私は、三度の飯よりヨガが好きである。実際にヨガのせいで昼食が取れないことも多いし、夕飯を抜いてしまうこともある。私は揚げ物とか油料理が好きなせいか、脂肪体質である。そんな私の体重を落とすのが比較的容易なのは、ヨガのせいで食事を忘れるせいかもしれない。

 

横浜のみなとみらいで、年に一度ヨガフェスが開催される。そこでは、有名な先生のレッスンを受けることができる。また、さほど有名ではなくても自分とは違うジャンルのヨガを無料で受けることができる。去年も仲間の先生と訪れて、朝から運動量の多いパワーヨガをうけへとへとになり、昼食も適当に座学を受け、夕方また、運動量のおおいビンヤサヨガを受けた。午前のヨガの筋肉痛をヨガで伸ばす感じ。その間、ヨガウエアを試着したり、ヨガグッズを購入したりして、一日そこで過ごした。早い時間から飲み始め、ヨガや子育てや女子的な会話が弾む。心底幸せだった。常に母である私が、子供に帰れる貴重な一日なのだ。

 

さて、ヨガによる瞑想、という言葉をよく耳にする。不勉強ながらの私の理解では、それは、「脳内にアルファ派が多く流れ、眠りに入る直前の究極のリラックスの状態で、頭を空っぽにすることで雑念から離れて一つの事に集中する。」そんな感じである。ある先生の研究によると、人は、トイレで用を足したとき(小の方)、アルファ派がマックスになるという。そこで瞑想をした方がいい!あるいは、人は、リズミカルな音楽の規則的な太鼓音などを繰り返しきくことで瞑想に入りやすいとも言われている。いずれにしても、瞑想をすることは、難しい。超人的な技のような気がして尻込みしてしまう。

 

私は、そんな難しい概念(狭義の瞑想)は得意ではない。そもそも価値を感じていない。なぜなら、そんな入るのに難しい瞑想状態に入ろうとする時間が私たちにはないからである。私の購入した瞑想ガイド(J・ガバットジン著)によると、なんて事はない、普通のハタヨガを繰り返しておこなうことが、マインドフルネスヨガだということだ。それで納得した。私はヨガのたびに瞑想(広義の瞑想)している。いや、レッスンに入る前から自分に問いかけている。心はどこにある。気持ちはどうだ。大抵の場合、私の気持ちは低俗なところにある。子供たちに関する悩み、仕事での渇き、職場での人間関係に絡む無念な思い。掃除したりない汚い家を背に出かけていくことがたまにはいやな気持になることもある。

 

レッスンに入る。自分で声を出して、インストラクションしながら体の伸びを感じ、支える感覚を体感する。呼吸を感じて、今の自分が何を感じているか気持ちを確認していく。なるべく癒されるよう、各自に集中できるような声掛けをするよう心掛けている。大抵は下世話で、小さいことにくよくよしている自分に直面する。不安と寂しさ、これが究極の気持ちなのである。

 

思えば、私は小さいころから神経質な子だった。お姉ちゃんだよりの、あまり人の矢面に立ちたがらないタイプ。そのくせ負けず嫌いで、人気だけはとりたい。そういう面もあったと思う。女の子同士でつるむのが好きで、交換日記を回したり、夏休みにお泊りをして、好きな男子の話題とかで盛り上がったりもした。怖がりで、遠足先のトイレに一人で入れず、女子二人で入り、交代で用を足したりしたこともある。クラスにいる、可愛いのにいつも大胆で明るくて面白い子に、憧れていた。自分は、神経質で生真面目すぎると思い、嫌だった。

 

今の私は、いや少し前まで、キャリアを持ち頑張っていたころの私は、いつも前向き。鼻息があらく、ちょっとむかつく女だったと思う。自分を過信して、無理をしていたと思う。多分、大胆で明るく面白い人間になりたくて、弱い自分を克服したかったんだと思う。今の私はどうだろう。人には、パワフルとか明るいとか、悩みがなさそうとか、言われる。そうなのか?みんな私に騙されている。実際の私の内面は悲しみと寂しさで満ち溢れている。ヨガをしながら、いつも自分の弱さに直面している。暗くて、ちっぽけでみじめな自分を感じている。おおよそのみんなと変わらないのである。

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