「神仏霊場巡り」大念仏寺・平野に府下最大の木造物が大念仏寺で、日本十三宗の一つで、融通念仏宗の総本山である。本尊は十一尊天得阿弥陀如来で開山良忍上人である。
JR平野駅から南へ五分、国道を渡ると昔ながらの町屋が見える。古来平野郷と称して自治独立を徳川家康から許された。その平野郷の中にあって浪速、河内、大和を中心に末寺、檀家を持ち、地元に根付いた念仏道場である。
大きな堂内で繰り広げられる大数珠回し「百万遍大数珠くり」五月の連休の五日間「平野の万部おねり」は浪速、河内、大和の、難波の風物詩である。
この平野の地に大念仏寺を創建したのは「良忍上人」(聖応大師1072~1132)尾張国生れである。
比叡山に上がり修行後、洛北大原で二十余年の修行の末「阿弥陀仏」から融通念仏を授かり、諸国を念仏勧進をして、その途中の四天王寺に一夜参籠し聖徳太子の夢告により平野の地で大念仏会を開いた所、人々の参集があって、朝廷の天聴があって鳥羽天皇の加護と帰依があった。
僧にだけ留まらず一般庶民にまで普及し信者が急増した。室町には僧法明が各地の寺院に広め融通念仏が行なわれた。
「一人一切人、一切人一人、一行一切行、一切行一行、十界一念、融通念仏、億百万遍、功徳円満」と言う風に念仏の功徳を融通するものであった。この念仏の考え方はその後の日本の阿弥陀信仰に大きな影響を与えた。中世、近世と伝統的な行事などは近年まで続けられ、浪速、河内一円で十一尊天得阿弥陀如来を奉納し鉦を打ち鳴らし檀家を廻る法要は有名である。
また本堂の天井の周りに吊ってある巨大な数珠は法会に降ろし信者が堂内を輪になって念仏をあげながら数珠を廻し、繰る法会はニュースの映像でよく見ることができる。