に参加して証言した話や、大阪府熊取町で当時小学校4年生の女児が行方不明になって今月で20年になる記事が各紙に掲載された。

 メディアの記事はニュースバリューがあるから報じられるのが基本だ。ニュースバリューがなければ、いくら記者が取材して記事を書いても、社内で原稿をチェックする「デスク」から取材のやり直しや原稿の書き直しを命じられる。報道機関にとってニュースは一種の商品。生煮えの記事を読者や視聴者には届けられないのだ。

 宮城県を放送エリアとするTBC東北放送が、仙台市内のスーパーマーケットで85歳の無職の男性がおにぎり1個を盗んで逮捕されたというニュースを報じていた。この男性は所持金がなく、警察の取り調べに容疑を認めているという。ニュースの内容はこれだけである。他に書かれたものはないかと探したが見当たらなかった。

 私は大阪に住んでいるので実際の放送は見ていない。同局の公式ホームページで記事を読んだだけだが、おそらく放送内容も同じだったのだろう。ただ、わずか250文字程度の記事を読んで、いったいこれのどこにニュースバリューがあるのかと私は首をかしげてしまった。

 確かにおにぎり1個を万引したので窃盗には間違いない。犯罪だから警察が関与するのも当然だ。だが、この窃盗事件をストレートに報じてしまう東北放送のニュースセンスを疑う。この事件のニュースバリューは万引行為そのものにあるのではないからだ。85歳の高齢者がおにぎり1個を万引せざるをえなかった社会的背景だろう。

 男性は無職で所持金がないことから、常習者でなければ空腹に耐えかねて一時的に盗みを働いたことも考えられる。あるいは認知症による行動かもしれない。だとしたらこの事件は単なる万引ではなく、高齢者の貧困や福祉の問題ではないのか。なぜ同局はそこまで取材して記事にしなかったのか。それとも宮城県ではこれまでコンビニでの万引事件はなく、この高齢男性が初のケースだったというのか。

 私がデスクならば記者に取材のやり直しを命じていただろう。今からでも遅くはない。もう一度背景を調べ直して続報を伝えることだ。

 (近畿大学総合社会学部教授)

2023年5月16日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の伴走で伴奏」第78回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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実家じまいに感じるさびしさ 思い出を形あるまま残せるか

 

 私は住宅街の散歩が好きだ。日中に家の外観を眺め庭の木や花をめでるのも楽しいし、夕方に家の中に明かりがともって人の気配を感じるのもワクワクする。

 そんな散歩中に更地や新築の工事現場に出くわし、「ここには何があったっけ?」と考え込むことがある。何度も目にしたはずなのに、家が消えると思い出せない。

 建物が消えるのにはそれぞれ事情があるのだろう。遠方で働くことになったり、相続税が高すぎたり、親が亡くなり子どもは既に自分の家を購入していたり…。

 それでも、見慣れた建物が消えてしまうとさびしくなる。

 散歩中に感じるそんなさびしさが、最近やや違う形で身近に感じられてきた。それは、同世代の友人から、実家を処分するいわゆる「実家じまい」の話を聞くことが増えたせいである。

 私たちの親世代は80代や90代。死去や高齢者施設への入居が増える年齢だ。それに伴って、子どもが離れた後は親だけで住んでいた実家が空き家となる。家は使わなければ朽ちていくし、手入れのための頻繁な里帰りが難しく、売る判断に至るようだ。実際の実家じまいの話をいくつも聞いたし、「空き家をどうしようか」という声も耳にした。

 私が生まれ育ったのは4階建ての団地である。14歳まで住んだその団地は250棟ほどある大規模なものだったが、今はそのほとんどが姿を消した。だが、私が住んでいた棟を含む5棟が保存され、高齢者・若者・庭いじりが好きな人たちに向けた住宅として利用されている。15歳から10年余り住んだのが9階建てのマンションである。私が独り立ちし、弟が自分の家を買い、父が亡くなり、母が施設に移った今、その実家は空き家だ。

