真冬の北海道を駆けめぐる長距離バスの旅 第2章~スターライト釧路号とねむろ号で北海道横断~ | ごんたのつれづれ旅日記

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バスや鉄道を主体にした紀行を『のりもの風土記』として地域別、年代別にまとめ始めています。
話の脱線も多いのですが、乗り物の脱線・脱輪ではないので御容赦いただきまして、御一緒に紙上旅行に出かけませんか。

僕が乗って来た札幌発「わっかない」号が発着する宗谷バスターミナルは、JR稚内駅の北隣りにある。

降りしきる雪の中を、僕は腕時計をにらみながら更に北へ歩いた。
500mばかり行くと、オホーツク海に面して昭和10年に竣工された北防波堤ドームに突き当たる。
そこを右へ曲がると、稚内港が見えた。

戦前は樺太連絡の稚泊航路が発着し、今では東日本フェリーの礼文島と利尻島航路の玄関口であると同時に、北都観光が道北バスや銀嶺バスをチャーターして運行している長距離特急バスの札幌行き「はまなす」号と旭川行き「すずらん」号のターミナルでもある。



ターミナルビル1階の待合室にある乗船券売り場と軒を並べたバス乗車券売り場で、

「予約はしていないのですが、旭川行きの席はまだありますか」

と聞いてみた。

「ございますよ。お1人様ですね。軽食をお付けになりますと200円増しになりますが」

窓口嬢はそう答えると、テキパキと乗車券を発行してくれた。
こうして、僕は、北都観光という旅行業者が募集している稚内-旭川片道ツアーバスの会員になった訳である。

貸切バスによる乗合運送の特別許可を定めた道路運送法第24条の2に基づいて、毎日、同じ区間を決まったダイヤで運行する乗合バスと同様の形態がとられている会員募集のツアーバスの嚆矢は、昭和57年に開業した「はまなす」号であると言われている。
翌年に開業した「すずらん」号をはじめ、この方式は道内全域に広まっていく。
北海道運輸局が、「冬の閑散期の長い道内の貸切バスの活性化を図るため、会員制定期バスの充実を図る」という方針を打ち出したことが事の始まりであった。



しかし、貸切バスが乗合バスと同じように定期路線として運行されれば、当然のことながら、地元の路線バス事業者との軋轢を生む。
宗谷バスが唯一の乗合事業者である稚内市では、札幌と旭川への直通路線を同社も運行しており、競合するダブルトラックになっているのは、この方針のためである。

札幌と留萌を結ぶ長距離路線では、路線事業者である北海道中央バスと、ツアーバスを運行する北都観光との対立が、行政訴訟にまで発展した。
およそ30年後に、貸切ツアーバスは、主として安全性の面から騒がれることになるが、当時の北海道では、競争の激化で問題となっていたのである。

乗客数が少ない過疎路線を、収益率の高い長距離バスの収入で補っている路線バス事業者にとっては、貸切事業者が競争相手となって収入減少に繋がっては、たまったものではない。
一方、貸切事業者にとっても、冬期の乗客減というハンディは死活問題である。
改めて、北海道でバス事業を営むことの厳しさを実感する。

 

ターミナルビルの玄関に、白地に赤と青のラインが入った道北観光バスの2台のスケルトンフルデッカーが横付けされた。
前が札幌行き「はまなす」号、後ろが、僕が乗る旭川行き「すずらん」号である。

稚内まで乗ってきた「わっかない」号と似たタイプの車両であり、外見は、長年厳しい路線環境の中を走り抜いてきた事を伺わせて、負けず劣らず古びている。

「ありがとうございます。旭川行きです」

乗車口に立つ女性添乗員さんの丁寧な挨拶に照れながら、車内に1歩足を踏み入れて驚いた。
そこには、左に1列、右に2列の横3列シート28席がずらりと並んでいたのである。
このような豪華なバスが現れるとは思いも寄らなかっただけに、嬉しくなってしまう。
しかも、今度は、最前列右側の特等席を占めることができた。
左側の独立シートも魅力的だったのだが、ステップに立つ添乗員さんと鼻面を突き合わせることになりそうなので、躊躇した挙げ句に運転席の後ろの2列席側を選んだのだ。
隣りに相客が来るような気配もない。

