『河内史跡巡り』野崎観音 福聚山 「慈眼寺」曹洞宗 本尊十一観世音菩薩・大東市野崎二丁目 JR 学研都市線野崎駅下車徒歩十分。旧百七十号国道東百M 小高い斜面に大阪平野を見下ろす眺望の良い場所にある。大阪を一望のできる屈指の眺望は古くより、大阪庶民の信仰を集め、特に大阪庶民、商人(大店の旦那衆)の芸者を引き連れ賑やかに「野崎参り」したのは有名である。東海林太郎の歌謡宇の「野崎小唄」(野崎参りは・・・屋形船で参いろか・)落語の「野崎参り」は船で行く人、歩く人の掛け合いで話が進む野崎参りは、大阪から寺の下まで川が流れていたので、船の往来が盛んだった。寺伝によれば、今から千三百年余り前。行基が開山、元は摂津江口に有った寺を(江口の君)長者が摂津から平安時代にこの地に移したという。その後信長の松永秀久攻めで焼失、曹洞宗の禅僧青厳が再建した。元禄時代に平野屋五兵衛が本堂を寄進、この頃より野崎参りが盛んになり、大塩平八郎の乱では茨田群士の仲間をかくまった。近松半二の「お染久松」舞台荷もなりその塚あり、文楽、落語、歌謡と大阪庶民に取って馴染みの深い観音さんである。 (観音さまを、かこつけて、逢いに北やら南やら、お染は思い久松の、あとを慕うて)