「近畿三十六不動巡り」京善寺「くわず不動」・近鉄南大阪線川堀口駅下車十分で住吉区は桑津に着く、桑津神社と道を隔て「くわず不動」と地元の信仰は絶えないが、寺伝に拠れば昔は「金剛院」と言われ厄除け祈願道場として栄えていた。今の境内より広く竹林と常緑樹が多い繁り、小高い丘に本堂があって、善如龍王を祀り農民百姓の豊作を祈願し特に雨乞い祈願と「身代わり厄除け不動」人の絶え間なく近郷の百姓の参拝に多いに栄えたと言う。所が元和元年の大坂夏の陣で戦場所となって、武士達が集合した大きな井戸が三箇所並び当時が偲ばれるが、この辺りも戦場となって寺の堂塔は焼失、衰退して行った。その後、承和二年(1653)信者の富井部氏の霊夢に不動明王が現れて、寺の再興を告げられ、紀州の観弘実誉阿闍梨を招き堂宇を建立、興教大師作の不動明王を祀ったのが「くわず不動」の始まりと言う。その後吉野より「役行者」の等身像を勧進し行者の道場にもなった。紀州根来寺の不動明王と同木、同作、(興行大師の作と伝えられる)の不動明王を勧請し本尊とした。真言宗御室派、近畿三十六不動札所、摂津八十八箇所札所となっている。