旭川まで254.0km、所要4時間50分をここで過ごすことが出来ると思うだけで、心が踊る。



ちなみに、前に停車している「はまなす」号は、同じ車両でありながら横4列シートだった。
「わっかない」号と抜きつ抜かれつを繰り返してきた午前の下り便がスーパーハイデッカーだったことを考えれば、こちらはどうしても格が落ちるように思えてしまう。
3列シートではさばききれない乗客数を見込んでいるのかもしれないけれど。



15時ちょうどになると、たった20分ほどしか最果ての街に滞在していない僕を乗せた「すずらん」号は、「はまなす」号と隊列を組んで発車した。
途中、旅行代理店が入る北都ビルと、宗谷バス稚内営業所の近くの北都ハイヤー営業所の2ヶ所で乗車扱いを行い、乗客数は10人ほどになった。

しばらくは、「わっかない」号で下ってきた国道40号線を逆にたどる。

雪は小降りになったものの、冬の北海道の日暮れは駆け足である。
午後4時前になれば、辺りは急速に暗くなり始め、サロベツ原野に点在するトドマツの樹林も、真っ白に染まった牧草地も、なだらかに連なる丘陵も、溶けるように闇の彼方へ消えていく。

ドボルザークの交響曲「新世界より」の第2楽章が似合いそうな、壮大な1日の終わりの光景である。
アメリカ新大陸をモチーフにしたこの曲が似合うのは、日本では北海道くらいであろう。



先行する「はまなす」号がライトを点灯し、「すずらん」号もそれに続く。

車内では、添乗員さんが忙しくキャンディ、雑誌、スリッパ、毛布などを配って回る。
用足しに立つ客が出るたびに、添乗員さんがいそいそとおしぼりを後ろへ持って行く。
なぜだろうと不思議に思っていると、

「凍結防止のためにトイレの洗面台が使えないんですよ。こちらで手を拭いて下さい」

と話しているのが聞こえ、なるほどと思う。
厳冬期の北海道ならではのユニークなサービスである。

続いてビデオ映画をモニターで流し始めたが、画面におかしな走査線が何本も走って映りが悪いことこの上ない。

「このビデオは最初の部分が少しばかり見にくくて目がお疲れになることと思いますが、しばらくの間、御辛抱して御覧下さい」

という添乗員さんのアナウンスに、車内に小さく笑い声が洩れた。
しかし、いつまでたっても画面は綺麗にならず、運転手さんも一緒になって機械をいじっていたが、とうとう諦めて消してしまった。

目を疲れさせてまで映画を観ようとは思っていない。
窓の外に視線を転じれば、雄大な夕景が広がっているのである。



幌延町の天塩川大橋で、オロロンラインへ続く国道232号線を分岐する。
長駆札幌へ向かう「はまなす」号とはここでお別れである。

「では気をつけて」
「ありがとうございます、そちらこそ」

「すずらん」号の運転手さんは年配のベテランであったが、エールを交換する無線の向こうから聞こえてくる「はまなす」号の運転手さんの声は若々しく聞こえた。

「はまなす」号の赤いテールランプが暗闇の向こうに小さく消えていくのを見送ると、「すずらん」号は、国道40号線をひたすら南下する。
道北の脊梁である天塩山地の懐深く分け入るにつれて、天候の悪化が顕著になった。
大粒の雪が横なぐりに吹きつけて、フロントガラスが、ワイパーの届く範囲を除いてみるみる白く染まる。
「通行注意 路面凍結 中川-音威子府」と書かれた標識がヘッドライトに浮かび上がる。



中川町を過ぎると、国道40号線は、アンモナイトが出土することで知られるペンケ山の裾野を縫う曲がりくねった山道に変わる。
路面は真っ白な雪に覆われて、どこがセンターラインなのか、どのように道が続いているのか、ライトをハイビームにしないと判然としない頼りなさである。
遥か前方に対向車のヘッドライトが現れると、こちらもライトを落とさざるを得ないが、同時に道路の輪郭も消えてしまい、文字通り暗中模索の状態になってしまう。
風も強いらしく、路面を粉雪が渦を巻いて踊っている。

さすがに運転手さんの腕前は見事なもので、対向車が途切れるとすかさず右車線に出てハイビームに切り替え、のろのろと走っている車を追い抜いていく。
これだけ悪条件が重なっている中での追い越しはスリル満点である。

