「京都古社寺探訪」・染殿院「染殿地蔵」は新京極の商店街の路地のような狭い奥に古くより「染殿山」と京都人に親しまれている。時宗四条派大本山の塔頭の一つ、本尊は秘仏地蔵菩薩。江戸時代には、洛陽四八本願所の地蔵巡りの第36番札所。札所本尊は染殿地蔵。子授け、安産祈願の厚い信仰を集めておる。創建の詳細は分かっていないが、平安時代空海の開基とも言われている。また第五五代文徳天皇の皇后が染殿后とよばれ、この地蔵に祈願されて、皇子(後の清和天皇)を産んだと言われ、これにより「染殿地蔵」と呼ばれた。鎌倉時代に時宗開祖一遍は釈迦堂(染殿院)に7日間滞在し、念仏賦算、念仏踊りをしたという。その後一遍の弟子たちに引き継がれ「金連寺」が築かれて染殿院もその一つの塔頭となった。その後大火に見舞われ「金蓮寺」は移転され染殿院だけ残された。当染殿院だけが残されたという。