【読心裁判上告サークルペーパー】古市憲寿は「艦これ」の提督になったらどうだろうか? | 後藤和智事務所OffLine サークルブログ(旧)

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「地底の読心裁判 上告」(2013年11月17日、川崎市産業振興会館)・「仙台コミケ213(仙コミフェス2013/東方幻仙郷3)」(2013年11月24日、夢メッセみやぎ)で配布したサークルペーパーです。

Free   Talkですけど、今回は、気鋭の若手社会学者として知られる古市憲寿の『誰も戦争を教えてくれなかった』(講談社、2013年)に対する長めの書評(と いうよりは批判)としたいと思います。この本は、最近盛んに「若者代表」として発言している古市が、各地の戦争博物館を見に行く、という内容です。

まず、戦争や災害などといった大きな変異をいかに記憶するかということについては、別段新しい研究というわけでもありません。このテーマで、一般向けで入手 しやすいものでは藤原帰一の研究(『戦争を記憶する――広島・ホロコーストと現在』講談社現代新書、2001年。Kindle版もあり/『映画のなかのア メリカ』朝日選書、2006年)がありますし、専門研究ですと文学や歴史学などの分野になるでしょうか。

それでは古市による本書を、その ような「戦争を記憶すること」の研究に位置づけられるのだろうかということを考えると、残念ながらそれは期待してはいけないと思います。そもそも古市によ る本書は、いくつかの戦争博物館の「旅行記」ないし「感想」であったとしても、社会学者としてそれを各国の社会や歴史の中に結びつけたり、あるいは比較し たりする「考察」を大きく欠いています。むしろ古市が考察している対象は、「戦争を記憶すること」でもないし、あるいは各国、そして我が国の社会や歴史に とっての「戦争」というわけでもない。

それでは古市が同書で考察しているものはいったいなんでしょうか。それは同書に頻繁に出てくる、次のようなフレーズを眺めてみるとよくわかると思います(以下、特に断りがなければ『誰も戦争を教えてくれなかった』より)。
(筆者注:戦争博物館を訪れるきっかけは)それはきっと、僕があまりにも「戦争」を知らなかったからだろう。僕にとって「戦争」とは、あまりにも遠いものだっ た。世界中で起こっている紛争も、過去にこの国で起こった戦争も、それはとても自分と関係があることには思えなかった。小林よしのり(+8:(引用者 注:1945年から起算して何年前/後に生まれたかを示す指標で、人物が登場する度にこれがつく))の「あちこちがただれてくるよな平和」の中で僕は暮ら してきた。(p.12)

(筆者注:「ももいろクローバーZ」との対談について)戦争を知らない若者と、それ以上に戦争を知らない若者が対談するという、非常に混沌とした内容になっている。(p.16)
日本人がいかに戦争のことを知らないかを書いてきた。だけどそれは、ある意味で日本という国家の望んだ姿なのかも知れない。(p.38)

国家が戦争のことを語ることができないという国を象徴するような展示だ。(p.44)

「戦争、ダメ、絶対」と繰り返しながら、僕たちはまだ、戦争の加害者にも被害者にもなれずにいる。(p.44)

そしてタイトルが『誰も戦争を教えてくれなかった』。ここまで見ていくと、同書は戦争やそれを記憶することについて論じられた本「ではない」とい うことがわかると思います。むしろ同書で論じられているのは、「戦争を知らない僕たち」「戦争の当事者になれない僕たち」というアイデンティティを持った 自分(の世代)が、どのように戦争を受け止め、いかに生きていくかということではないでしょうか。

自分たちの世代(後半ではなぜか国民全 体に敷衍されていますけど)がどのように生きるか、というテーマは、実を言うと古市の出世作である『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社、2011年) や、その続編である『僕たちの前途』(講談社、2012年)から一貫しています。『絶望の国の~』が総論であるとすれば、『僕たちの前途』そして『誰も戦 争を教えてくれなかった』は各論という位置づけになるでしょうか(前者は:「働き方」、後者は「戦争」)。

そして古市がこのようなスタン ス、すなわち(ロスジェネ的に「被害者」を前面に押し出してきたのとは違い)「戦後の平和と不景気の中で生きてきて、上の世代とはまったく違った考え方を 持った世代」というアイデンティティを押し出し、そして自分(の世代)こそが「新しい時代の日本人」としての性質を持ち、その中でどのように考えているの かを「大人」に向けて発信するというのを温存しているというのが、本書のある程度「正しい」読み方となると思います。すなわち本書は戦争研究でもなければ 戦争の記憶の研究でもなく、世代論の本なのだということです。この「世代論の本」であるという見方は、同書の帯にある加藤典洋の推薦文からも読み取ること ができます。
一九八五年生まれの戦後がここにある。(帯:加藤典洋)