ハイビームにした途端に、それまで見えなかった歩行者が出現したこともあり、肝を冷やした。
その人が黒ずくめの格好をしている様を見て、運転手さんが、

「自殺行為だよ、ありゃ」

と呟いた。



峠を越えて、音威子府村の灯が見えた時には、正直に言ってホッとした。
気づいたら、手のひらがじっとりと汗ばんでいた。

音威子府村は、僕にとって懐かしい所である。
その2年前の夏に北海道を鉄道で回った時、僕は廃止されたばかりのJR天北線転換バスで稚内から音威子府までを走った。
猿払村、頓別町とオホーツク海沿岸の開拓地を結ぶこのバスは、北海道の自然の雄大さを堪能させてくれた。





あの時、緑に包まれていた村が、この日は深い雪の底でひっそりと眠っている。
「すずらん」号が走り抜ける音威子府村、美深町、名寄市といった北海道中央盆地列の北部は、道内有数の豪雪地帯である。

17時50分、美深町の「みかさやドライブイン」で20分の休憩となった。
乗務員さんたちは、中で軽く食事をとる。
ここで、人数分の軽食が届けられた。
後に配られたその中身は、「わっかない」号と同じく大きなお握りとお新香だった。

再び走り出した時には視界はかなり改善したものの、数台前に2台の大型トレーラーがまごまごしていて速度が上げられない。
対向車が途切れると、前の車から順番に追い抜いて行くのだが、これではいつまでたってもらちがあかない。

すると、「すずらん」号は、名寄市街の手前でいきなり左折した。
道道288号名寄-遠別線である。
呆気にとられているうちに、今度は左折して上川北部広域農道に入り、がらあきの雪道を飛ばし始めた。

元々の経路なのか、運転手さんの機転なのかは知らないけれど、混雑している国道と市街地を避け、西側をショートカットしたわけである。
地方では、広域農道が国道の格好のバイパスになるという事はよく見られる現象である。



左手の闇の彼方に明滅する名寄市街の灯を見やりながら田園地帯の真ん中を疾走し、風連町で国道40号線に戻った。

士別市に入って間もなく、旭川を発ってきた下り「わっかない」号とすれ違う。
札幌線と同じ愛称を冠したこの路線は、稚内を朝に出発し、旭川を午後に発つ1往復のみの運行である。
フロントマスクには雪がこびりついて真っ白であり、お互い苦労していますな、と労をねぎらいたくなる。


和寒町を過ぎると、曾野綾子氏の小説で有名な塩狩峠に差し掛かる。

明治24年にここで客車の暴走事故が起きた際に、自らを車輪の下に投げ出して乗客の命を救った小説の主人公は実在の人物であり、顕彰碑も建てられているという。
北国に生きる人々の優しさを思うと、胸が締めつけられる。

昔も今も、塩狩峠は交通の難所で、国道40号線でも真っ正面から吹きつける吹雪が再び激しくなり、側溝に片輪を落として傾いたトラックや、道路脇にずり落ちた乗用車などの姿が目立つ。
まさに、車の屍が累々といった様相を呈してきた。

中川町以南の上川支庁地域は、寒さが特に厳しい地域でもあり、旭川地方気象台が1902年1月25日に観測した-41.0 ℃は、現在でも国内における最低記録である。
一方で、同じ上川支庁管内でも、塩狩峠の南側の地域は、夏になれば比較的高温となり、7月と8月の最高気温が26度を超える夏日の日数が道内最多でもある。
この高温が、塩狩峠の南側に位置する上川盆地での大規模な稲作を可能にしているという。

日本の米作の北限が上川地方であると聞いたことがある。
僕が「すずらん」号で走破してきた地域の大部分は、米が作れない地域だったのかと、改めて思う。
夏と冬の気温差が50℃を超える土地に住む壮絶さは、想像を絶する。



「旭川 ○○km」という標識がようやく現れ、刻一刻とその数字が減っていく。
しかし、残された時間も短く、延着は避けられない様子である。
添乗員さんが、乗客1人1人に降りる停留所を聞き始めた。

