今年も残すところ約2か月。
今年は自分が“被災者”と呼ばれる立場になろうとは。
って言ってもすごく呑気だったのだけどね自分…
まずやってきたのは台風だった。
北海道にくる台風、昔は珍しいもんだったけど、
近年はちょこちょこ上陸して、被害が出てたりするのだけど。
今回は、自然の力っていうのか、それを目の当たりにした感じ。
家、壊れると思った、マジで。
屋根は飛んでくかもしれん、と思った。
実際は飛ばんかったけどね。
しかし、庭にある樹は、根から倒れた。
直撃しなかったものの、屋根が破壊されてもおかしくない倒れ方をした。
野球グランドの横にある、大きな大きな樹も根から倒れた。
その根の横に息子を立たせて撮った写真があるけど、
はるかに大きな根っこだった。
周辺でも割と大きな樹が折れたり倒れたりしてて、
そのせいで停電も起きていた。
それから2日後だったか。
朝方(夜中3時くらい)に震度5の地震。
今まで経験した中で、一番に大きな地震だった。
震源地は内陸・厚真。
まさかの震度7。
母方の伯父夫婦とその息子夫婦が、震源地にほど近い町に住んでいて、
家そのものに被害はなかったものの、物が倒れたり割れたりして、
しばらく家の中で生活できる状態ではなかったと聞いている。
(助けに行きたかったけど、気遣いが半端ない伯父夫婦なので、
行くとかえって動きまわって、持病が悪化しかねないので未だ行ってない。
ってか、母に行かないで欲しいと頼まれた)
その町には、母方のお墓もあるのだけど、
新しくしたばかりだったのに、人の力で太刀打ちできないほどの
見事な壊れっぷりだったそう。
そして、全道停電。
いわゆるブラックアウト。
こんなこと、自分の身にふりかかってくることもあるのだな…
なんて他人事のように思ったのを覚えている。
だがしかし(笑)
ニュースにもなっていたけど、道民のおおらかっぷりは
そんな中でも健在だった…。
前もって言っておくけど、
被災地である厚真や、その周辺の町、
震源地から離れた札幌で液状化などの被害があった地域は
それどころじゃなかった。
今だって助けが必要な状態には変わりない。
亡くなった方もたくさんいて、笑っている場合ではないのだけど、
揺れがあった割に被害が小さかったところや、
揺れていないのに停電してしまった地域では、
「仕方ないっしょ、そのうちなんとかなるべさ」
な人も多かったのだ。
大きな冷蔵庫が普通の家庭が多い北海道、
停電して一番困ったのは、冷凍した物をどうするかだった。
冷蔵庫のほかに、冷凍庫を別に持っている家庭もざら。
うちだってある。
まぁ、仕事用の冷凍庫だから、凍らせているのは氷なわけだけど、
食材も少しはあった。
幸い、ガスはプロパンだから問題なく調理ができる。
(オール電化の家は大変だったらしい…)
片っ端から調理して食べた。
焼肉やるから集まれ!!
と知り合い・隣近所に集合をかけた家もある。
ビールだって飲んだ。ぬるかったけど。
そして、夜空を見た。
すっごい星がきれいだった。
いつもきれいだと思ってたけど、灯りがないとこんなにも星が見えるのか…
なんて思いながらビールを飲んでいた。
うちの地域は、2、3日ほどで一部の電気が復旧し、
断水のうわさも広まっていたけど、それもなんとかなった。
1週間ほど学校がお休みになってしまい、
最初こそよろこんで遊びまくっていた子供らだったけど、
やることがなくなってくるし、新人大会も迫っていたしで、
各々自主練をしていたようだ(笑)
可哀想だったのが、うちの娘。
台風がくる1日前に新潟から夏休みで帰省していて被害にあったのだ。
大学からは、北海道出身者の安否確認メールが届いていた。
数人しかいない北海道出身者の中で、
娘だけが被災としたと報告…。
「ってか、ビール飲みながらメール打ってるとは思わんだろうねえ」
と笑っていたが(;^ω^)