『浪速史跡めぐり』北畠顕家卿の墓・阿倍野筋を南に阿倍野王子神社を南に「北畠顕家卿の墓」がある。この近くの阿倍野神社の祭神と同じである。顕家は父親房と共に後醍醐天皇に仕え、南北朝時代に活躍し「太平記」には阿倍野のちにて討ち死にしたという。この時顕家20余騎の手勢で足利尊氏は配下の高師直率いるⅠ万8000騎の大群を迎え撃ち二十一歳で戦死をしたと言う。</font>