『浪速史跡めぐり』大村益次殉難報国碑・上町筋は難波宮の向い角に大きな「大村益次郎殉難報国碑」建っている。山口県出身の大村益次郎は緒方洪庵の適塾に学び、宇和島藩や江戸幕府に用いられたが、やがて長州に呼び戻され、第二次長州征伐に用兵を認められた。後に討幕軍の総司令官となり、兵部大輔に任じられて、徴兵制度など近代日本の陸軍の構想を立て「日本陸軍の祖」と言われている。明治二年に暴徒に襲われ重症を負い、浪華仮病院でオランダ医師ボードウイーンに手当てを受けるが、敗血症で没した。