いや、たいした話でないんだけどさ。

いや、たいした話でないんだけどさ。

北海道の片田舎のおばちゃんがニュースを拾い読みしたりぼやいたりつぶやいたりするブログです。

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息子の話ばかりなんで、娘のこともちょっと。

 

娘、現在大学3年生。

親元を離れてデザインの勉強ができる大学に進学いたしまして。

 

高校1年のころから、そっち方面に進みたいと聞いてはいましたが、

普段の娘しか見ていない親としましては、は?なんで?でしたよね(笑)

まぁ、絵を描くのは好きだったし、美術系は言いだすとは思ってたけど、

もしくは、ずっとやってきたピアノで音大とか?それが、

ああそう、デザイン…。ピンっと来ねえw

 

それでもまぁ、デザインといってもいろいろあって。

商業デザインだったり(パッケージとかのデザインとかね)、

なにかの商品やポスターだったりの色の指定やイメージとかもデザイン分野らしいので

(分って言ってるわけではないので、間違っても参考にしないでね(;^ω^)

そういうお勉強をしてるのだな、と。

 

でも、最近送ってきた写真は、娘が染めた糸でした織り物とか。

職人になるのかな?と思っちゃうよね…(;^ω^)

 

そんな勉強をしている娘、無事に4年生にはなれそうで、

そう、いよいよ就職ですよ。

就活ですよ。

なにやら北海道に戻ってくる気してますよ(笑)

 

ってことは、来年、私も1回か2回くらいは娘のとこに行かないとならないかも。

就職決まっちゃえば、早めにアパート引き払う可能性もあるし、

その荷物積んでこなきゃいけないだろうし~。

車で本州…行けるかなぁ。

 

オーキャンと受験の時に同伴してるのだけど、暑いのと寒いの印象しか残ってませんよw

息子の野球もあるから、来年忙しいじゃないの、私…

いよいよ2018年も終わりに近づいている。

平成ももうすぐ終わる。

っても、私にはなんの特別感もなく(笑)、今日も伝票処理に忙しいだけさ。

 

野球小僧の息子も、今は落ち着いて日々野球・野球だ。

昨日学校から持ち帰った図工や家庭科で作った物も、なんか知らんけれど野球絡みだ(笑)。

変形したバットとか、試合が終わった球場とか、図工でこんなものばっかり作っても、先生判断に困るんじゃなかろうか。

まぁ、先生も北海道選抜チームのコーチなんてなさってるんで、

息子=野球は仕方がないとあきらめてくれているかもしれないけど…(;^ω^)

 

前に書いたけど、息子は来年に向けて体つくりをしているところだけど、

チームとしてもそれをすることになり、週1で練習中に2回のもぐもぐタイムをすることに(笑)

 

ところがだ。

息子はこの練習前にもどんぶり1杯のご飯を食べ、バナナを1本食べてから練習に向かい、

練習中のもぐもぐタイムをこなし、家帰って来てからもご飯を食べているというのに、

体重が500gから1kgは減る。

 

何故…(;'∀')

 

そんなに野球はカロリー消費の激しいスポーツなのか…。

それか、燃費効率の悪いからだなのか?(いや、むしろ良いのか?)

 

事あるごとに、「母ちゃんの肉、分けてよ」と言われるが、

出来るもんならそりゃ分けたいさ(笑)

 

さてさて。

来年はそれなりに体が大きくなってくれるのだろうか。

今、ほんっとにほっそほそなんだから!

とりあえず、来年の今ころには

「オレはやりきったぜ!」くらいの状態になっていて欲しいものだけどな。

今年も残すところ約2か月。

今年は自分が“被災者”と呼ばれる立場になろうとは。

って言ってもすごく呑気だったのだけどね自分…

 

まずやってきたのは台風だった。

北海道にくる台風、昔は珍しいもんだったけど、

近年はちょこちょこ上陸して、被害が出てたりするのだけど。

今回は、自然の力っていうのか、それを目の当たりにした感じ。

 

家、壊れると思った、マジで。

屋根は飛んでくかもしれん、と思った。

実際は飛ばんかったけどね。

 

しかし、庭にある樹は、根から倒れた。

直撃しなかったものの、屋根が破壊されてもおかしくない倒れ方をした。

野球グランドの横にある、大きな大きな樹も根から倒れた。

その根の横に息子を立たせて撮った写真があるけど、

はるかに大きな根っこだった。

 

周辺でも割と大きな樹が折れたり倒れたりしてて、

そのせいで停電も起きていた。

 

それから2日後だったか。

朝方(夜中3時くらい)に震度5の地震。

今まで経験した中で、一番に大きな地震だった。

 

