「奈良古社寺探訪」橘寺・新西国10番札所“奈良県高市郡明日香村にある天台宗寺院。正式には「仏頭山上宮皇院菩提寺」と称し、本尊は聖徳太子如意輪観音。橘寺という名は、垂仁天皇の命により不老不死の果物を取りに行った田道間守が持ち帰った橘の実を植えたことに由来する。橘寺の付近には聖徳太子が誕生したとされる場所があり、寺院は聖徳太子建立七大寺の1つとされている。太子が父用明天皇の別宮を寺に改めたのが始まりと伝わる。史実としては、橘寺の創建年代は不明で、『日本書紀天武天皇九年(680年)4月条に、「橘寺尼房失火、以焚十房」(橘寺の尼房で火災があり、十房を焼いた)とあるのが文献上の初見である。発掘調査の結果、当初の建物は、東を正面として、中門、塔、金堂、講堂が東西に一直線に並ぶ、四天王寺式または山田寺式の伽藍配置だったことが判明している。発掘調査により、講堂跡の手前に石列が検出されたことから、回廊が金堂と講堂の間で閉じていた(講堂は回廊外に所在した)可能性があり、その場合は山田寺式伽藍配置となる。ただし、検出された石列の長さが短いことと、石列と講堂跡とが接近していることから、講堂の手前を回廊が通っていたか否かは明確でない。皇族・貴族の庇護を受けて栄えたが、鎌倉期以降は徐々に衰えている。