『江戸泰平の群像』(全385回)176・鍋島 直朝(なべしま なおとも)(1662~1709)は、肥前鹿島藩の初代藩主。前2代に鍋島忠茂正茂がいるが、正茂系は5000石の旗本として存続したため、別家として扱われる。元和8年(1622年)1月21日、佐賀藩初代藩主・鍋島勝茂の九男として佐賀城三ノ丸で生まれる。寛永13年(1636)、父は直朝を鹿島藩第2代藩主・鍋島正茂養子として強引に送り込み、寛永19年(1642)には養子問題で対立していた正茂を追放、家督を直朝に継がせて鹿島藩主とした。寛文12年(1672)12月9日、家督を三男・直條に譲って隠居する。その後は紹竜と号した。宝永6年(1709年)11月19日に死去した。享年88。柳生流の認可を受けた達人であったといわれ、書画や歌道にも秀でていたといわれる。絵を良くしていた証拠に、寛文2年(1662)正月に描いた、大和絵風の自画像が残っている[1]。また、現在における鹿島市発展の基礎を築いたといわれている。