 帰省の際に団地やマンションの前に立つと、幼い頃に作った「秘密基地」や、手芸を教えてくれた近所のおしゃれな女性を鮮明に思い出す。

 30年近く前に住んだロンドンの家は、住む人は全く変わったが見た目は今もそのままだ。国によって、気候、地震の頻度、税制などが違う。それでも、人の歴史としての家の多くが全く消えてしまう今の日本の在り方はなんとかならないかと感じる。

 空き家となった私の実家には、近所に住む弟が今はほぼ毎日通ってくれている。洗濯機や温水洗浄便座が故障していたが、最近新しいものを買った。実家じまいをせず、思い出を記憶の中だけではなく形のあるままいつまで残せるか、試してみたい。

 (近畿大学総合社会学部教授)

2023年5月8日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の伴走で伴奏」第77回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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マスク着脱の同調圧力続くか きょうから5類引き下げ

 

 3年余りずっと手放せなかったマスク。うっかり外したまま外出してしまうと、まるで下着を着け忘れたかのように慌てふためいて戻ることもあった。

 そんな私が、4月から勤務先の大学の授業ではマスクを外し始めた。3月13日以降のマスク着用は、「個人の主体的な選択を尊重し、個人の判断が基本」と政府が発表し、勤務先の大学でも4月から個人の判断に委ねられたことを受けて決めた。かなり迷ったのも事実だが、着け続けると外すタイミングを逃す気がして決めた。

 4月の教室では、マスクを着けている学生が大半だった。8割から9割は着けていた体感だ。

 さて、新型コロナの感染法上の分類が、きょう付けで季節性インフルエンザと同じ「5類」に引き下げられた。

 ただし、3月に政府がマスクを「個人の判断が基本」としたからと言って、その日からコロナが日本中から消え去ったわけではない。実際に4月にコロナ感染で私の授業を欠席した学生がいた。きょう分類が引き下げられた後も同様だろう。油断はできない。

 ただ、3年余りに及んだ制限の多い生活にひと区切りがつく点では、大きな意味を持つ日を迎えた。

 9割近く着けていた学生たちのマスクは、今後どうなるのか。まず大切にしたいのは、「マスクを着けたい」と願う人に、外すことを強要しないことだ。本人や家族の健康状態は詳しく聞かない限り分からない。教室内のマスク着用率が今後大きく下がったとしても、彼らが「同調圧力」を感じずに済むことを願う。

 一方で、特にはっきりとした理由がなく「みんなが着けているから」という「同調圧力」で着用を続けている人たちには、「自分がどうしたいのか」を考えるきっかけとしてほしいとも思っている。学生の中からは、「マスクを外すと容姿に自信があると思われるから、外しづらい」との声まで聞いた。

 マスク着用の学生が一瞬外した顔を見ることがある。入学以来長い時間を一緒に過ごしている学生でも「こんな顔をした人だったのか」という新鮮な驚きがある。マスク着用を続けたまま卒業する学生と、もしいつか街ですれ違った時に彼らがマスクを外していたら、あまりの違いにその人と気づくのは難しいのかもしれない。そんな想像をすると、今のうちにもっと教え子のことを知りたいとも感じる。複雑な思いでこの日を迎えた。

 (近畿大学総合社会学部教授)

2023年5月1日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の伴走で伴奏」第76回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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その議員定数削減は必要か 市民の相談窓口の減少に危惧

 

 組織も人も無駄なぜい肉はそぎ落としたほうがいい。人なら、身体に余分な脂肪がつきすぎると動きが緩慢になる。健康にも良いとはいえない。

 会社なら、コストばかりかかって将来性や生産性のない部署を廃止することがある。時間ばかりかかって明確な結論が出ない会議もどうなのか。これも無駄なぜい肉のひとつかもしれない。

 大阪市の横山英幸市長は26日、大阪市議会の定数を削減すると発言した。同市長は「『みんなが納得するまで議論を続けます』では、たぶんまとまらない」とし、市議会で早く決めるよう促した。

 同市議会は昨年2月、それまでの83から81に定数を削減する条例案を可決させ、統一地方選では81の議席を競って125人が立候補した。この上、さらに削減を進めるという。果たしてこれは無駄なぜい肉をそぎ落とすことなのだろうか。私にはそう思えない。必要な血肉まで奪い取っているのではないか。人間なら不健康きわまりない。

