「戦後日本の記憶と記録」(全307回)67”戦争花嫁90人渡米“戦争花嫁(せんそうはなよめ、)は、戦時中に兵士と駐在先の住民の間で行われた結婚に言及する際に使われる言葉で、通常、兵士と結婚した相手のことを指す。主に第一次世界大戦、第二次世界大戦中のものを特に指すが、他の戦争も含む。戦争花嫁の中でも、特に大規模でよく記録が残っているものは、第二次世界大戦後の、米軍兵士とドイツ人の若い女性との間の婚姻である。1949年までに、20,000人を超えるドイツ人戦争花嫁がアメリカに移住した。さらには、「……第二次世界大戦中にオーストラリアにある基地の米軍人と結婚した、15,000人ものオーストラリア人女性が、夫に付いてアメリカに移住した」[2]と推測されている。連合国軍の兵士たちはまた、戦争末期に駐在していたフランス、ルクセンブルク、フィリピン、 日本などを含む他国の女性とも多く結婚した。朝鮮戦争やベトナム戦争など、米軍や反共産主義の陣営で戦った兵士を巻き込んだ、後の戦争でも同様の現象が起きた。1942年から1952年までの間に、100,000人ほどの兵士の戦争花嫁がイギリスを離れ、150,000から200,000人がヨーロッパ大陸を、15,500人がオーストラリアから、1,500人がニュージーランドをそれぞれあとにした。日本米軍兵士との婚姻、第二次世界大戦後、日本の連合国軍占領のために駐留していた米軍兵士と結婚し、米国に渡った日本人戦争花嫁は、戦後すぐから1950年代末までで合計約40,000人に達するといわれている。1947年の日本人戦争花嫁法制定以降に渡米する戦争花嫁数は増加傾向にあったが、多くは1950年の朝鮮戦争勃発後に渡米している。アメリカ赤十字社は日本人戦争花嫁向けに、アメリカ文化を教授する花嫁学校を1951年以降日本全国に100校以上開校し、1957年までに約4,000人の戦争花嫁に教育を行った。当時の日本のマスコミはこうした戦争花嫁に対し、売春に従事していた等の否定的なイメージを付与する報道を行っており、それがアメリカの日系人社会にも影響を与えていたため、戦争花嫁は1970年代ころまで、日本でも、移住先においても、偏見に悩まされることとなった。2015年、渡米した約5万人の戦争花嫁の運命をたどるドキュメンタリー映画『七転び八起き - アメリカへ渡った戦争花嫁物語』が製作された。