加藤の言う《一九八五年生まれの戦後》という表現は極めて象徴的です。「一九八五年生まれ」である、すなわち第二次世界大戦の終わり(太平洋戦争 における敗戦)から40年後生まれの古市という、「戦争から遠い存在」からすれば、そもそも「戦争のことなんて知らない」というふうなスタンスで書いても らったほうが、ある種の戦後後論として歓迎されるでしょう。

ただし、「現代の若者」の体現者として振る舞ってきた古市が、「戦争」という題材を、かくも他人事のように扱ってしまうことは、いくつもの問題を抱えています。

第一に、古市は「戦争を知らない僕たち」「戦争から縁の遠い僕たち」という、自分で演出した「アイデンティティ」を前面に押し出している故に、古市はそこか ら脱却しようとしていないことです。古市が「誰も戦争を教えてくれなかった」という、極めて他人事なスタンスを取ることができるのはそのためです。しかし そのような態度を取ることにより、より「戦争を知らない若者」というイメージがメディアの上で固定化されてしまいます。古市の言説は、「戦争を知らない若 者」という言説や、あるいは学力低下論などといった上の世代の言説と共鳴するものであるため、既存の世代論の強化にしかならないでしょう。

第二に、古市が「戦争を知らない僕たち」というスタンスから脱却しないあまり、国内にある様々な戦争表現や作品を無視してしまっていることです。例えば古市 が同書の執筆中であったろう期間に大ヒットしたゲームとして、「艦隊これくしょん -艦これ-」(角川ゲームス、DMM.com、2013年。以下「艦これ」)があります。同ゲームは旧日本海軍の艦船の擬人化ものですが、同作品に登場す るキャラクター(艦娘)の台詞、あるいは図鑑の中には戦史に関する小ネタもたくさんあります。「艦これ」のプロデューサーの田中謙介が雑誌『コンプティー ク』2013年10月号の別冊の中での《何かを護ろうとして、しかし志半ばで、誰も見ていない黒い海の闇のなかで、沈んでしまった艦がたくさんあるわけで す。そんな彼女たちの奮戦と最期を、一瞬だけでも艦や史実とともに共有したくって「艦これ」を組み立てていた部分もありました》(田中謙介 [2013]p.75)などといった発言に見られるように、表現や記憶という形はいろいろあるわけです。

「艦これ」以前にも、オタク系でミリタリーは一つの人気ジャンルですし、その中には第二次世界大戦を扱ったものも少なくありません。擬人化ものとしても、老舗として『MC☆あくしず』 (イカロス出版)がありますが、日本や外国の戦史に関する記述も豊富です。さらに言うとオタク系作品外でも、映画、小説、漫画などいろいろあります。

古市の著書では戦争博物館が採り上げられていますが、戦争博物館と社会の関わりや、あるいは社会学的、歴史的な比較が皆無な以上、戦争博物館のみを採り上 げ、他の表現、特にノンフィクション、フィクションを切り捨てる必然性はほとんどなく、「戦争を知らない僕たち」という認識を強化するために「敢えて」国 内では人気のない戦争博物館のみを採り上げたというそしりからは免れ得ないでしょう。

そもそも同書で具体的な姿が採り上げられているもの も、沖縄の平和祈念資料館と(第5章)関ヶ原の古戦場(第6章)、あとは第5章で東京や舞鶴などの戦争関連施設が短く(本当に短く)紹介されているだけ で、それ以外は同書で採り上げられている『増補 平和博物館・戦争資料館ガイドブック』(青木書店、2004年)の内容の抄録すら紹介しないという体たらくです。

「戦争を知らない」「戦争と関わりがない」という「アイデンティティ」を前面に押し出す、同書で示された古市の「営業戦略」は、古市自身の学習を阻害するのみならず、古市と同世 代の人間にとっても、既存のステレオタイプが温存されるという意味ではよろしくない影響を及ぼすものです。

古市は、現代の若い世代に関す るある種退廃的なアイデンティティとおんぶに抱っこで言説を売り出してきて、マスコミや社会学などで「若者代表」としての地位を獲得してきた論客と言うこ とができます。それは「若者」というものに対するイメージを温存したい存在に対しては受けるかもしれませんが、本当に古市はそれでいいのでしょうか。それ が古市自身の甘えを引き起こしていないか、古市及びその取り巻きは考えるべきでしょう。とりあえず古市はそのような甘えから脱却するために、「艦これ」の提督になることをおすすめしておきます。

文献(古市のもの以外)
田中謙介[2013]「運営鎮守府司令長官が語る「艦これ」誕生秘話」、『コンプティーク』2013年10月号別冊『艦隊これくしょん~艦これ――提督が鎮守府に着任しました』、KADOKAWA、2013年10月


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