 私は以前、大阪府北部の自宅付近で見かけた高齢のホームレスが気になり、知り合いの市議にメールで相談したことがある。市議からは適切な返信が寄せられた。市民の声を聞いてくれる市議には感謝した。

 しかし議員の数を減らすのは、極端にいえば相談できる市議がいなくなるということだろう。「別の議員に相談すればいいではないか」という反応が返ってきそうだが、身近に相談できる政治家はそう簡単に見つかるものではない。議員の数を減らすということは相談の窓口が減ることと同じ意味ではないか。市民にとっては決して良いことばかりではない。

 このような大切な問題にもかかわらず、横山市長は議会に対して「速やかに」と、拙速な行動を促している。なぜ早く決めようとするのか。早く決めないと大阪市議会が体重超過のメタボにでもなるというのか。

 議員定数の削減は、私たちの身近な相談窓口が減るだけではない。選挙の結果によっては少数会派が存亡の危機に立たされる。少数会派の消滅は、少数意見が議会で反映されにくいことを意味する。

 その反対に、市議会で最大会派である大阪維新の会がより影響力を持つ可能性が高くなる。そうなれば、維新と対立する市民や会派の声が届きにくくなる。

 私は議員定数の削減に反対するわけではない。しかし、度が過ぎた削減はかえって大阪市が不健康になりかねない。それが一番の不安だ。

 (近畿大学総合社会学部教授)

 

 

2023年4月24日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の伴走で伴奏」第75回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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ギャンブル依存症の現実を知る 知人から届いた1通のメール

 

 大阪府市が政府に申請していたカジノを含む統合型リゾート(IR)の整備計画が認定された14日、四十年来の知人からメールが届いた。

 そこには、彼女の息子がギャンブル依存症で回復施設に入っているとあった。彼女も、特定非営利活動法人全国ギャンブル依存症家族の会で支援を受け啓発活動にも関わっているという。本コラムの読者でもある知人は、政府の認可をきっかけにギャンブル依存症について私に発信してほしいと考えたそうだ。

 数日後に私はオンライン通話で彼女との「再会」を果たした。彼女の話は、本コラムの字数制限が恨めしくなるほど貴重な話の連続だった。

 同居していた息子の様子がおかしいと気づいたのは、息子の勤務先からの電話で、息子が備品を持ち出したと知った時だったこと。その備品を質屋に持ち込んだと判明したこと。会社への損害を親である彼女と夫が肩代わりしたこと。息子は「買い物の借金返済のため」にお金が必要だと主張し、ギャンブルが原因とはなかなか明かさなかったこと。息子が家庭内の物を持ち出してお金を工面したこと。息子の状況が明らかになるにつれ、親である自分の育て方が原因かと責め、食べられず眠れなくなったこと。全国ギャンブル依存症家族の会や別の自助グループでの学びを通じて、ギャンブル依存症の人を家族だけで助けられないことを理解し、本人にすべてをまかせるために息子に1人暮らしをさせたこと。息子は専門家からの説得を受けて依存症専門の病院へ入ったこと。3カ月の入院を経て今は回復施設にいること。

 全国ギャンブル依存症家族の会および公益社団法人ギャンブル依存症問題を考える会は、政府の認可を受けて共同声明を発表し、ギャンブル依存症問題の若年化や犯罪化が進み問題が深刻化しているにもかかわらず政府の依存症対策予算は「もともと少ない予算がさらに削られて」おり、「このような現状を鑑みカジノの認定は時期尚早であり、ギャンブル等依存症対策の拡充が先であると強く訴え」たいとした。

 「ギャンブル依存症になってしまうと、家族の愛情では回復させることはできない。正しい知識を持つことが必要」と語った知人は、大阪での開設は「ギャンブルへのハードルが下がる」との危惧も口にした。

 知人の話を聞けば聞くほど、このまま開設に向けて突っ走っていいとは私は思えなくなっている。

 (近畿大学総合社会学部教授)

2023年4月18日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の伴走で伴奏」第74回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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大阪のIR・カジノが認可 不可解な発表のタイミング

 

