漠然と考えることがあります。
何と闘っているのだろう、と。
相手を特定すること、効果的に反撃することは難しく、
スポーツや、数学の証明のようにはゆかないものです。
……………
映画「カッコウの巣の上で」を見ました。
闘いについてのヒントがある、と思いました。
ストーリーと注目した点を記します。
主人公マクマーフィー(ジャック・ニコルソン)は、検査入院との名目で精神病院に収容されます。
毎日の決まりきった日課に、他の入院患者たちは反発することもなく、ひたすら従順に過ごしていました。
しかし、病気というわけではなかったマクマーフィーは退屈さに耐えられず、大リーグの試合をテレビ観戦することを提案したりします。
治療の一環として、患者たちが婦長と病院スタッフに意見を言う場が作られており、その席上で発言したのです。
一見、民主的な仕組みがとられているようにも見えます。
しかし、
「賛成の方は手を挙げてください。」
の掛け声に挙がった手の数は、少数派。
マクマーフィーの説得で、場に居合わせたメンバーすべての手が挙がると、
「この場にいない患者のほうが多いので認められません」、
と婦長。
要は、認める気などさらさらないのです。
なのに、対話の場を設けています。
何のために?
少数意見を聴くためにではなく、少数意見を黙らせるために、です。
「他に望まないヒトがたくさんいますので。」
ひとりひとり聴いて確かめた訳でもない(他の患者は意思表示もできない病状にあるとの設定)のに、意思表示なきは現状維持とカウントしています。
君主のために殉ずるなどという価値観から、多大な犠牲を払って勝ち得たはずの原理が、切り捨て正当化の論理になりかわっているのではないか。
そこに、この映画のメッセージを強く感じました。
(1975年、アメリカ映画)