「20時13分の富良野線の列車に乗りたいんだけど」

というおばさんの頼みに、

「それはちょっと無理だあ。頑張ってはみるが」

と、運転手さんが大声で答えた。

「市内でいつも混むんですよね」

と、添乗員さんも申し訳なさそうに付け加える。
次の列車は22時過ぎまでないらしく、おばさんは溜め息をついた。
僕にとっても、遅延は次の行程に影響を及ぼしかねず、他人事ではないのだが、どうすることもできない。

「羽、出そうか、スイッチ押して」

と、運転席の脇に戻った添乗員さんがおどけてうんてんしゅさんに話しかけた。

「そうだなあ、それが出来ればなあ」

と、運転手さんはちょっぴり無念そうである。



クリスマスイブで賑わう旭川市内は、大通りに建てられた大きなモミの木に華やかなイルミネーションが燦然と輝き、長いこと暗い雪道を走ってきた僕の目には眩しいほどだった。
旭川プリンスホテル前で数人を降ろしてから、「すずらん」号が旭川駅前に到着したのは、20時18分だった。
約25分の遅れである。

しかし、時間のことはどうでもよい。
真冬の北海道の厳しい風土を改めて思い知らされたような悪天候の中を無事に走りきった運転手さんの見事な技術と、添乗員さんの心のこもったサービスに感謝したい気持ちでいっぱいだった。
バスを降りると、こうして何事もなく旭川の地を踏み締めていることが、奇跡のように感じられる。

最果ての街を結ぶ北海道の長距離バスの逞しさを実感した5時間余りであった。



僕は、これから道東を目指さなければならない。

釧路行きの夜行バス「スターライト釧路」号の札幌発は23時ちょうどである。
次に乗らなければならないバスが2時間後に発車してしまうと言う状況で、そのターミナルから140kmも離れた土地にいるという立場は、非常に心細いものである。

当初の予定では、旭川を20時に発車する「高速あさひかわ」号に乗る予定だったのだが、そんな時刻は「すずらん」号の車内でとっくに過ぎている。
次の20時30分発の便でも、時刻表通りに走ってくれれば、札幌中央バスターミナルの近くの時計台前バス停に22時45分に着くのだが、この日の天候でバスの定時性に期待するととんでもない目に遭いそうな予感がする。


残された手段は、北海道を長距離バスだけで旅をするという企画を妥協して、旭川21時発の特急列車「オホーツク」8号しかない。
時間に追われる旅の土壇場で頼りになったのは、鉄道だったのである。

僕は、旭川駅の公衆電話から札幌の中央バスターミナルに電話をかけ、今夜の「スターライト釧路」号の乗車券購入がぎりぎりになる胸を伝えた。
電話予約は、3週間ほど前に東京から済ませてある。

「わかりました。発車までにお買いいただければ構いませんよ」

電話の向こうの係員氏の言葉は頼もしかった。

この頃の北海道中央バスの高速バスの乗車券は、JTBなどの旅行代理店で買い求めることが出来なかったので不便だと思っていたが、このように直前までに購入すればいいシステムならば納得できる。

網走から遙々やって来た「オホーツク」8号は、雪を巻き上げながら函館本線を快調に飛ばし、きっかり1時間34分後には、僕を、霧雨に濡れる札幌駅まで運んでくれた。
この定時運転の信頼感には、高速バスなどはどうしても敵わないと思う。
高速バスには定時性以外の魅力があると思えば、それでいいのかもしれないが。



駅からタクシーを奮発して、大通公園の東、創成川沿いにある中央バスターミナルに着いたのは、発車の10分ほど前だった。

片道5700円の乗車券を窓口で手に入れ、改札のガラス戸を開けて乗り場に出ると、北海道中央バスの3台のエアロクィーンKが流麗な外観を照明に浮かび上がらせて既に入線していた。
慌ただしく出発準備に追われている夜行バスが、櫛形の乗り場に鼻先を揃えているのは、なかなか良い風情である。

僕の今夜の宿は、1号車の3番席だった。
女性専用の2号車に女性客を全て奪われたためか、男性客ばかりの車で、これ程むさ苦しい高速バスは初めてである。
師走らしく、里帰りと言った風情の若者が多い。



運行距離382.0kmの当時の道内最長路線だけあって、車内設備は充実している。

足置きとレッグレストが付いた横3列独立シートはゆったりと座り心地が良く、マルチステレオチャンネル、テレビ、電話、スリッパ、おしぼり、コーヒーやお茶、ジュースのサービスも整っている。
備え付けの毛布や床のカーペット、発車前から締め切られている窓のカーテンは、本州以南を走る高速バスより厚手に感じられ、寒冷地対策も怠りない。