 カジノを含む統合型リゾート施設(IR)が2029年、大阪で開業されることが決まった。政府は14日、大阪府市と長崎県が提出していた区域整備計画について大阪府市だけに認可を出した。一方、長崎県は認可されず継続審査になるという。財政面で不安が残るとして認可されなかったようだ。

 政府が大阪府市にIRの認可を出したタイミングも問題になっている。統一地方選前半が終わった直後だからだ。大阪府知事選と大阪市長選をはじめ大阪維新の圧勝で終わった9日の投開票からわずか3日後の12日、共同通信が最初に報じている。その後、他のメディアが続報を流し、関西財界などはIRやカジノの誘致を大歓迎している。

 統一地方選の投開票後というタイミングで政府が認可を出したのは、おそらく大阪維新が勝利したからだろう。府知事選と市長選では反維新派がカジノを争点にしていた。だが反対派が負けたことで世論はIR・カジノに賛成したと判断し、認可を出したと思われる。

 もし大阪維新が府知事選か市長選で負けていたら、政府は認可しなかった可能性がある。長崎県が財政問題で継続審査になったように、土壌汚染や地盤沈下を理由に大阪も長崎県と同じになっていたのではないか。

 これを通俗的な用語で言うと「長いものには巻かれろ」である。あるいは「付和雷同」か「泣く子と地頭には勝てぬ」かもしれない。圧倒的な強さを示した大阪維新は、いずれ国政でも存在感が増すかもしれない。ここでけんかを売るよりは恩を売ったほうが得策。政府がこのように考えた確証はない。ただ、そう思われても仕方ないタイミングでの発表だった。

 以前から専門家が指摘してきたように、大阪でIRが開設される人工島の夢洲(ゆめしま)には土壌問題がある。特に地盤沈下は深刻だとされており、完全に解決されるかは不明だという。その中で政府が認可したのは、科学的な道理よりも政治的な思惑を優先したことにならないか。

 政府の人間というのは岸田文雄首相をはじめとして大半が政治家だから、政治的な利益を優先させることは理解できる。ただ、全ての課題を政治的な思惑だけで判断するのは、政治不信や政府批判を生みかねない。IRの許認可には外部の専門家も関わっていた。彼らは何のために議論してきたのかと首をかしげてしまう。

 なぜこのタイミングで認可を出したのか。政府の説明が待たれるところだ。

 (近畿大学総合社会学部教授)

2023年4月10日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の伴走で伴奏」第73回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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ヘルメットで守る命増やせるか 自転車での着用が努力義務化

 

 私は自転車を持っていない。と言っても、乗れないわけではないし、坂だらけの街に住んでいるのでもない。幼い頃に乗り方を学び、大人になってからもかつては毎日のように乗っていた時期もあった。

 私が自転車に乗らなくなったのは、今から20年近く前である。大阪市内に住んでいた友人が、早朝にいわゆる「ママチャリ」で自宅から近所に出かけ、車とぶつかる交通事故に遭って数日後に亡くなったのがきっかけだった。

 意識不明の彼女の身元を確認するのには家族だけでは十分ではなかったらしく、警察が私の所にも訪ねてきて、まるで眠っているようにしか見えない集中治療室にいる友人の顔写真を見せられて「間違いなく〇〇さんです」と言わねばならなかった時の衝撃と苦しみは忘れられない。祈るような気持ちで過ごした数日後に訃報が届き、これからまだまだ共有できるはずだった時間が突然消えた悲しみは、今も完全に消えたとは言えない。

 それ以来、自転車に乗らなくなった。というよりは、怖くて「乗れなくなった」といったほうが正しい。学生たちとのフィールドワークに付き添った際に乗らざるを得なくなった時には迷ったが、田んぼの脇などほとんど車が通らない場所だったため何とか乗ることができた。でも、いまだに街の中では乗りたいと思えない。

 今月1日から、自転車に乗る際は年齢を問わずすべての人がヘルメットを着用することが努力義務化された。

 NHKによると、改正前の2月から3月にかけて自転車利用者が多く降雪の影響が少ない13都府県の駅周辺などで警察が着用実態を調査したところ、着用率は全体の4%にとどまり、東京都が5・6%、大阪府は2・4%だったという。

