『歴史古代豆知識』87・南都六宗(なんとろくしゅう/- りくしゅう)とは、奈良時代、平城京を中心に栄えた仏教の6つの宗派の総称。奈良仏教(ならぶっきょう)とも言う。
三論宗(さんろんしゅう、中論・十二門論・百論) - 華厳宗や真言宗に影響を与えた
成実宗(じょうじつしゅう、成実論) - 三論宗の付宗(寓宗)
尚、当時からこう呼ばれていたわけではなく、平安時代以降平安京を中心に栄えた「平安二宗」(天台宗・真言宗)に対する呼び名である。当時はまだ寺院ごとに特定宗派を奉じる寺院は少なかった。現在華厳宗の総本山とされている東大寺において、平安時代には別院(院家)として真言宗の「真言院」が置かれる等、次第に密教の影響を受けていくことになる。現存するのは、法相宗、華厳宗、律宗の三宗のみである。又、当初これらは、法相衆・華厳衆等と、「衆」の字を充てていたが、東大寺の大仏が完成した頃(748年頃)には、現在のように「宗」の字が充てられるようになったといわれる。
民衆の救済活動に重きをおいた平安仏教や鎌倉仏教とは異なり、これらの六宗は学派的要素が強く、仏教の教理の研究を中心に行っていた学僧衆の集まりであったといわれる。つまり、律令体制下の仏教で国家の庇護を受けて仏教の研究を行い、宗教上の実践行為は鎮護国家という理念の下で呪術的な祈祷を行う程度であったといわれる。但し、唐に渡り玄奘から法相宗の教理を学び日本に伝えた道昭は、このような国家体制の仏教活動に飽きたらず、各地へ赴き井戸を掘ったり橋を架ける等をして、民衆に仏教を教下する活動を行ったとされる。尚、同じく民衆への教下活動を行った行基の師匠も道昭であったといわれる。