「一ノ宮巡り」紀伊国一ノ宮・伊太祁曽神社・祭神五十猛命(大屋毗古神)和歌山県和歌山市伊太祈曽558・式内社・旧官幣中社
祭神は五十猛命・脇宮大屋都比売命(妹神)・脇宮都麻津比売命(妹)で何れもスサノヲの子神である。創建についての初見は『続日本紀』の文武天皇の大宝二年(702)に「是日分、遷伊太祁曽、大屋津比売、都麻都比売三神社」記されている。
古くは日前宮の地に祀られていたが、垂仁天皇十六年に日前宮と国懸宮がその地に祀られることで、いわば土地を明け渡した。両社は互いに、同じような内容を伝えている。
その際に現地点の近くの「亥の杜」に遷座をした。和銅六年(713)現地に遷座をした。『延喜式神名帳』には名神大社に列し、紀伊国一ノ宮とされた。
神階は嘉祥三年(850)従五位下、貞観元年(859)従四位上に叙され、その後、延喜六年(906)正四位上に叙せられた。
名神大社として、月次、相嘗、新嘗の官幣を預かる。
天正年間に豊臣秀吉の根来攻めで社領は没収されたが、秀長の時代になって所領は回復され社殿も建立された。
★『日本書紀』には三神が木種を分布し、天降っては韓地に植えず、筑紫から始め国内全部を青山に播植したと伝える。
五十猛命は『古事記』では大屋毗古、『日本書記』には五十猛命と呼ばれている。
父神スサノオと共に多くの樹木を新羅に降臨したが、日本に渡り植林をした。また五十猛神は大国主命を助けている、因幡の白兎を助けた大国主命は八上比売と結婚をしたが兄弟神の嫉妬らいろんな仕打ちに遭い、母神に助けられたりしたが、最後に追い詰められた時に、大木の蔭に隠れる。
矢で射られて殺されそうになった時に木の股から五十猛神の許に逃れる。
抓津姫神は日本神話に登場する女神で父スサノヲ神、兄に五十猛神で五十猛神と共に全国の山々に木々の種をまき、紀伊国に戻って住んだと言う。


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