震源地は内陸・厚真。

まさかの震度7。

母方の伯父夫婦とその息子夫婦が、震源地にほど近い町に住んでいて、

家そのものに被害はなかったものの、物が倒れたり割れたりして、

しばらく家の中で生活できる状態ではなかったと聞いている。

(助けに行きたかったけど、気遣いが半端ない伯父夫婦なので、

行くとかえって動きまわって、持病が悪化しかねないので未だ行ってない。

ってか、母に行かないで欲しいと頼まれた)

 

その町には、母方のお墓もあるのだけど、

新しくしたばかりだったのに、人の力で太刀打ちできないほどの

見事な壊れっぷりだったそう。

 

そして、全道停電。

いわゆるブラックアウト。

 

こんなこと、自分の身にふりかかってくることもあるのだな…

なんて他人事のように思ったのを覚えている。

 

 

だがしかし(笑)

ニュースにもなっていたけど、道民のおおらかっぷりは

そんな中でも健在だった…。

 

前もって言っておくけど、

被災地である厚真や、その周辺の町、

震源地から離れた札幌で液状化などの被害があった地域は

それどころじゃなかった。

今だって助けが必要な状態には変わりない。

 

亡くなった方もたくさんいて、笑っている場合ではないのだけど、

揺れがあった割に被害が小さかったところや、

揺れていないのに停電してしまった地域では、

「仕方ないっしょ、そのうちなんとかなるべさ」

な人も多かったのだ。

 

大きな冷蔵庫が普通の家庭が多い北海道、

停電して一番困ったのは、冷凍した物をどうするかだった。

冷蔵庫のほかに、冷凍庫を別に持っている家庭もざら。

うちだってある。

まぁ、仕事用の冷凍庫だから、凍らせているのは氷なわけだけど、

食材も少しはあった。

 

幸い、ガスはプロパンだから問題なく調理ができる。

(オール電化の家は大変だったらしい…)

片っ端から調理して食べた。

 

焼肉やるから集まれ!!

と知り合い・隣近所に集合をかけた家もある。

ビールだって飲んだ。ぬるかったけど。

 

そして、夜空を見た。

すっごい星がきれいだった。

いつもきれいだと思ってたけど、灯りがないとこんなにも星が見えるのか…

なんて思いながらビールを飲んでいた。

 

うちの地域は、2、3日ほどで一部の電気が復旧し、

断水のうわさも広まっていたけど、それもなんとかなった。

 

 

1週間ほど学校がお休みになってしまい、

最初こそよろこんで遊びまくっていた子供らだったけど、

やることがなくなってくるし、新人大会も迫っていたしで、

各々自主練をしていたようだ(笑)

 

 

 

可哀想だったのが、うちの娘。

台風がくる1日前に新潟から夏休みで帰省していて被害にあったのだ。

大学からは、北海道出身者の安否確認メールが届いていた。

数人しかいない北海道出身者の中で、

娘だけが被災としたと報告…。

「ってか、ビール飲みながらメール打ってるとは思わんだろうねえ」

と笑っていたが(;^ω^)

さて。

1つ前で触れてるように、今の息子は野球、野球。

そのおかげもあり、私も息子に付き合って、野球で外出することが増えた。

 

ある意味、これはありがたい話で。

家の中は相変わらず…どころか、いつなにが起きるかハラハラするような状態で、

でもこれは私は一切関知しないと宣言したものだから、

(義叔父にお前は関係ない人間、と言われたからでもあるけど(。-`ω-)

できるだけ耳に何も聞こえてこない方が、精神衛生上助かるわけ。

 

まぁ、そんなことで、野球様様な状態なのだけど。

 

応援をするようになり、ふつふつと蘇るのは、

小学生だったときの私の夢。

 

高校野球を吹奏楽で応援したい。

 

そんなことを考えて、4年生のときに吹奏楽部の入部テストを受けたのだけど、

見事に不合格。

半年だったか1年だったか、記憶があいまいだけど、

先に入部した友人に特訓してもらい、次のテストで合格して、

希望していたパーカッション(や、当時は太鼓と言ってたけどね…)

をやらせてもらえるようになったわけです。

 

その時点では、地元の高校に入学して吹奏楽部に入部する予定だったのだけど、

親の都合で転校することとなり。

転校先には吹部はなかったので、そちらの夢は断念せざるを得なかった。

でも、密かに高校の越境入学を企んでたんですがね…(;^ω^)

公立校だから無理だったろうけどね…。

 

その、断念した夢が、

今ころ、しかも、自分の子供の野球の応援で…

なんてなってるところなんだけど。

 

しかし。

今のご時世、子供の声すら騒音と言われるわけで、

応援もまた同じなわけですよ。

子供の野球をするグランドなんて、学校か住宅街にある公園の一角なもんだから、

あまり楽器を使用することはできなくなってる。

 

ああ…

 

それでも、年に数回は室内球場でやる機会もあり、

楽器を使える大会もあったりする。

 

あと1年。

うちにあるトランペットとサックスでなにかしたい。

(持ってるんだかなぁ何故だか・笑)

サックスは一応音を出せるので、練習すれば1,2曲ならいけるだろうけど、

でも、野球の応援って、なんか

トランペット

じゃない?私だけか??

