韓国の朴槿恵大統領はついに国会で弾劾訴追されたが、なお責任追及のデモはやまない。先週10日土曜日のデモでは、朴槿恵大統領の逮捕を要求する声まであがっている。
 ソウルの世宗大王像のある広い世宗路は、数十万のデモで埋まる(写真)。ほとんどは若者たちだ。

 

 

「ラスプーチン」に国政関与、便宜を供与
 そこに、長年積み上げられてきた現代韓国の矛盾が集約されている。朴槿恵大統領は、その犠牲者でもある。
 確かに独裁的とも言える強大な権限をもとに、朴大統領は公私混同を重ねた。
 帝政ロシア期末期、血友病の世継ぎアレクセイ皇太子を治療すると称し、ニコライ2世・アレクサンドラ皇后夫妻の寵愛を受けた怪僧ラスプーチンにも議せられる崔順実に国政に介入させ、崔の設立した財団に財閥から寄付を寄せるように口利きした疑惑もある。
 しかし韓国民を真に怒らせたのは、崔の娘の名門・梨花女子大不正入学と財閥の暗躍である(これについては、11月7日付日記:「韓国の民衆はなぜあんなにまで怒っているのか;朴槿恵大統領の落ちたネポチズムの陥穽」参照)。
 そしてその怒りを具体的に表したのが、ソウルなど大都市で展開された若者中心の大集会・大デモである。それが、事実上、朴政権に引導を渡した。

 

政争の激しさ、重層的な構造に起因
 韓国とは、まことに政争の激しい国である。その対立点は、いくつもの構造が重層的に積み重なったものである。
 まず保守と革新の対立。これは、日本でも55年体制下で自民党(保守)と社会党(革新)の対立が長く続いたから分かりやすい。現在の韓国で言えば、セヌリ党(保守)と「共に民主党」(革新)である。しかし、これは実のところあまり重要な対立ではない。
 見逃せないのが、地域対立と経済格差による対立である。後者は、世代間の対立とも重なる。

 

旧新羅と旧百済以来の地域対立
 地域対立は、遠く古代にまで遡る対立、とも言える。半島南東部に建国された新羅と半島南西部の百済との対立・抗争、である。それが、近現代まで引き継がれた。
 例えば韓国戦争(「朝鮮戦争」)で、北朝鮮人民軍に不意打ちされた韓国軍と政府は、最後は慶尚南道の釜山周辺まで押し込められ、ここでやっと持ちこたえた。他方、全羅道は早々と北朝鮮軍の軍門に降っている。
 朴正煕氏の軍事クーデターによる権力掌握以来、保守派・与党の牙城の慶尚道と進歩派・革新・野党の強い全羅道との対立は続く。
 慶尚道は、最近まで朴正煕、全斗煥、盧泰愚、金泳三と、歴代保守大統領を輩出してきた。一方、長く慶尚道出身大統領に冷遇されてきた全羅道は、金大中元大統領の強固な地盤で、今でも革新=全羅道、保守=慶尚道の構図は残る。

 

慶尚道優位で冷遇されてきた全羅道
 この対立は根深く、大統領の出た地域出身の者は取り立てられる一方、対立する地域出身者は徹底的に冷遇された。
 産業、インフラでも、そうだ。
 かつて日韓基本条約の締結で日本から供与された資金と技術協力で、韓国の悲願だった最初の製鉄所である浦項総合製鉄(現ポスコ)が建設されたのは、朴正煕大統領の出身地の慶尚北道である(下の上の写真=中央の話しているのが、おそらく朴正煕大統領、下の下の写真=プレートを架ける左の人物もおそらく同大統領)。高速道路なども同じであり、韓国初の新幹線も、最初に開通したのは、ソウル-釜山間である。

 

 

 

流血の悲劇、光州事件
 おそらくこの地域対立の頂点となったのは、1980年5月に起きた流血の光州事件だろう(写真=光州事件とその犠牲者の墓)。

 

 


 慶尚南道出身の全斗煥が、粛軍クーデターで権力を握ると、戒厳令を布告し、朴正煕大統領に抵抗してきた野党で民主化運動を主導してきた全羅南道の出身の金大中らを逮捕、民主化運動の弾圧を始めた。
 これに対し、全羅南道の道庁所在地であった光州市を中心に、市民・学生が一斉蜂起し、軍は武力鎮圧に乗りだす。武装した市民たちは韓国軍を相手に銃撃戦を行い、一時は激しい市街戦となり、市民軍は全羅南道道庁を占領したが、内部分裂を起こして、結局、蜂起派は鎮圧された。市民を中心に、200人にも達するかもしれない多数の犠牲者を出した凄惨な事件である。
 政争の激しさの土壌で保守と革新の対立、地域対立の重なった騒乱の悲劇だった。

 

戦後日本にはない政争の激烈さ
 日本では60年と70年の安保闘争でも、数人の犠牲者を出しただけだった。いかに韓国の地域対立・政争が激しいかを物語る。
 この地域対立も、世代交代が進み、慶尚道出身で進歩派の盧武鉉が2003年に大統領に就任したことで、少しずつ薄まってはいる。しかし前記のように慶尚道はなお保守セヌリ党の、全羅道は革新「共に民主党」の金城湯池であることには変わりがないのである。
(この項続く)

 

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