「一ノ宮巡り」伊賀国一ノ宮敢国神社・祭神大彦命(大毘古命)・配神少彦名命・金山比咩命・三重県伊賀市一ノ宮877・式内社・旧国弊中社・大彦命は孝元天皇の皇子で『日本書紀』では四将軍の一人で北陸を平定後この地に移り、伊賀国の開拓を行なったと言う。
大彦命(『古事記』では大毘古命)の御陵とされる御墓山古墳が有って、その子孫は伊賀中に広がったと言う。
阿拝群を本拠にしたために「阿拝氏」を称した。後に阿閉・阿倍・安倍なども表した。敢国神社の祭神は中世まで少彦名命・金山比咩命とされたが、明治七年(1874)、江戸時代の渡会延経の説により大彦命に変更された。
創建について敢国神社の略紀に依れば斉明四年(658)で、この地の居住者の秦氏が少彦名命を祀り、一方大彦命の子孫の阿拝氏が祖神として大彦命を祀った。また当初神社を南方の山に祀ったが、後に現在の地に移された。
その後前社殿の跡地に美濃国の一ノ宮の祭神南宮大社より勧請された金山比咩命が祀られたために「南宮山」と呼ばれた。その後、言い伝えによれば金山比咩命の社殿の神木の虫食い後の文字が「敢国神社に一緒に祀れ」の文字が現れたので神意に従って合祀された。
この敢国神社も時代の趨勢に翻弄され、伊賀天正の乱では森田浄雲の立て籠もる一ノ宮城と共に織田軍に攻められて炎上・崩壊した。信長がその戦場跡を視察の折には、伊賀忍者に襲撃されあわや落命を免れた説話がある。
その後、伊賀国一ノ宮として崇敬され、江戸時代には上野城鬼門の鎮護として、藤堂氏らの歴代藩主によって加護された。
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