あまりに犯罪的な  文部官僚の日本人愚鈍化計画

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2015527 ()

日本の高等教育改革と称するものが、これほど愚かなものであったとは、昨日、2105年5月26日の中日新聞夕刊の「論壇時評」を見るまで、知らなかった。

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知らなかったのが恥じなのではなく、普通の神経、普通の考え方では、あり得ないことがなされようとしているから、想像すらつかなかったということだ。

  

記事中の中嶋哲彦氏の論考は、尊敬できる学者なので、雑誌「世界」の論考は読んで、高等教育機関を産業のための品質管理・選別機関にしてしまうということは承知していた。

(たいていの学者は、僕が突飛なことを言うと、なぜか鼻先であしらってまともに相手にしてくれない。まれに少なくとも疑問として受け入れようとされる方がおられる。で、ほぼ全ての問題は数年以上のスパンで見れば、僕の突飛説が正しかったことが実証されてきた。現実が逆の方向に行きすぎることもあり、本意なばかりではないが、ま、僕が正しかったことの方が圧倒的に多い。という訳で、中嶋哲彦氏は僕のすっとんきょうな議論をまともに受け止めてくださった数少ない学者の先生です)

 

 しかし、苅谷剛彦氏の論考は、全く知らなかった。

 

昨日の中日新聞掲載の論文も、よく知られた格差から始まっているし、記事の見出しもおかしい。

 

 この記事の要は

「文科省は十年後に5割超の学部授業を英語で実施することを期待しており」、各大学(東京大学を除く)が、これに素直にしたがって(若干のサボタージュを示しながらも)、「構想調書」を文科省に提出しているということだ。

 

 見出しを打つなら、

「日本人米国民化計画」

「日本人愚鈍化計画」

とでもすべきだろう。

 

朝鮮総督府が、植民地である朝鮮に対して行った「皇民化計画」の走りを思わせる。

あれは帝国の出先機関が行ったことだ。

これは、少なくとも法的には純粋の日本の機関である、文科省が行っていることだ。

ここまで日本を根こそぎに蹂躙するほどに、日本官僚は保身のために日本を捨てるほどに腐敗しきっている。

(その文科省にあごで使われる法科大学利権と結託した日弁連執行部はさながら、奴隷である)

 

 日本のインテリが英語を話せないことは、おおかたの外国の人には、まず驚きをもって受け止められる。

そして、日本のインテリは、英語が話せないことにコンプレックスを持ってきた。

しかし、そうではない。

日本語だけで、完璧に高等教育まで実施でき、世界水準の成果を次々と生むほどに、日本の先人は、海外の最高水準の知的蓄積を咀嚼し、日本化して、国民が広く共有できるレベルにしてきたことの現れが海外では珍しい英語の話せいない日本のインテリなのだ。

 

あるのかないのか、よくわからないが、

少なくともよほど特殊な例外を除けば、

母国語による思考を超える思考を外国語で行うことはできない。

高等教育を外国語で行うということは、教育水準と、思索する力の水準を著しく低下させる狙いだ。

文科省の役人には当然、そんなことはわかっているはずだ。

 

 日本破壊計画とすら呼びたくなる。

これは、1945年の敗戦以上の屈辱的敗戦である。

早期英語教育で、米国人が指示しやすい日本人を大量に生産するとともに、知識層も米国を超えることは絶対に許さない、というのだ。

 

 官僚組織が、今や、ごく一握りの良心のある人を除けば、ただ保身のために、アメリカ帝国の出先機関になりはてた様子は、さすがに田舎者にも徐々にわかってきた。

 

 しかし、なぜ大学人まで、唯々諾々と、従うのか。

京都大学は、かつて滝川事件が起きたときに、教授陣が総辞職してまで、抵抗した、抵抗の拠点だったのではないか。

 

 日弁連が、深部で米国に乗っ取られているのと、同じ構造が、大学の隅々まで行き渡っているのか。

多数決の体裁をとりながら、実質は少数による専横の構造が、大学の隅々まで行き渡っているのか。

 

 腐敗の体制には吐き気を覚える。

  

わずかに明治以来の日本人の血のにじむような努力を踏まえた矜持を掲げる東京大学の英語化お断りの「構想調書」を書き起こしておく。

  

『東京大学は、多民族国家アメリカやイギリスとは異なった社会環境と日本語という国語をベースに高い教育研究水準を達成してきた日本の国立大学である。教育・研究・運営のほとんどすべてが英語だけで行われる、英米の有力大学と同じグローバルキャンパスモデルをそのまま採用することはできない』

  

当たり前のことを言っているだけではないか。

大学人は矜持を取り戻せ。

東大を孤立させてはならない。

日本民族を奴隷にしてはいけない。