日本の記憶と記録」(全307回)68“民主自由党(みんしゅじゆうとう)1948年(昭和23)3月15日、日本自由党と民主クラブ(旧民主党幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)派)が合同して結成した保守政党。片山・芦田(あしだ)両内閣の野党であった日本自由党が次期政権工作のため進めた保守合同であり、結党時は153名で衆議院第一党を確保、総裁は吉田茂。1948年10月芦田内閣総辞職後は第二次吉田内閣を、ついで1949年1月総選挙で264名の絶対多数を確保して第三次吉田内閣を成立させた。またこの選挙で増田甲子七(かねしち)、池田勇人(はやと)、佐藤栄作ら官僚出身者を多数当選させて閣僚に起用し、官僚派を中軸とする戦後保守支配体制の基礎を固めた。1950年3月民主党連立派と保守合同、自由党となった。