『河内史跡巡り』許摩神社・JR関西線は久宝寺駅北400M延喜式には小社に列せられる由緒ある神社である。許摩神社は三七五社ある官幣小社の一つ、こまと言う名は高麗(こま)から来ている。古代には高句麗系の渡来氏族が古くは巨摩荘と云われるこの辺りに住みつき、自らの祖神を祀った。明治維新の王政復興により神社が復活し式内社に有った許摩神社に変えられた。創建は不明、河内湖が干し上がって肥沃な土地に渡来人が住みついたと思われる。新撰姓氏録には河内国諸藩(渡来系氏族)高麗国溢士福貴王を祖とする犬狛連があり、犬狛連の祖神を祀ったと思われている。その後この辺りには浄土真宗本願寺派の顕証寺が建てれ、大きな寺内町が形成された。神社は戦国時代には消失された。その後「河内名所図」には祭神は渡来人の祖神ではなく、疫病神である牛頭天王を祀る神社となっていた。