 

今って、プラスチック楽器ってのがあるんだよね。

実は、サックスのは買ってみた。

指もリコーダーに近いんで、結構気軽に使える。

 

トランペットもあるけど、サックスに比べるとちょい高めなもんだから、

まだ手は出してない。

っていうか、昔は音は出せてたんだけど、今は出せなくなっちゃった!

どうすれば出せるか、それは分かるんだけどできなくなった。

もしかすると、左側の顔の麻痺が原因になってるかも。

 

マウスピースを口にあてた姿を鏡でみたら、

唇がね、左に寄っちゃってるんだよね!

あてかた変えたら、少し音が出そうな気配なんだけど、

まだちゃんと出せてはいない。

 

しばらく練習してみよっと。

大変ご無沙汰なアメバブログ。

いろいろとあり…。家のことは未だに解決もせず、

私はもうなんんんんにも無関心です〜な顔で過ごすことにした感じ。

まぁそっちはもうこの際どうでも良し。

 

息子の話。

このテーマで書くのは、もしかしたらもうないかもしれない。

というのも、劇的に変化したのだ。

このブログで書いたかどうか、もう忘れてしまったのだけど、

息子は低学年のうちは、学校以外での療育を月2回のペースで続けていた。

今はそちらもお休みしている。

先生が、「今の生活を優先して」とおっしゃるからだ。

 

今の息子は、毎日が野球の日々だ。

 

小学3年で、野球少年団に入団したのだ。

あの、何事にも消極的で、自信なんて1つもないと言っていた息子が、だ。

それだけでも私には信じられないことだった。

 

とはいえ、入団後しばらくは例によって心配の塊だった。

一緒に遠征先に行けないとき、団員の車に乗せていただくのだけど、

「帰りに僕が乗ってないことに気づかないでおいて行かれたらどうしよう…」

だとか

「車が事故にあったらどうしよう」

だとか毎回毎回考えていた。

 

けれど、4年生になって6年生中心のレギュラーチームの試合に

出していただくことが何度かあり、

そのころから自信をつけていった。

 

遠征先へも、団員の車で全然OKになったし、それどころか飛行機に乗って

全国大会にも出かけて行った。

私は同伴できなかったけれど、充実の4泊5日を仲間とともに過ごした。

 

私もだけれど、療育の先生もすごく驚いたものだった…。

野球は、息子を変えた。

 

今はとにかく、野球中心で考えていきましょう。

先生はそういった。

もともと、アスペルガーは仮の診断だった。

この先、その状態が顕著になるかもしれないし、一時的にそれに近い状態であって、

成長していけば全く問題がなくなる可能性もあった。

 

野球を始めてからの息子は、後者だと言えるというのが先生の判断だった。

 

ただ、それでも不安症なところは未だにあり、その様子見のために

療育の教室には今も籍をおいている。

この1年、行ってはいないけど、先生とはメールで連絡をとりあっている。

 

 

5年生の息子は、学童野球の最終年度に向けて体つくりをしているところだ。

一日4食摂っているのに、体重はあまり増えない。

ポジションはピッチャーで、早い球を投げられるように、

身長もだけれど体重も増やしたいのだ。

 

4年生の冬に腰を痛め(椎間板ヘルニアでした…)、

春先まで治療に通ったりもしていて、

ちょっと時間をロスしてしまったことに苛立っていたのだけど、

そのおかげでストレッチなどを教えてもらえたのだから、全くのマイナスでもないよと言ったら、「それもそうだねー」と笑っていた。

 

とにかく、野球に関しては前向きで、少しばかりつけすぎじゃないかと思えるほど自信もあるようだ。

 

 

 

とは言いつつ、実は今、6年生を前に退団…

なんてちょっと危機的な状態になっている。

私もそれで少し参っている。

 

監督やコーチのもと、何かしらの結果を残して卒団したい気持ちはあるけど、

果たしてどうなることやら…

 

でも、たとえ退団したとしても、本人は野球をやめるつもりだけはない。