 私が勤務する大学の周辺は地形が平たんな住宅街であることもあってか、多くの自転車が行き交う。努力義務化後のある日、最寄り駅から大学までを徒歩で往復した際、100台を超える自転車とすれ違ったが、着用していたのは1人だけだった。

 今もまだヘルメットをかぶらずに自転車に乗っている人たちの多くは、自分がそんなに危ない乗り物に乗っているという意識はないのだろう。友人のような犠牲者はたまたま運が悪かったとも思うのかもしれない。だが、決して運不運の話ではない。着用が当たり前の社会になれば、守れる命は少なくないはずだ。

 (近畿大学総合社会学部教授)

2023年4月3日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の伴走で伴奏」第72回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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政治分野で目立つ女性軽視発言 女性の参政権獲得から77年

 

 女性が参政権を得て77年。以来、女性の社会進出が進み、企業では女性管理職が活躍する場面など珍しくない。男社会の自衛隊にも女性幹部が誕生し、潜水艦に女性自衛官が乗り込む時代である。

 ただ、日本の政治分野においては女性の進出は遅れている。世界経済フォーラム「グローバル・ジェンダーギャップ・レポート2022」の発表によると、女性の国会議員進出は調査した146カ国のうち日本は133位と低く、女性国会議員比率は15・4%しかない。おまけに日本の政治家の中には女性を蔑視するような人物までいる。

 森喜朗元首相は東京五輪・パラリンピック組織委員会の会長だったとき、「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」と発言して世間から批判を浴びて会長を辞任した。森氏が日本の元首相であることにあぜんとする。

 日本維新の会の馬場伸幸代表も3月28日の記者会見で、「女性が政界に進出するのはウエルカムだが、今の選挙制度が続く限り、女性枠を設けてもなかなか女性が一定数、国会や地方議会に定着することは難しいと思う」「私自身も1年365日24時間、寝ているときとお風呂に入っているとき以外、常に選挙を考えて政治活動をしている。それを受け入れて実行できる女性はかなり少ないと思う」などと語り、これが女性を侮辱する発言ではないかと炎上した。

 その後、馬場氏はツイッターで「我が党は女性の政界入りを具体的に応援すべく子育て中の候補者に選挙前後に必要なベビーシッターや一時保育料をサポートしています」と書き込み火消しに走ったが、先のような発言をしたことは間違いない。

 馬場氏は政治家であり国政政党の党首である。その職責上、政治や選挙のことが頭の中から離れないのは理解できる。だが1年365日、ほぼ一日中というのはまったく解せない。家族のことや社会の問題、ロシア・ウクライナ紛争などは頭にないということか。

 そもそも常に選挙について考えることや政治活動をすることがしにくい女性が多いとしたら、それは選挙制度やその女性の能力や考え方の問題ではなく、社会の在り方のせいだろう。その社会は誰が作ったのか。また、睡眠と風呂以外はすべて政治活動というならば、彼の衣服の洗濯や自宅の掃除、食事作りは誰がやっているのか。

 女性が参政権を得て77年。森氏や馬場氏のような人物がいる限り、政治分野での女性進出はまだ遠い。

 (近畿大学総合社会学部教授)

2023年3月27日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の伴走で伴奏」第71回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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自分の街の未来を託す一票に 統一地方選がスタート

 

 統一地方選がスタートした。4月9日の投開票日まで日本中そして大阪府内が選挙ムード一色に包まれる。

 23日には大阪府知事選の告示があり、現職を含む6人が立候補した。26日には大阪市長選が告示され、各候補者が市内各地で第一声を上げた。なお、大阪府議選と大阪市議選は31日からスタートする。

 今回の統一地方選は、いつになく激戦が予想される。議員選挙では大阪府議選と大阪市議選のいずれも定数が削減され、これまで以上に各候補者の当選のハードルは高くなる。また、大阪市長選も要注目である。現・大阪市長の松井一郎さんは出馬しないため、どの候補も全員が新人だからだ。

 松井さんは大阪維新の会を設立した「創業者」だ。これまで同党のトップとして党勢拡大に貢献してきた。その松井さんが2020年11月、いわゆる大阪都構想の賛否を問う住民投票に敗れたことで市長の任期満了にともない政界を引退することを表明した。そこで注目なのが、松井さんの後任である。いったい誰になるのか。

