成功の法則 続編 18 人も物にも執着するな
人にも物にも執着するな。
人が大きな選択決断をするとき、
大事な人、大事な場所、大事な物、大事な時、などがあって、それらが決断を揺るがせる。
それらを維持することがゴールであるなら、それらを基準に加えても良い。
しかし、ゴールの延長線上に、もしくは、ゴールの付帯的利益に、それらが出てくるのであるならば、動き出す前にそれらを判断基準から排除しないといけない。
基準から排除するということは、場合によっては、執着を捨てる、手を切る、手元から手放す、距離を取る、離れる、縁を切る、などと同じ場合もある。
厳しい例であれば、
それは、思い出深いコーヒーカップかもしれない。
それは、自分の半生を表す家かもしれない。
それは、趣味でやってきた絵という習慣かもしれない。
それは、愛する姪っ子や甥っ子かもしれない。
それは、国家資格である技術かもしれない。
それは、おばあちゃんの形見の指輪かもしれない。
それは、心を支えてきてくれた田舎の友かもしれない。
それは、 10年かけて築き上げたチームかもしれない。
それは、大好物や今までの愛する食生活かもしれない。
何か大きなことを成し遂げようと覚悟したときには
今まで大切にしてきたものへの執着を捨てないと進めないことがある。
人によっては、願掛けに聞こえるかもしれない。
あるものを得るために、それを得るまでは相当の大事な物を
我慢して、等価交換の原理と思うかもしれない。
人によっては、苦しさを動き出す糧にすることと聞こえるかもしれない。
大事なものを失ったとき、その悲しみを「何クソ根性」に変えて
爆発的な動力にするのだ、と思うかもしれない。
その判断の理論や哲学はいろいろあるかもしれないが、
ここで言っているのは、
執着する物事があることで、動き出せないことが多いこと。
「夢を叶えるためには、趣味の時間を仕事に回さないと成果が出ない」
「ローンを返し終えた家を手放したくない。でも、夢のカフェを開始するには資金を作らないといけない。家を今手放さなければ、
予定が五年先延ばしになる。とはいえ、今が開業のチャンス」
「家族は自分を頼っている。家族のことを考えて(優先して)生きると、
いつまでも自分の行く道が進めない。」
「主力の製品Aはここまで会社を大きくしてきてくれたが、
本当のゴールに辿り着くためには、製品Aの権利を売却して、
行くべき道をスタートしないといけない」
などなど
このようなことはある。
ある人から聞いた話であるが、
勤め先の社長がお金を持って逃げてしまったために、
その人は40億円の借金を背負うことになった。
自己破産をすればいいけれど、自分の生き方や、他の社員
のことを考えると、破産宣告ができなかった。
三年で返済を終えたという驚異のパワーであったが、
そのためには多くのものを手放したと思う。
家賃を節約するために小さなところへ引っ越しただろうし、
家族に経済的協力をしてもらう生活だったろうし、
売れるものはたとえ100円でも売っただろうし、
プライドも、所有していた動産も、
友情や趣味の時間も、
手放さなければ、この短い時間で返済は不可能であろう。
極端な事をいえば、
自己肯定感さえ手放す覚悟があったのかもしれない。
何かを成し遂げるために、そしてその道へ一歩踏み出すために、
足枷になるものを手放さないといけない。
では、
《《何を手放すことにするべきなのか?》》
《《どれを手放すものとして選べばいいのか?》》
足枷になるものは、実は、
自分が一番大切にしているものであることが多い。
一番大切なものであるから手放せないし、
それへの執着心が自分の心の目を狂わせる。
それを手放すということは、
罪悪感が出てくるために誰もが手放せない。
執着心は愛であるわけではない。
執着心は「利己的な一方的な思い」でしかない。
大事な家を売却して次のステップに行く場合、
その家への執着心は家への愛ではない。
だけれども、
例えば、
家を手放すということは、まるで愛を裏切ったような
罪悪感や裏切りによる悲しみに近い感覚があるために
なかなか手放せないのだ。
「あれだけ大事に丁寧に扱って生活していた家だし、
ローンを組んで手に入れた城だし、
家族が生きてきた想い出がいっぱいで、
家を見るだけで疲れも癒されて頑張れたのに!」
などといった思いがでてくるのもわからなくないが、
思い出や思い入れが愛と勘違いしてしまっているのであって、
実際は執着でしかない。
とは言え、
物質的なものに対しては、罪悪感は比較的少ないが、
実際の人物や、その人物を代替するもの(形見など)
の場合は、相手への想いや気持ちがあるために、
手放すのは、相手を裏切ったような、
喪失感と罪悪感と寂しさが入り混じり
とても苦しいのだ。
では一方、
相手の方は、
裏切られた感覚がなく、逆に、
応援したい気持ちでいるかもしれないし、
「新たな一歩を踏み出したんだなー」といった
シンプルな感想しか湧き上がらないかもしれない。
なぜなら、彼らも自分の人生を頑張って生きている。
もし、
「『あなたを失うことが命が縮むほど悲しい』と思うほど
愛を注いでくれていた人物を手放さなければならない」
のであるならば、
きっと、進む道のどこかで、もう一度出会えるし、
その時は以前の何倍も大切にしてあげれば良い。
さもなくば、ただの激しい執着に過ぎない。
この執着は、自分の心を埋める道具として最重要なものだ。
「寂しさを埋めてくれる人」
「自尊心をくれる人」
「愛を注ぐ(愛を受け取ってくれる)器である人」
としての位置付けだ。
執着できるほどの思い入れがあることは悪いことではないが、
世の中には、全く執着心がなく、さっぱりしている人もいる。
このような人は、行動も早いが、
人や物への共感や、思いやりは少ないので、
いつでもあなたを切り捨て、道具のようにしか思っていない。
だから、
「執着心がないから執着しませんよー」
であるよりも、
「動き出すために執着を手放す」覚悟が成功への一歩になる。
----------------------------------
理屈は分かっても、うまくいかない
ジレンマに苦しんでいる人は
人生再構築メンター夏川佳子
にご連絡ください。
まずは、単発1回をお申し込みください。
このシリーズを読み切った方は
初回単発1回を半額でお受けいただけます。
yoshiko.natsukawa@gmail.com
----------------------------------