台風の影響で大雨が続いておりますね
梅雨の時期が来ると、中学時代父の工場の敷地内で生活していた
時のことを思い出します。
小学校6年の1月、鉄冷えと言われた時代。
父の経営していた鉄工所も倒産してしまいました。
曽祖父の代から守ってきた長府の家が競売に掛かり、
中学校入学と同時に父の鉄工所の敷地内にある
平屋に移り住みました。
倒産してからは、細々と父と母、親戚2名とで復興しました。
馴染みの会社に工場を間借りしていただき
家賃収入でなんとか工場は手放さずにすんでいたようです。

~本日のお弁当~長男のみ


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・手羽先名古屋風→最近、、子供たちが喜ぶのでよく作ります。
・ハッシュドポテト
・チーズちくわ
・ミニフランク
・玉子焼き
・枝豆
・海苔巻きからしめんたいおにぎり→長男の間食用

周りも工場だらけです。昔は警備保障なんてありませんから、
各工場には宿直さんがおられて、父の工場も鉄工所なので火事が
心配なので、工場敷地内の平屋には、宿直室を設けておりました。
あと、事務所、従業員休憩室、ロッカールーム、大きなトイレ、大きなお風呂が
ありました。

休憩室は、私たち家族が暮らし始めて、事務室兼応接室になり、

旧事務所は子供部屋にして12畳ほどあったのですが6畳分は畳を敷き、
残りの6畳はクッションフロアを敷いて、机やピアノを置いておりました。

右側は腰高窓の全面ガラスでしたが模様ガラスだったので
外の風景は伺えなかったのですが、明るい部屋でした。
しかし。。。夜中に番犬が吠えるなと思ったら、
黒い人影が工場の敷地内に入って来るのが見えましたから、
父をすぐに呼びに行ってました。

ちなみに、事務室跡なので出入り口と
右脇にはミニキッチンとトイレもありました。
ミニキッチンは洗面台として使用してました。

宿直室は8畳のダイニングキッチンと
8畳+2畳板張りと床の間つきの和室です。
ここは居間兼父母の寝室です。
引っ越してすぐに、子供部屋と繋がるように板張りの部分に
扉を付けて中で行き来できるようになり、安心したのを覚えてます。

工場と平屋を結ぶサービスヤードの奥に階段があり、
それを上がると鉄骨の倉庫でしたが、
何も置いてなかったので、母は洗濯物を干してました。
掃出し窓でしたので全面開けると風がよく通りましたからね。
ちょっと危険なので父が後から柵をつけましたけどね。
夏は親戚と風の通る2階で焼肉パーティーしてましたよ。
海岸から2軒目工場だったので2階からは海も見えました。

家らしくないけど、なんとか工夫して生活してました。
梅雨の時期雨が降って周りの少しある住宅が停電しても、
自家発電が出来てましたので安心でした。
父が植木が趣味だったので、小さな日本庭園も
造っており工場の中でも癒しもありましたね~
何より海が近いから、あさり貝を堀に行ったり
わかめを取に行ってました。
近くの父の飲み友達の漁師さんから
魚やサザエやカキをいただき、
冬は工場内のたき火で焼いて食べてました。
カキはとくに美味しかったです。
父の趣味の釣りにもすぐ海なので番犬のポチと一緒に
よくついて行って、小さな釣竿で魚釣りをしてましたよ。

4年間暮らしましたが、間借りしていた会社が倒産され、
工場を維持していくのが大変になり、結局売却することになりました。

色々と不便でしたが、楽しい思いでしか
思い浮かびません。
夜、ピアノを弾いても遠慮せずに弾けるので
良かったですよ~
まあ、、、周りが工場ばかりだったので夜は一人歩き
できないですけどね。。。怖くて。。。
人間ってどんなところでも生活できるんだなと
今となって思いますよ