 もし維新の候補が当選すれば、これまでの維新行政を引き継ぐことになる。逆に維新以外の候補が勝てば維新行政は否定されるだろう。市長選の結果次第で大阪の行政の形が変わり、大げさにいえば未来の方向が決まる。

 今回の大阪府知事選と大阪市長選の最大の争点は、2029年に人工島・夢洲(ゆめしま)で開業が計画されているカジノを含む統合型リゾート(IR)であるのは間違いない。果たしてIR・カジノはどうなるのか、この選挙の結果によって方向がはっきりするだろう。

 IR・カジノは現在、国が審査している途中で、認可されるかどうかは未定だ。ただし、もし維新以外の候補が大阪府知事や大阪市長に当選すれば計画を白紙撤回する可能性もゼロではない。そうなると、仮に国が認可しても大阪府と大阪市の判断でIR・カジノ計画は頓挫するかもしれない。

 維新は、IR・カジノは大阪の経済成長に欠かせないと主張している。雇用や観光収入も増えるとソロバンを弾いている。その一方でIR・カジノの反対派は、夢洲には土壌汚染の問題などが山積していること、またカジノによってギャンブル依存症が増える可能性があることを訴えている。どちらの主張が納得できるのか、有権者の判断に委ねられている。

 大阪の将来を左右する今回の統一地方選。それだけに私たちは、よく考えて貴重な一票を投じたい。

 (近畿大学総合社会学部教授)

2023年3月20日付の大阪日日新聞に、週刊コラム「金井啓子の伴走で伴奏」第70回分が掲載されました。 本紙のホームページにも掲載されています。

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マスク解除で心がけたい寛容 春の訪れに気持ちも一新へ

 

 私の大学では数日前に卒業生を送り出し、直接関わりがあった学生たちとは特に強く別れを惜しんだ。卒業式の1週間後には、オープンキャンパスで高校生たち、つまり未来の大学生たちと話をする。さらにその1週間後には入学式があり、新学期の授業が始まる。

 慌ただしく気持ちが揺れ動くこの別れと出会いの数週間に、私は春の訪れを強く実感する。

 また、野山に増える緑も春を感じさせる。特に、地面をじっと見つめながら散歩していてツクシやヨモギ、ノビル、フキノトウを発見する瞬間は心が躍る。摘み取って鼻に近づけた時の香りといったら、もうたまらない。野山だけではなく海でも、この季節は浜辺に打ち上げられたワカメやヒジキに遭遇する確率が高い。ツクシのつくだ煮やパスタ、ツクシとヨモギのかき揚げ、ノビルのぬた、フキみそ、海草サラダ等々、その日の食卓は春の香り尽くしとなって、ビールがより一層おいしく感じられる。

 新型コロナの感染症法上の位置づけが5月8日に「5類」に移行するのを前に、政府は3月13日からマスクの着用を個人の判断に委ねるとした。その影響だろうか、屋外だけではなく、電車や店舗といった屋内でもマスクを外している人を見かける。

 マスクを外す時間が長くなれば、春の香りを与えられる瞬間も多くなってくる。

 与えられるのは香りだけではない。この3年間、限られた瞬間にしか相手の顔全体を見ることはかなわなかった。たとえば私の場合、新4年生たちとは3年間も付き合ってきたが、少人数クラスで密接に関わっているゼミ生ですら、顔をあまりよく知らない。ようやく彼らが卒業するまでの1年間はじっくり彼らの顔全体を見ながら過ごせる可能性が出てきたことが、うれしく感じられる。

 ただし、ご存じのように、新型コロナやマスクをめぐっては、人々の間で大きく意見が分かれている。私自身も、正直なところ、いつ顔全体を常にさらし始めるのか、まだ決心がつかない。この3年間のコロナ生活はあまりに息苦しく、人々に多くの犠牲を強いてきた。コロナやマスクに対しての思いや事情も人それぞれだろう。

 新しい生活を迎える今、自分とは異なる相手に寛容な心を持って接したいと、私はあらためて肝に銘じている。それによって、私たちがいま悩まされている分断が少しでも和らぐかもしれないからだ。

 (近畿大学総合社会学部教授)