「一ノ宮巡り」伊勢国一ノ宮椿大神社・祭神猿田彦大神・三重県鈴鹿市山本町字御旅1871・式内社・旧県社・猿彦神社は三重県では伊勢神宮、二見輿玉神社に次ぎ多くの参拝者が訪れる神社である。

創建は垂仁天皇の御世に倭姫に降った神託によって、猿田彦大神の墳墓の近くに「道別大神」として社殿が造営されたことに始まる。記述の初見は天平年間『大安寺伽藍縁起並流記資材長』に見ることが出来、『延喜式神名帳』記載される「椿大神社」に比定される「都波岐神社」と「椿大神社」のどちらかと云うことについての議論も諸説ある。社伝に依れば猿田彦大神の末裔とされる行満大明神は修験道の開祖として役行者を導いたとされ、中世には修験神道の中心になった。

現宮司は行満大明神の末裔とされている。明治四年には郷社、昭和二年に県社に、十年には内務省の調査によって、全国役二千社の総本社として「地祇猿田彦大本宮」認定された。総本社としての各地に点在する「椿神社」との関係は明確でない。また椿大神社には吉備真備の奉納としての獅子頭がって、獅子舞発祥の地としても知られている。★『古事記』の猿田彦大神は、天上から天孫ニニギ命が天降りをしょうとした時に、天の八

(ちまた)に立って高天原から葦津中原まで照らす神がいた。

その神鼻の長さが七咫、背長は七尺、目が八咫鏡のように、ホオズキのように照り輝いている姿であった。

そこで天照大神と高木神が天宇受売命に、その神を確かめて尋ねてくるように命じられた。その神は国津神で猿田彦と名乗り、天孫ニニギ命が下界に降られると聞き先導しょうとしてやって来たことを伝えた。猿田彦神の先導で無事に葦津中国に着くと、ニニギ命は天宇受売命に猿田彦を送り届けて「猿女君」と名前を付けて仕えるように命じた。そこで天宇受売神は「猿女君」と名乗った。