「西国観音三十三所巡り」紀三井寺”西国2番札所“・救世観音宗総本山、本尊十一面観音である。西国観音巡り二番札所・寺域は紀ノ川の河口平野の南部の名草山の中腹にある。紀三井寺の名前の由来は山内に湧く三井水の吉祥水・清浄水・楊柳水が由縁である。創建は宝亀元年(770)唐僧の爲光が諸国を行脚しこの地に差し掛かった時に一筋の光が射すのを見た。光の元を辿れば名草山の中腹に金色に輝く千手観音を見つけた。爲光は自ら十一面観音像を刻み体内仏として金色の観音菩薩を奉納し、庵を作り安置をしたことに紀三井寺が始まったという。中世は詳しい文献が無いので分らないが、紀伊国一ノ宮の日前・国懸社の深い関係で毛見郷は日前宮領に属し、名草山は日前国懸社の記述に名が見え、日前国懸社の祭礼には警固の兵士を送った。室町時代には西国観音巡礼や熊野詣の隆盛で僧侶、支院が混然として一山を形成し、中世の社領は四十九町を有したが、紀州攻めで社領は没収された。その後紀州徳川家によって諸処に寄進を受けた。</font>