「浪速史跡探訪」皇大神宮・大阪市城東区今福南2-12-31・御祭神 天照大御神・社格 式外社 境内社 小女郎稲荷社(宇賀御魂神)、今福恵比寿社(事代主命)、天満宮(菅原道真公)境外社 弁財天社(市杵島姫命)・吉松彦七稲荷社(宇賀御魂神)・その他 ・御旅所として行宮所がある。関目・今福はもちろん、城東区全域・旭区・鶴見区・都島区一帯を「榎並荘」と呼ばれていた事だ。 榎並と言う町名は現在でも残っているが、その榎並荘全体の鎮守社が、次の目的地「皇大神宮」である。 皇大神宮といえば、普通は「伊勢神宮」を指すが、ここでは「こうたいさん」と呼ばれる。鳥居の両側にそれぞれ別の社があって、片方を「親子地蔵尊」、もう一方を「行者尊」と書いてある。「親子地蔵尊」の方は普通のお地蔵さんだが、よく見れば、立派な社に石塔、 もう一方の「行者尊」は「役行者」の碑である。石碑の真ん中の窓みたいな部分に木製の蓋のようなものがある。 参拝の際、拝殿から本殿を拝する事ができ、伊勢本宮を拝する気持ちで参拝する。
 由緒によると、創建には諸説があるようだが平安末期、今福村が開発されたときに創祀されたと伝えられている。下記由緒より、 榎並荘今福樋の東南の小丘に鎮座し、榎並一荘の鎮守社として崇祀された古宮であります。人口増加に伴い各村が産土神を祀ったことから旧今福村の産土神となりました。
 後醍醐天皇の御代に法華神道がさかんに信仰されたころ、三十番神(日蓮宗の守護の神々)を合祀したころから三十番神宮と称されるようになり、その社号が文禄三年の検地帳に見ることができます。
 明治維新後、神仏混祀を禁じられたことにより、もとの皇大神宮として称されるようになった。