それまでに開業していた先輩路線の夜行バスを参考にしながら、とにかく快適に睡眠をとることを追求したという事業者の熱意が伝わってくるような、ぬくもりのある設計だった。



定刻23時、ほぼ満席になった3台の「スターライト釧路」号は、警備員さんのホイッスルに誘導されて次々とバックしながら乗り場を離れ、整然と隊列を組んで深夜の札幌の街に進み出た。

「こんばんは。本日は北海道中央バスの『スターライト釧路』号を御利用下さいましてありがとうございます」

運転席の横から交替運転手さんがひょっこりと顔を出して一礼した。
到着時刻などの案内に続いて、

「車内の設備につきましては、皆さん、もう何度もお乗りになられてご存じのことと思います。もしわからないことがございましたら、これから私が車内を回りますのでお尋ね下さい」

という言葉が聞かれ、安定した需要をつかんだ看板路線の自信が伺える。
何しろ、平均70人を超える高い乗車実績を誇っているというのである。

運転手さんが座席を回っている間に、「スターライト釧路」号は市街地を抜け、僕にとってはこの日2回目の札幌ICから道央自動車道に入って速度を上げた。



「それでは、間もなく消灯とさせていただきます。なお、この先、滝川付近が吹雪との情報が入っております。到着時刻に変更があるかも知れませんが、どうか御了承いただきたいと思います。では、ゆっくりお休み下さい」

前方に戻った交替運転手さんのアナウンスの後に、正面のカーテンが閉められ、徐々に減光して、間もなく車内は闇に包まれた。

リクライニングを倒し、低く奏でられるエンジンのシンフォニーにしばらく耳を傾けていたが、やがて眠りに引き込まれた。
まるで腕の良いマジシャンの催眠術のように齟齬のない、「スターライト釧路」号の旅の導入部だった。

「スターライト釧路」号は滝川ICまで道央道を走り、国道38号線を富良野、狩勝峠、帯広へと南下していく。
豪華な車内と運転手さんのスムーズなハンドルさばきに、僕自身の疲れも重なって、1度も目を覚まさなかった。
ひたすら眠りを貪った車中だったのである。



目を射るような眩しい光に起こされると、車内は煌々と明るい照明が点けられていた。

「おはようございます。あと15分ほどで釧路に到着となります」

出発の時とは逆の運転手さんが爽やかに挨拶し、おしぼりを配り始めた。

同時に、それまで暖かい空気を送り続けていた送風口から、ひんやりとした空気が流れ出す。
乗客が下車した際に、あまりに内外の温度差が激しいと身体に悪影響を及ぼすため、到着前には暖房を切るのである。

午前5時58分、JR釧路駅前の中央バスターミナルに到着。
17分の早着である。
釧路の街並みはまだ真っ暗で、空には星が瞬いていた。



東京を出発する時には、3夜連続の夜行明けとなるこの日の体力が最も気がかりだったが、「スターライト釧路」号の寝心地は、それまで利用した夜行バスと比べても最上の部類であり、寝不足と疲れは跡形もなく吹き飛んでいた。
さあ行くぞ、東の果ての根室目指して、と張り切って、僕は、凍てついた空気をものともせず、ロータリーの反対側の釧路駅前バスターミナルに向かって歩き出した。



早朝6時30分発の根室行き長距離バス「ねむろ」号はくしろバスの担当で、出発が早すぎるような気もするのだが、「スターライト釧路」号の接続便としての役割も担っているという。
だが、乗り場に現れたカラフルなバスに乗り継いだ客は、僕を含めて僅かに3人だった。
もっとも、この日の「ねむろ」号の乗客総数が6人だったから、この数字が多いのか少ないのかは判断が難しい。

 

「ねむろ」号の開業は昭和63年11月である。
僕が「ねむろ」号に乗った1年後の平成4年11月には、札幌と根室を直通する夜行便「オーロラ」号の運行が開始されてているから、需要はあるのだろうと思う。
出発時刻になると、運転手さんが立ち上がって客席の方に向き直り、

