今日はクリスマス。1年近く前に行ったエチオピア紀行をなお断続的に続けているが、ちょうどキリスト教のエチオピア正教の岩窟教会群の話である。

 

司祭様が立ち上がって十字架を構えてポーズ
 ラリベラ岩窟教会群第2グループの聖メルクリウス教会の暗い内部のあちこちに壁画が残されているが、剥落と風化が激しく、しかも暗くてほとんど写らない。
 中央の祭壇近くに集まると、どこの教会でもそうだったようにまたしても司祭様が立ち上がり、十字架を掲げてポーズを取ってくれる(写真)。携える十字架は、教会によって形が違う。
 それにしても異教徒の、エチオピア正教のこともよく分からない東洋人に対する驚くべき「おもてなし」精神である。

 

 

外に出てあらためて知る聖メルクリウス教会の大きさ
 ここで修道士らしい男性が、聖画に向かって祈っている(写真)。僕たちは、彼の祈りを妨げないようにそっと外に出た。

 

 外に出て、あらためて聖メルクリウス教会の大きさが分かった(写真)。

 


 しかしそこから、岩の壁を抜けてまた狭い石段である。例によって急階段の上に手すりなどいっさい無い。足下は、ツルツルだ。係員と現地ガイド氏が、そんな僕らに親切に手を差し伸べてアシストしてくれる(写真)。

 

 

岩を完全に掘り抜いているので周囲を一周
 降り切ると、次に訪れる聖エマニュエル教会の全容が見えた。第2グループの中で最も美しいとされる教会だ。
 これもまた赤色凝灰岩をそっくり掘りくぼめて、岩窟教会を造り出している。ここは完全に掘り抜いているので、周囲を一周できる(写真)。

 


 偽3階建ての構造で、屋根に当たるところが元の地表面になる。それから下はすべて岩をくり抜き、柱や偽窓を造り出している。
 いつもながらだが、この創建に当たって投入された労働量とエネルギーのほどがしのばれる。

 

岩を掘り抜くという難事に挑んだことこそがラリベラ王の狙い?
 ふっと思うのだが、岩をくり抜いて造るのと、平地の上に石を積み上げて教会を造るのと、どちらが楽なのだろうか。おそらく岩窟教会群を造るよりも、石を積み上げた方が労働量などを節約できたはずだ。第一、その方が通風も採光も良く、清潔である。
 しかし敢えて困難なものに挑むことにこそ、ラリベラ王の狙いではなかったのか。そしてそこに、エチオピア正教徒たちに神聖性(ありがたみ)を付与できると考えたのだろう。ムスリムによってエルサレムへの巡礼路を断たれたエチオピア正教の護持者をもって任じていた王にとって、その困難さこそが必要だったのかもしれない。
 僕たちは、またも「教会セット」に履き替えて、聖エマニュエル教会の中に入る。

 

昨年の今日の日記:「アメリカで対中国戦略を担った要人の悔悟、マイケル・ピルズベリー氏の警告」