『浪速史跡めぐり』善福寺(どんどろ大師)・JR玉造駅から西、真田山の上町台地の凹凸の丘陵の坂を下った所の角に善福寺がある。真言宗で本尊は弘法大師であるが本来は薬師如来と不動尊であったが戦災や戦国の戦乱で、この寺も点々としたらしく、狭い境内ではあるが由緒と歴史にその足跡が残っている寺である。創建は聖徳太子である。元和元年の夏の陣でその霊を弔うために「どんどろ大師」善福寺引き続き開創された、当初は鏡如庵大師堂といって、「浪華大師」巡りの道順に当たり、その賑わいは特に二十一日のお大師参りは「摂津名所図」にも記されている。江戸時代徳川四天王と言われた、大老土井利勝の孫の利位が大阪城に拝命を受け、この地の玉造の辺りに屋敷を構え厚く当庵の大師に帰依し、誰言うともなく「どんどろ大師」と云う様に成った。その後大坂夏の陣に廃仏毀釈で一時廃寺になったが、能勢の善福寺をこの地移し現代に至っている。境内には勝軍地蔵尊(青銅製)があり、大師堂に修行大師像があるが、修行大師には笠がないのは戦時中に供出したためと言う。*鏡如庵(どんどろ大師)は大坂夏の陣でこの辺りは真田幸村が真田丸を築き激戦地であった。その戦いで亡くなった戦死者の霊を弔うために「鏡如庵大師堂」と称して二十一日の大師の縁日に多くの参拝者があったという。