「西国観音三十三所巡り」“観音正寺”西国三二番札所“位置する繖山には、室町時代以来近江国南半部を支配した佐々木六角氏の居城である観音寺城があり、寺は佐々木六角氏の庇護を得て栄えた。観音寺城は永禄十一年(1568年)、織田信長の軍勢に攻められて落城。数年後には佐々木六角氏所縁の観音正寺も焼き討ちに遭い、全焼した。再興されたのは慶長年間(1596年 - 1615年)のことである。観音正寺の本堂は平成5年(1993年)に失火で焼失した。交通の不便な山中にある寺院のため、消火活動もままならず、重要文化財に指定されていた本尊千手観音立像も焼失した。現在ある木造入母屋造の本堂は平成一六年(2004年)に再建されたものである。新たに造立された本尊千手観音坐像は仏師松本明慶の作。旧本尊が1メートル足らずの立像であったのに対し、像高3.56メートル、光背を含めた総高6.3メートルの巨大な坐像である。像はインドから輸入した23トンもの白檀を素材に作られている。白檀は輸出禁制品であったが、観音正寺の住職が、20数回インドを訪れ、たび重なる交渉の後、特例措置として日本への輸出が認められたものであるという。 </font>