ビジターセンターのビルを右に曲がると、いきなり視界が開け、そこにヴァヴェル城の偉容が現れた。


古都クラクフの王城と大聖堂は一時はオーストリア人に売却
 手前がヴァヴェル大聖堂であり、その先が旧王宮である(写真下)。11世紀から16世紀にかけて少しずつ増築・改修されたヴァヴェル城は、その後、数奇な運命をたどる。


ヴァヴェル城

 18世紀末の第3次ポーランド分割で、地図の上からポーランドという国家が消滅すると、ヴァヴェル城はオーストリア人に売却され、軍兵舎にされてしまった。
 その後、ポーランド独立とともにポーランドのもとに戻るが、第2次大戦中はドイツ軍が駐留した。それでもワルシャワ旧市街のように破壊されなかっただけ、マシである。


美しく整備された庭園
 その前の広場は庭園となっていて、植栽が植えられてちょうど様々な花が盛りだった。
 2日後の早朝、リブパブリはホテルから徒歩で独りでヴァヴェル城の再訪をなしとげたが、朝、庭園のあちこちに作業員が入って手入れをしていた。
 なるほど観光客の訪れる前に植栽の手入れをして、いつも美しい花を用意しているのだな、と感心した。


いかめしすぎるヨハネ=パウロ二世像
 我々は、ここでヴァヴェル城全体を観て、その後に中に入るのだが、その前に大聖堂(写真下の上)そばにヨハネ=パウロ二世の像が立っている(写真下の下)。


大聖堂

ヨハネ=パウロ二世像

 ヨハネ=パウロ二世は、ローマ教皇に選ばれるまではクラクフ教区の大司教だったから、クラクフ市内のあちこちに像が立っている。これが、リブパブリが見る初めての教皇像であった。
 ただ像は、いかめしすぎてリブパブリの知る慈愛に満ちた表情から遠い。


内部は撮影禁止が残念
 城の中に入るのだが、内部は撮影禁止だ。そのため、情けないことに何を見たのか、まるで記憶に残っていない。デジカメがメモ代わりになることの便利さと使えない時の不便さを同時に味わうことになる。
 入り口近くの天井に、竜伝説のもとになった細長い化石が飾られている(写真下)。クジラの肋骨か何かだろうが、写真撮影もここまでだ。


入り口の「竜の骨」


昨年の今日の日記:「メキシコ周遊:マヤパンの天文台はチチェン・イッツァのミミック」
昨年の明日の日記:「メキシコ周遊:あちこちゴッチャになりそうなマヤ遺跡;追記 薄熙来裁判」


 所要で早朝に出かけます。明日の日記はお休みとなります。ご了承ください。