「京都古社寺探訪」宇治神社・京都府宇治市宇治山田にある神社。式内社で、旧社格は府社。隣接する宇治上神社とは対をなす。祭神は次の1柱。菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)『日本書紀』では「菟道稚郎子」、『古事記』では「宇遅之和紀郎子」と表記される。第15代応神天皇の皇子。天皇に寵愛され皇太子に立てられたものの、異母兄の大鷦鷯尊(のちの仁徳天皇)に皇位を譲るべく自殺したという美談で知られる。本殿には、菟道稚郎子像と伝える神像(国の重要文化財)が祀られている。延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳で「宇治神社二座」と見える2座のうち1座に比定される。この「二座」を祭神と見た場合、菟道稚郎子を1座とすることは動かないものの、もう1座については父の応神天皇・異母兄の仁徳天皇・母の矢河枝比売とする諸説がある。創建年代などの起源は明らかではない。宇治神社のすぐ近くには宇治上神社があるが、宇治神社とは二社一体の存在であった。宇治上神社の境内は『山城国風土記』に見える菟道稚郎子の離宮「桐原日桁宮」の旧跡であると伝え、両社旧称の「離宮明神」もそれに因むといわれる[1]。宇治上神社の境内外には「天降石」や「岩神さん」と呼ばれる巨石があり、磐境信仰による創祀という説もある。延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では山城国宇治郡に「宇治神社二座 鍬靫」の記載があるが、その2座はそれぞれ宇治神社・宇治上神社に比定される。神名帳の「鍬靫」の記載は、祈年祭の際に朝廷から鍬・靫の奉献があったことを意味する。のちに近くに平等院ができると、両社はその鎮守社とされたという。明治以前は宇治神社は「下社」・「若宮」、宇治上神社は「上社」・「本宮」と呼ばれたほか、両社を合わせて「宇治離宮明神(八幡宮)」と総称された[1]。明治に入って宇治上神社とは分離し、明治44年(1911年)府社に昇格した。
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