「おはようございます。本日はくしろバスの『ねむろ』号を御利用いただき、ありがとうございます。根室まで安全運転で参りますので、よろしくお願いします」

と、深々と頭を下げた。
ワンマン運転の高速バスでは、出発後に運転しながらマイクで挨拶する運転手さんが多いだけに、気持ちの良い旅立ちである。

車内設備もローカルな昼行便としては破格で、トイレ、ビデオ、
マルチチャンネルステレオ、缶ジュース、雑誌、毛布が備わっている。



夜明け前の釧路市内を抜け、国道44号線を東に向かう。

少しずつ周囲が明るくなり始めたが、道路も沿線の景色もからりと乾燥して、雪が全く見当たらない。
ただし、木々の合間から覗く湿原は氷結している。
車内テレビで放映されていたニュース番組の天気予報では、北海道地方は典型的な冬型の気圧配置に覆われているものの、道東地方はお日様マークが並び、異常乾燥注意報が出されていると報じている。

一方で、昨日訪れた道北地方は、この日も大雪らしい。

根釧原野の南端をかすめて厚岸町に差し掛かると、右手に広がる厚岸湖の向こうから大きな朝日が顔を出した。
夜の底に沈んでいた湖も、その先に広がる太平洋の海原も、一変して金色に輝き始める。
北国の夜明けは力強い。

ちなみに、「アッケシ」とは、アイヌ語で牡蠣のいる所の意であるという。
その名の通り、厚岸湖には天然牡蠣の殻が積み重なって形成されたカキ島がある。



7時20分頃に、根室交通の上り釧路行きと邂逅した。

根室を6時ちょうどという早い時刻に発車しているにも関わらず、ほぼ満席の盛況である。
朝の上り便の乗車率が高いという法則は、全国でも見られることである。



国道44号線は、閑散とした牧場と、荒れ果てた原野と、結氷した湿原の中を、緩やかな起伏を繰り返しながら坦々と伸びている。
運転席の速度計の針も、時速60kmをピタリと指したまま動かない。
埃をかぶった簡素な家々が並ぶ集落と、意外に背の高い雑木林が、思い出したように現れる。
単調なようでありながら、なぜか飽きが来ない。

車内では、映画「ぼくらの7日間戦争」の放映が始まっている。
初見であるが、なかなか面白い。
はるばる最果てまでやって来たというのに、どうして映画を観なければならないのかと自嘲したくなるが、美しい車窓と、映画のクライマックスシーンと、視線をあちこちに転じなければならないから、設備が整った長距離バスに乗ることもなかなか忙しい。

水面にヨシが鬱蒼と繁っているチライカリベツ川、オランベツ川など、アイヌ語そのままの名称が増え、嫌が応にも最果てに来た旅情が深まってくる。



道端に「厚床」と地名が書かれた標識が現れると、そこはもう根室市である。

アットコとは、アイヌ語で、オヒョウニレと呼ばれる北海道に多い楡の木が伸びている沼を意味する「アッ・トゥク・ト」から転じているという。
道に沿って広がる風蓮湖が、その沼なのであろうか。
オオハクチョウが飛来することでも知られる湖だが、夢幻の境を漂っているような気分にさせられる清らかな湖面に目を凝らしても、残念ながら白鳥の姿は見当たらなかった。

更には、右手に温根沼、左手前方に盛り上がる小高い丘陵の彼方に広がる根室海峡と、東の果ての自然は水が主役である。





丘を登り詰めると、ぽつりぽつりと建物の数が増え始める。
その密度は高くなく、建物の作りも簡素に見えるから、如何にも新興の開拓地といった雰囲気の街並みである。

根室市内では、西高入口、北斗小学校前、市役所前のバス停に停車して客を降ろしていく。
「ねむろ」号はJR根室駅には寄らず、最寄りの停留所は市役所前であるが、僕は、市街地の東端にある終点根室交通本社まで乗り通した。

定刻通りの午前8時50分だった。



札幌を起点に考えれば、前日に訪れた最北端の稚内までは1本の直通バスで337km・6時間あまりだったが、最東端の根室までは、夜行と昼行バスを乗り継いで505km・10時間の長旅となった訳である。
東京からならば大阪までの距離に匹敵する。

燦々と朝日に照らされながらも、朝の運行に出払っているのか、 バスの姿が全くない街外れの本社を眺めながら、遠くまで来た、との思いを新たにした。

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