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大相撲横綱伝『初代、梅ヶ谷藤太郎』

十五代横綱・初代、梅ヶ谷藤太郎

福岡県朝倉郡出身

本名・小江藤太郎

soon玉垣部屋

梅ヶ谷藤太郎は弘化2年、福岡県杷木町字梅ヶ谷の紙すき業の家に生まれました。
17歳の時に大坂相撲の湊部屋に入門し、故郷の梅ヶ谷を名乗って土俵に上がりました。
スピード出世を果たし、明治3年には大関に昇進しましたが、大望を抱く梅ヶ谷は江戸へ出て、玉垣の弟子となります。
その頃の東京相撲は大坂相撲を見下していたので、梅ヶ谷は番付外の本中相撲から取らされ、三日目から幕下格という酷い扱いでした。
その後も好成績を上げながら、大坂力士ゆえの冷遇は続き、入幕したのは七場所後の明治7年でした。
しかし、梅ヶ谷はますます無敵ぶりを発揮し、明治12年には大関に昇進します。
そして、明治17年2月、天覧相撲に先立ち、吉田司家と五条家から同時に横綱を免許されるのであります。
横綱免許時は、すでに39歳でありました。
明治17年、芝浜離宮で行われた天覧相撲で、梅ヶ谷はお好み相撲の一番として新進の大達と取り組み、壮絶な死闘を演じます。
大達は、筋肉質で怪力の持ち主で、得意技は、両手で相手の首を左右から挟んで捻り倒すという、なんとも恐ろしげな「とっくり投げ」(合掌捻り)で、中腰に立って拳を前に出す独特の仕切りをされただけで、取組み相手は震え上がったといわれています。
水入りの大相撲は東京市民の噂となり、梅ヶ谷の名は天下にとどろきます。
身長176㌢、体重123㌔、均整のとれた身体の梅ヶ谷は、強烈な突っ張りを武器とし、相手にまわしを与えずに勝つ相撲でありました。
東京相撲に移ってからの黒星はわずかに8個、明治9年4月から明治14年1月にかけて58連勝を記録し、大関若島に一敗したあと、再び35連勝するという無敵ぶりでした。
勝率九割五分一厘は、歴代横綱でもトップです。